ベンドア(")とはイギリスの競走馬・種牡馬である。1880年のエプソムダービーに優勝した。種牡馬としては同時期にセントサイモンがいたことからリーディングサイアーになることはなかったが、イギリスクラシック三冠馬オーモンドなどを出している。子孫は後にセントサイモン系の衰退を期に現在の主流となった。名前は紋章学の襷「Bend」と金色「Or」より。毛色は母の父ソーマンビー、父の父ストックウェルから受け継いだベンドア斑(別名:バードキャッチャー斑)により黒い斑点を持っており、しかも尾花栗毛の珍しい毛色であった。馬体そのものは16.1ハンド(約164cm)のすばらしい馬体を誇っていたという。2歳時は大差こそ付けなかったが瞬発力の違いでリッチモンドステークスなど5連勝。だが3歳になると脚部不安で満足にレースを使えずエプソムダービーを迎えてしまった。問題はそれだけではなく、エプソムダービーの25日前には主戦騎手のフレッド・アーチャーがミュリーエドレスに噛みつかれ右腕を負傷しするという事態に見舞われていたが、アーチャーは医者や調教師の説得に応じず、痛み止めを使用し、腕に鉄板を巻き付けてエプソムダービーに挑んだ。しかも観衆はベンドアを3倍の一番人気に押していた。この時の騎乗はいまや伝説として語られ、片腕だけでロバートザデヴィルにアタマ差を付け優勝した。エプソムダービーの2週間後、ベンドアに替え玉疑惑がかけられたが、替え玉とされたタドカスターとベンドアの特徴にはかなり差があるとされ、間もなくこの問題は解消された(DNA調査を含む後世の研究の結果、現在ではベンドアとタドカスターは実際に入れ替わっていたと考えられている。詳細は#後述)。1か月後にセントジェームズパレスステークスに出走し、デビューからの連勝を7に伸ばしている。秋のセントレジャーステークスでは二冠に挑んだがエプソムダービーで下したロバートザデヴィルに大差を付けられ5着に敗れ、さらにグレートフォールステークス、チャンピオンステークスともにロバートザデヴィルの2着としこの年を終えている。翌年はシティ&サバーバンハンデキャップと言うレースでアメリカ産のエプソムダービー優勝馬フォックスホールとのダービー馬対決を制し、エプソムゴールドカップではロバートザデヴィルとのマッチレースが組まれクビ差下した。また秋にはチャンピオンステークスを制し、ケンブリッジャーステークスを134ポンド(約60.8kg)のトップハンデながら5着と好走し現役を終えた。引退後はウェストミンスター公のイートン牧場で種牡馬入りした。種牡馬としてはイギリスクラシック三冠馬オーモンド、2000ギニー優勝馬ボナヴィスタの2頭の後継種牡馬を初め優秀な産駒を多数送り出したが、同時期のセントサイモンの圧倒的な種牡馬成績の前にリーディングサイアーを取ることはなかった。だが、その後のファラリス等の活躍により現在の主流血統を形成している。ノーザンダンサーもナスルーラもミスタープロスペクターもベンドアの直系子孫である。ダービーの項で述べた通り、本馬には"タドカスター"との入れ替わり疑惑があるが、DNA調査を含む後世の研究の結果、現在ではベンドアとタドカスターは実際に入れ替わっていたと考えられている。タドカスターはベンドアと同じドンカスターの産駒で、ベンドアと同厩だった。なお、デビュー時点ですでに入れ替わっていたと考えられ、ダービーに勝ち、種牡馬としても成功した"ベンドア"は本馬である。なお、"タドカスター"とされた本来のベンドアは、去勢され障害競走も走ったが小ステークスを含む5勝に終わっている。この事が明らかになったのは、2011年に"ベンドア"を含む多数の歴史的名馬の骨格について行われたDNA調査であった。その中で自然史博物館に保管されている"ベンドア"の(ものとされる)骨格が、血統書通りの1号族ではなく2号族のmtDNAを保有することが判明した。これは、ベンドア(1号族)がタドカスター(2号族)と入れ替わったことを示唆している。なお、ベンドアの血統書上の母ルージュローズの、現代に生きる牝系子孫(1-k族)たちは1号族固有のmtDNAを持つことが確認されており、"ベンドア"とルージュローズの血縁関係は強く否定される。この入れ替わりが事実であれば、父ドンカスターは変わらないが、母クレメンス、母父ニューミンスター、母母ユーロジー(2号族h分枝)というのが、1880年のダービーに勝ち、種牡馬としても成功した"ベンドア"の本来の血統と言うことになる。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。