石光 真清(眞清)(いしみつ まきよ、慶応4年8月30日(1868年)10月15日) - 昭和17年(1942年)5月15日)は、日本陸軍の軍人(最終階級陸軍少佐)、諜報活動家。明治から大正にかけてシベリア、満州での諜報活動に従事した。明治元年(1868年)熊本に生れる。少年時代を神風連や西南戦争の動乱の中に過ごし、陸軍幼年学校に入る。陸軍中尉で日清戦争に参加し台湾に遠征、ロシア研究の必要を痛感して帰国、明治32年(1899年)特別任務を帯びてシベリアに渡る。日露戦争後は東京世田谷の三等郵便局長を務めたりしたが、大正6年(1917年)ロシア革命の後、再びシベリアに渡り諜報活動に従事する。帰国後は、夫人の死や負債等、失意の日を送り、昭和17年(1942年)76歳で没した。のち長子真人の手により完成したのが手記(遺稿)四部作『城下の人』『曠野の花』『望郷の歌』『誰のために』である。この四部作は、毎日出版文化賞を受賞し、また伝記作家の小島直記は自伝の名作と評価している。http://shozoushushahon.blogspot.jp/2009/08/blog-post.htmlhttp://1.bp.blogspot.com/-e4eMVF5TnYU/SozM52dfjxI/AAAAAAAAAi8/zsbAJzJPwR8/s1600/IMAGE09.jpg石光家は熊本藩の身分の軽い武士であったが、藩主細川家の肥後入国時からお供をした家柄であり、代々主君のお側に奉仕していたから特別の取り扱いを受けていたという。父・真民は武道よりも学問に熱心で、後に妻となる守家の実家の私塾に学び、わずか19歳で塾頭となった。結婚後、勘定方書記として藩庁に出仕。中小姓格から産物方頭取へと昇進すると、業務の発展に手腕を発揮して財政に大きな余裕を生み、家老の信任も得た。
出典:wikipedia
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