屋代駅(やしろえき)は、長野県千曲市大字小島にある、しなの鉄道・日本貨物鉄道(JR貨物)しなの鉄道線の駅。2012年3月31日までは長野電鉄屋代線の起点でもあった。共同使用駅として、しなの鉄道が駅業務を担当していた。北信地方の都市・千曲市(旧更埴市)の代表駅で、同市の中心市街地に位置する。しなの鉄道と、貨物鉄道事業者であるJR貨物が管轄する駅である。しなの鉄道線経由で小諸駅や終点の軽井沢駅とJR長野駅を結ぶ列車が発着している。JR貨物はしなの鉄道線を利用する第二種鉄道事業者で、当駅を発着する臨時の貨物列車はしなの鉄道線を経由する。駅の開業は1888年(明治21年)である。元々はしなの鉄道線の駅ではなく、軽井沢より東の高崎駅を起点とし、新潟駅を終点とする日本国有鉄道信越本線の途中駅であった。また、特急「あさま」の一部が停車する駅でもあった。1987年(昭和62年)の民営化により東日本旅客鉄道(JR東日本)とJR貨物が継承した。その後北陸新幹線開業に伴って軽井沢・篠ノ井間がJR東日本より分離されたためしなの鉄道の運営となり、現在に至っている。一方、屋代線が乗り入れを開始したのは1922年(大正11年)で、運営会社変更・線名改称を経て2002年(平成14年)より廃止当時の名称となった。地上駅であり、ホームも地面に接する構造である。しなの鉄道のホームは、単式ホーム・島式ホームが1面ずつあり、単式ホームに1線、島式ホームに2線線路が接する。乗り場は西側の単式ホーム側から順に1番線・2番線・3番線である。線路の名称は1番線が下り本線、2番線が中線、3番線が上り本線であり、1番線に長野方面行きの列車、3番線に軽井沢方面行きの列車が発着する。ホームに接しない線路もあり、3番線の東側にしなの鉄道線の上り1番線がある。この東側に長野電鉄線が発着していたホームがある。木造建築の待合室がある島式ホーム構造であるが、4番線に相当するしなの鉄道側の線路にはフェンスが設置されており、定期列車は5番線のみを使用していた。駅構内南東には、長野電鉄の車両の点検・整備をおこなっていた長電テクニカルサービス屋代車両検査場がある。この検査場はしなの鉄道車両の検査を受託しているため、屋代線廃止後も引き続き営業中である。検査場内には屋代線に繋がる3線の線路があったが、このうちの1線からしなの鉄道線の上り1番線に繋がる線路が分かれていた。屋代線の廃止時点ではこの検査場を介してのみしなの鉄道線と接続していたが、1937年(昭和12年)に国有鉄道から長野電鉄河東線(後の屋代線)に初めて直通列車が乗り入れてから、1982年(昭和57年)の急行「志賀」運行廃止まで、直通用の連絡線が存在した(志賀の運行廃止後まもなく線路は撤去された)。しなの鉄道車両の検査をおこなう関係で、検査場から同線につながる線路は現在も使用されている。駅舎は駅西側の単式ホーム(1番線)側に設置されている。ホームの上屋や、しなの鉄道ホームと駅舎を結ぶ跨線橋は木造である。廃止された屋代線の駅業務はしなの鉄道が担当し、長野電鉄の社員は配置されていなかった。ただし屋代駅では長野電鉄線内の駅で購入した切符や整理券は運転士が回収していた。それと引き換えに精算済証が交付され、出場時に改札で駅員に渡していた。また屋代から精算済証を持ったまましなの鉄道線に乗車し、目的地で屋代からの運賃を精算するようになっていた。ホームでは信越本線時代に導入された発車メロディがそのまま使用されている。1番線が「JR-SH5-1」、2・3番線が「JR-SH3-1」である。なお、屋代線の5番線ホームでは発車ベルが用いられていた。現在、JR貨物の駅は車扱貨物の臨時取扱駅となっており、貨物設備はなく、専用線も接続していないため定期貨物列車の発着はない。屋代線廃止までは長野電鉄向けの甲種車両輸送の終着駅となっていた。屋代線廃止後に長野電鉄が車両輸送をどのようにおこなうかは明らかにされていない。1993年(平成5年)ごろまで、現在長電テクニカルサービス屋代工場となっている場所にあったシェル石油の油槽所へ至る専用線があり、油槽所向けの石油の取扱いがあった。また国鉄分割民営化前までは、駅舎の北側に有蓋車用の貨物ホームが1面設置されていた。1日あたり乗車人員は次のとおり。
出典:wikipedia
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