株式会社オリエンタルランド(、略称:"OLC" )は、米国のウォルト・ディズニー・カンパニーとライセンス契約により東京ディズニーランド(TDL)、東京ディズニーシー(TDS)を中心とする東京ディズニーリゾート(TDR)を経営・運営する事業持株会社の基幹企業であり、不動産業も兼ねる。なお、ディズニー関連の著作権や商標権ビジネスはウォルト・ディズニー・ジャパンが担当しており、オリエンタルランドは東京ディズニーリゾートの経営・運営のみ担当している。会社自体は京成電鉄の持分法適用関連会社として京成グループに名を連ねているが、「K'SEI GROUP」ロゴは使用していない(こちらも参照)。TDL、TDSをはじめとするTDRを運営する各企業を統括する持株会社である。元々は事業会社として各施設の運営を直接行っていたが、その後パーク運営と同時にTDR関連事業、及びその他の事業を行うグループ各社を統括する現在の事業持株会社となった。1983年(昭和58年)に開業した東京ディズニーランドの運営事業会社として設立された当時から、京成電鉄と三井不動産が2大株主であり、多くの役員などを出向させている。しかし三井不動産は2010年(平成22年)限りで役員の出向をやめており、また出資比率も10%以下に引き下げている。また、千葉県を始めとする自治体も出資しており、公共団体の出資比率は合計で3.96%となっている。関連会社は、連結対象会社の13社、持分法適用会社の3社合わせて16社ある。また、米・Disney Enterprises,Inc. (The Walt Disney Companyのライセンス管理部門、以下ディズニー)、加・Cirque du Soleil、日本郵政、OLCの大株主でもある京成電鉄とそれぞれ業務提携を締結している。なお、京成電鉄とは資本提携もあわせて締結している。オリエンタルランドはディズニーとの業務提携(ライセンス契約)によって、ディズニーパークなどディズニー関連事業を行っている。ディズニーによる出資や、資本協力、株式持ち合いなど資本提携は一切行われていない。オリエンタルランドが公開している投資家情報では「世界で唯一、ディズニーとの資本関係が一切ないディズニーリゾート事業運営会社である」と発表している。実際の事業運営の面では、1982年(昭和57年)設立のウォルト・ディズニー・アトラクション・ジャパン(WDAJ:ディズニーの4事業子会社のひとつWalt Disney Parks and Resortsの子会社)が東京ディズニーリゾートテーマパーク運営やメンテナンスのすべての面で、ディズニーの観点から関わっている。日本におけるディズニー関連の著作権や版権ビジネスはディズニー100%子会社のウォルト・ディズニー・ジャパンが担当している。オリエンタルランドの主要取引銀行は、みずほ銀行、三井住友信託銀行。会計監査は有限責任あずさ監査法人が担当している。オリエンタルランドはフジサンケイグループとも関係がある。産業経済新聞社とは、所有するディズニーホテルの朝刊サービスに関する契約を結んでいる。フジテレビジョンとは、グループ会社の一つであるOLC・ライツ・エンタテインメントを通じて「ネポスこどもCLUB」を共同制作したり、全国ネット枠のスポンサーを務めるなどに加えて、「お台場冒険王」の際には宣伝広告を設置したり、お台場・東京ディズニーリゾート間の無料送迎バスを運行するなど、積極的な協力関係を取っている。なお、フジテレビジョンはディズニーと包括的なパートナー契約を締結している。「株式会社オリエンタルランド(以下、OLC)」が設立されたのは、1960年(昭和35年)7月1日、京成電鉄が千葉県浦安沖を埋め立てて、商業地・住宅地の開発と大規模レジャー施設(このレジャー施設の当時の仮称がオリエンタルランド)を計画、社長の旧友であった三井不動産社長に共同事業者として声をかけたのがきっかけである。元々当時の京成社長、川﨑千春は自社のみで計画を遂行しようとしたが、銀行を含めて信用が担保できず、三井不動産などに声をかけた。これにより京成電鉄、三井不動産、朝日土地興業(船橋ヘルスセンター、後に三井不動産に吸収合併)の3社が均等に出資することでOLCは設立、京成電鉄本社(東京都墨田区業平、現在は千葉県市川市)内に事務所を設置し、初代社長は川﨑が就任した。京成電鉄が、都心部 - オリエンタルランド(現在の舞浜・新浦安付近) - 船橋港 - 稲毛海岸 - 千葉港 - 千葉寺という新規鉄道路線(現JR京葉線の原型)を計画及び免許申請をしており、オリエンタルランド計画は、この新規路線の沿線開発の一つであった。OLC社長となった川﨑は、当初谷津遊園拡張の際にバラ園を新設する構想を練っていた(この事業は後に京成バラ園芸の設立につながる)。仲の良かった読売新聞社社主の正力松太郎にも声をかけたのだと言う。そのバラ園に飾るバラを買い付けに訪米した際、ディズニーランドを訪れ、目をつけたのだった。川﨑は帰国後、レジャーランド計画にアメリカのディズニーランドを招致するという明確な方針を示し実現へ動いた。埋立による土地の造成には、公有水面埋立法に基づき県知事の許可を得る必要があった。当時の千葉県知事は友納武人であり、三井不動産社長の江戸英雄と2人3脚で進んでいった。この時取られた方式は「出洲方式」と呼ばれる方法で、埋め立て事業費は不動産会社と県が2対1の割合で負担する。完成した造成地は県有地として千葉県が売却し、その益金は出資比率に応じて分配される。また特に、現場での漁民との補償交渉を取り仕切ったのが、江戸の推薦でOLCに入社した高橋政知である。高橋自身は名門の家の生まれで東大の卒論を英語で書くほどのエリートであったが、持ち前の豪放磊落な性格が功を奏し、住民への補償、千葉県からの土地払い下げまでは順調に進んでいった。一方、朝日新聞はこの開発を問題視し、『追跡・湾岸開発』という検証本を出版するに至る。また、首都圏新空港の候補地として、河野一郎に目をつけられたこともある。その後、京成電鉄は本業の不振などからディズニーランド招致をOLCにすべて任せることとなる。ディズニーランド招致交渉に支援的であった京成電鉄と違い、もう一方の親会社である三井不動産は住宅等の土地開発を第一に考え、ディズニーランド招致には反対の立場をとっていたため、ディズニーランド招致を妨害することもあった。第94国会などでは野党議員を巻き込んで質疑にも登っている。なお、創業当初は100万坪を埋め立てると宣伝しており、山本周五郎の小説『青べか物語』でも「沖の百万坪」という言及がある。完了した造成工事では260万坪の面積を埋め立てたが、上記の事情から次々と住宅地として処分され、最終的には63万坪余りが遊園地用地として残され、それもホテル用地などに取られたため、TDL開業時には純粋な遊園地として使用されている土地はさらに少ないものとなった。ディズニーとの初交渉は1974年(昭和49年)に開始されたが、先行して開園していた奈良ドリームランドの著作権侵害問題(この件に関しては同項目を参照)もあり、最初は門前払いに近い扱いであった。ディズニーから提示された条件はディズニーは建設費・運営費等を一切支払わず、ロイヤルティとして売り上げの10%を回収すると言う当時の日本の常識からは法外なものだった。交渉は何度も決裂寸前の様相を呈し、一時は修復も危ぶまれる状況に陥った。最終的には、親会社である三井不動産の意向を無視する形で、高橋が条件を飲み、高橋の顔をたてるために50年契約だった条件を1割減じて45年とさせた。こうして1979年(昭和54年)4月30日にウォルト・ディズニー・プロダクション(後のディズニー・エンタプライゼズ・インク)との業務提携契約を取り交わした。その後、ディズニーによる技術・ノウハウ提供を受け、1983年(昭和58年)4月15日東京ディズニーランドが開園を迎えた。1983年(昭和58年)4月15日に「東京ディズニーランド」を開園させ来園者数を順調にのばし、初年度目標を超える1036万人の入園者を迎えた。その後も「つくば科学博」の開催による相乗効果などにより入園者数を大きく伸ばし、バブル景気に影響されて全国各地に建設された遊園地の中でも、強い独自色を発揮し、着実に入園者数を増やしていった。1986年(昭和61年)1月ディズニーはOLCに対して舞浜地区全体の開発を目指した「東京ディズニーワールド構想」を提案。OLCでの検討の末1988年(昭和63年)4月15日の「東京ディズニーランド開園5周年記者会見」で「第二パーク構想」について発表した。第二パーク構想については、加賀見が森との対談で「『海』と言うコンセプトは日本人が出したアイデアなんですよ。彼らには、『海』という発想がないんですね。」と述べている。これは裏を返せば、本家の拒絶反応も惹起し、ディズニーからの提案の検証や、社内の意見不一致による混乱、ディズニー社に対する違約金の支払いなどの問題を一つ一つ解決していかなければならなかった。それらの問題を解消し、TDL15周年の後に着工したが、最終的な形に仕上げるのに10年の歳月を要した。東京ディズニーランドに次ぐ第二のディズニーパークである「東京ディズニーシー」、「イクスピアリ」、「ボン・ヴォヤージュ」など、現在の東京ディズニーリゾートを形作る施設の全体像はこのようにして決まっていった。2000年(平成12年)1月1日に「リゾート宣言」を発表、これは第二パークの開園に向けて「テーマパーク」から「テーマリゾート」への転換を目指して出され。また、1月6日には日本経済新聞に全面見開き広告「リゾート宣言。」を掲載し、日本初となるテーマリゾートの誕生を印象付けさせた。2000年(平成12年)7月7日「イクスピアリ」・「キャンプ・ネポス」・「ディズニーアンバサダーホテル」が開業し、今まで空き地が広がっていた舞浜駅前に一つの街が誕生した。2001年(平成13年)3月1日は「ボン・ヴォヤージュ」が開業。2001年(平成13年)7月27日には「ディズニーリゾートライン」が開業。2001年(平成13年)9月4日「東京ディズニーシー」、及びパーク一体型ホテル「東京ディズニーシー・ホテルミラコスタ」がそれぞれ開業し「東京ディズニーリゾート (TDR)」が正式に開業した。舞浜地区開発が一通り終了した後の事業展開として、日本国内のディズニーストアの経営をディズニー日本法人から譲り受けたり、日本国内におけるミュージカル「ディズニーライブ!」の公演、その他にも子会社を通じたレストラン経営や映画制作事業への参入、低価格ホテルパーム&ファウンテンテラスホテルの開業など、舞浜地区に依存しない利益確保の方法を開拓している。2008年(平成20年)4月15日からのTDL開園25周年を契機に、3つ目のディズニーホテル「東京ディズニーランドホテル」の開業や、シルク・ドゥ・ソレイユ専用常設劇場「シルク・ドゥ・ソレイユ シアター東京」(現在の舞浜アンフィシアター)など、TDRのさらなる開発も目指している。なお、2011年(平成23年)3月までに首都圏以外の大都市中心部において、ディズニーの屋内型エンターテイメント施設を建設する計画を進めていたが、期待する収益が上げられないと判断して計画の中止を発表した。※ 2011年(平成23年)4月1日現在他の会社役員に関する詳細は「オリエンタルランド会社概要 役員一覧」を参照のこと。TDRを含む世界のディズニーリゾート・ディズニーパークでは従業員のことを「キャスト」、入場客のことを「ゲスト」と呼ぶ。カストーディアル・キャスト(清掃・案内を担当するキャスト)においては「カスト」と呼ぶこともある。また、「キャスト」の本来の意味であるショーの出演者はキャストと呼ばず「出演者」または「エンターテイナー」という呼び方をする(ただし、彼らも広義では一般従業員と同じく「キャスト」であり、人事上では「キャスト」の名称が使われる場合もある)。なお、「キャスト」の呼称はOLCに所属する従業員だけではなく、OLCグループ各社の従業員、協力会社従業員等のうち、TDRの業務に従事している者全般に対して使用される。これは、「パークは巨大なステージであり、従業員はそのステージ上でそれぞれ配役された役割を演じるキャストである」というウォルト・ディズニーの考えに由来している。そのため、ゲストが入れるエリアは「オン・ステージ」(舞台)、関係者専用区域を「バックステージ」(舞台裏・楽屋)、キャストが配属される各部署を「ロケーション」と呼ぶなど、映画・演劇用語が使用される。初期研修後各ロケーションに配属される際には「あなたの配役は-」と記載された辞令を渡すなど、この考え方による用法は徹底している。キャストは「いらっしゃいませ」とは言わず、原則「こんにちは(おはようございます・こんばんは)」と迎える。これは「いらっしゃいませ」とキャストに言われてもゲストには返す言葉がなく、会話が成立しないためである。これは、園内に自動販売機が基本的に設置されていないことでも端的に表されている(自動両替機のみコインロッカーやペニーアーケード、ウエスタンランドシューティングギャラリーなどに存在する)。また「カスト」に限らず、すべてのキャストはゴミを見つけたら直ちに清掃することになっている。これは「1つのごみが全体を汚くする」という理念をウォルトが持っていたことに由来し、外で乳幼児が這い歩きしても安全なようにと教育されているといわれる。閉園後を担当するのは夜勤の「ナイトカストーディアル・キャスト」で、このスタッフたちは、閉園直後の0時から開園直前の7時まで、パークの道路すべてを中水(自営浄水場で再生された水)で水洗いするという(もちろんそれだけの人数が存在し機材もある)。それによって、いつもパークがきれいに保たれている。いかに訪れた人々を迎えるか、どのように接すれば喜んでもらえるか、の教育に力を入れているとされる。直営でない(ライセンス契約上、マニュアルの遵守が要請される)こと、日本人の国民性などが相俟って、世界のディズニーパークの中で、精緻なマニュアルを一番忠実に実施していると評されている。TDRで働く多くのキャストは、OLCの準社員(パートタイマー、アルバイト)・テーマパーク社員(契約社員)、いわゆる非正規雇用の従業員である。時給制契約により雇用される。パーク内の多くの職種に配され、ゲストが出会うキャストの多くはこの準社員である。当初はパーク内で働くキャストに占める正社員の割合は少なくなかったが、現在はその多くを準社員に行わせている(準社員だけでパークは動かせるとまで評されている)。 その仕事内容は多岐に渡り、自分が担当する通常業務に加え、パーク内での案内・清掃、遺失物や迷子の対応など、キャスト1人がこなさなくてはいけない仕事の量は多い。しかし、累積勤務時間による昇給制度や優待パスポート、シルク・ドゥ・ソレイユ シアター東京「ZED」鑑賞券、賞与の支給や社会保険への加入(法律に基づき、週40時間以上勤務するキャストはすべて対象である)、そしてクリスマスや正月など深夜開園がある際の仮泊所、OLCの福利厚生施設の特典(浦安市内や首都圏には社員証提示で料金割引き等がある店舗が多数存在する)利用権利、年に一度閑散期にある“勤労感謝の日”は、パークは閉園後キャストに開放される(この日のみ早終いとなり、開放中の運営は正社員によって為される。時間は20:00から22:00)など、アルバイトとしてはかなり充実した待遇となっていることに加え、ディズニーパークの一員として仕事ができる環境に魅力を感じ、採用希望を抱く人間は少なくない。すべてのキャストを対象としている労働組合はない。正社員向けとしてUAゼンセン傘下の「オリエンタルランド労働組合(オリエンタルランド・フレンドシップ・ソサエティー、略称:OFS)」が組織されており、2007年(平成19年)3月31日現在の組合員数は1,950名となっており、労働組合の登記はされているが一般的にいう「労働組合」とは全く違う、どちらかといえば社員会に近いスタンスで運営されている。労使関係は円満(UIゼンセンの方針により労使協調路線)。グループ内の連結子会社で組合は組織されていない。一方、通告無しの解雇や偽装請負疑惑との訴えもある。2014年3月にはついに、「なのはなユニオン」傘下の“闘う”労働組合「オリエンタルランドユニオン」が結成された。なお、準社員は5段階の職級に分けられ、下から M / A / G / I / C(メイク、アクション、成長、進歩、キャプテンの略と説明されている)と区分されていてそれぞれ○キャストと呼称されている。新規入社の準社員はMキャストとされ、OJT(研修)を約2-5日行いデビューという形になる。Mキャスト期間(入社日の翌月末まで)を過ぎると原則的にAキャストに昇格する。最上位職級のCキャストに関しては時給制であるという以外は、ほぼテーマパーク社員や正社員と同じ業務を行っている部署もある。同じ職種の場合、人員確保のため一定期間においてロケーションの変更は容易である。また、規定の勤務をこなしながら異なる職種の体験をできる制度も存在する。例えば、アトラクション担当のキャストが商品販売担当のキャストを同時期にこなす、というものである。また、当初は一部の職種にのみ存在したが、後に適用される職種が拡大された「テーマパーク社員」制度もある。テーマパーク社員は、準社員の監督・指導など、パーク運営業務の第一次的責任を担う「スーパーバイザー(Superviser―監督者。略名SV)」の候補(I-A区分)として採用されワーキングリード (Working Lead) として勤務に就く、その後選考により昇格した場合はスーパーバイザー(II区分)として、原則1年間の月給制契約により雇用される(更新等に所定の条件がある)。また、「専門業務従事者」として「ファイヤー(防火管理者)」や「ナース(看護師)」などの職種もスーパーバイザーとしての契約があるが、こちらはII区分へのステップアップはない。準社員からテーマパーク社員や正社員に雇用される場合もあるが、テーマパーク社員へは G / I / Cキャストで正社員からの推薦が必要になる。正社員への登用に至っては I / Cキャストでマネージャー職の正社員からの推薦が必要と非常にハードルが高く、ごく一部だけの実績があるだけである。2008年(平成20年)に正社員にまで昇り詰めた準社員は数名程度である。そのため、テーマパーク業務の知識を持たない正社員が増えてしまっている現状がある。しかしながら、東証一部上場企業の正社員にアルバイトからなることを考えれば相応のハードルであり、ファーストフード店やコンビニエンスストアなどといった、数千から数万規模の店舗を有し、店舗数に応じて社員が必要不可欠である上場企業とは単純に比較できない。OLCが公表している、2007年(平成19年)4月1日現在のテーマパーク社員・準社員数は16,200名。職種による差はあるが、準社員の入れ替わりは激しい。入れ替わりが激しい理由としては、仕事の負担感に比して時給が安いなどの現実的な面と、学生の場合は授業やゼミなど学業、そして就職等との兼ね合いで辞めざるを得なくなるケースも多い。ただ、一旦辞めても期間を置いて「再入社」という形で戻ってくるキャストも多く、中には退職・再入社を何度も繰り返す者もいる。これは、退社後一年以内の再入社は、以前の累積勤務時間が引き継がれ、時給の昇給や前述の職級等で有利になるためである。また、他の職種に鞍替えしたい場合には一旦退職して、面接からやり直さなければならないことも退職・再入社が多い一因となっている。コスチュームはワードローブ(衣装箪笥)ビルですべて貸し出しとなっており、イシュー・カウンターよりコスチュームを借り(人手を介する煩雑さを解消するため、RFIDが導入されて、一旦貸与がされたら後は保管所から自分で手続きして返還・帯出ができる様になった)、イシュー・ロッカー内のドレッシング・ルーム(この場合は更衣室)で着替えて仕事に就く。なお、コスチュームに着替えて勤務するキャストには「着替手当」が付く。また、ショー出演者(エンターテイナー)の着替えや着付け等は、エンターテイナー専用のドレッシング・ルーム(楽屋)でおこなわれているため、通常のキャスト(準社員、テーマパーク社員、正社員のすべてを含む)は担当部署のキャスト(エンターテイメント関連)でなければ見ることも関わることもできない。これにより、多くの他の部署の準社員が入れ替わりが頻繁に行われても、エンターテイメント関連の秘密が流出せずに保持されるよう徹底した管理が行われている。OLCは、ディズニーとの契約上、TDRの運営企業としてCMや広告などには一切その企業名が掲載されない。ただし、求人広告には労働関係法規のため、またパークの入場と宿泊をセットにした「東京ディズニーリゾート・バケーションパッケージ」関連の配布用印刷物等にはOLCが第二種旅行業(横浜市にあるTDR総合予約センターが店舗として神奈川県に登録されている。登録番号は神奈川県知事登録第2-783号)として予約受付を行うため、旅行業法等によりその企業名が記載されている。また、広告の出稿はディズニーではなく、OLCが行っている。新聞では主に全国紙に掲載される。まれに地方紙にも掲載されることがある。参加企業の広告と抱き合わせで掲載されることもある。雑誌については、Hanakoなどの総合情報誌のほか、ZAITENなどビジネス誌にも出稿している。スポットCMは、首都圏の民放キー局及び首都圏以外の政令指定都市(特に静岡県など)を中心に放映されており、新規アトラクションの告知やイベントの告知、TDLもしくはTDSの施設全体の宣伝など、内容は様々である。地方では、新規アトラクション導入か、春などの閑散期、夏休みなどの繁忙期を除いてスポットCMはめったに放送されない。なお、スポットCMの取り扱いについては、広告代理店にすべて委託されている。以前は特定の番組のスポンサー(全国ネット)になるということはめったになかったが、2006年(平成18年)秋ごろから、全国ネットのテレビ番組にスポンサーとして広告出稿を行っており、提供クレジットに「Tokyo Disney Resort」のロゴを出すようになっている。ちなみに、TDL開園前もCMは流された。TDLのテーマソングである「東京ディズニーランド・イズ・ユア・ランド」("Tokyo Disneyland Is Your Land" )にあわせてパークの風景が出され、最後は前売券の販売告知になっているものであった。なお、これは麻木久仁子のCMデビュー作でもある。また、TDS開園前には、「ディズニーの海へ」と題して、テーマポートと同じ数である7種類のCMが放映された。なお、このCMはOLCが一社提供でスポンサーを務める「夢の通り道」(日本テレビ)の中で再度放映された。2008年(平成20年)9月現在、JFN系列のラジオ局において「共通時報」を提供している。また、2008年(平成20年)9月15日にはTOKYO FMのラジオ番組「東京ディズニーリゾートpresents 25th Anniversary FANTASTIC AUTUMN!」を一社提供した。ベイエフエムでは1991年(平成3年)より土曜・日曜朝の「Disney Weekend Break(ディズニー・ウィークエンド・ブレイク)」、平日午前中放送の「IKSPIARI story(イクスピアリ・ストーリー)」を提供している(2010年代に終了)。また、2013年(平成25年)3月までは平日に時報スポットCMの提供もあった。首都圏の鉄道各駅に加えて、鉄道車内や吊り広告に広告が掲載される。このほか、キー局やチバテレでスポットCMが放送されている。TDL・TDS内にあるいくつかの施設(レストラン・アトラクション・サービス施設など)には、一業種一社を原則として、国内の大手企業がスポンサーとしてついている。これは、「参加企業制度」と呼ばれるもので、パーク内で配布されるパンフレットに企業名を掲載したり、施設の出入口などに企業名が記された看板を掲げたり、コマーシャルなどの広告宣伝活動にパーク内の風景やキャラクターを使用する権利を与える代わりに、企業から建設資金や運営資金などの援助を行うものである。なお、同様の制度は、キッザニア東京の「スポンサーシップ」(オフィシャルスポンサー・シアターサポーター・協賛企業)やユニバーサル・スタジオ・ジャパンの「コーポレート・マーケティング・パートナーズ」にも見られる。ただし、「コーポレート・マーケティング・パートナーズ」では一業種で複数の企業が参加している。ちなみに、この「参加企業制度」参加表明の第一号は、松下電器産業(現パナソニック)である。これは、創業者である松下幸之助が、ウォルト・ディズニーの思想に共鳴し、ディズニーランドの経営に強い興味を示したからである。その後、松下幸之助が日本の歴史を紹介するアトラクションとして、松下電器の提供でミート・ザ・ワールドを建設させた話は有名である(後に松下電器はこのアトラクションの提供を終了、2002年(平成14年)に運営終了)。またOLCから打診を受け、参加企業として参加表明をしたのはキリンビールが第一号である。なお、当時、松下電器もキリンビールも参加表明をしただけであって、スポンサー契約締結第一号は明治乳業である。また、スポンサー契約の一環として、日本航空を「オフィシャルエアライン」、JCBを「オフィシャルカード」としている。日本航空では、子会社であるジャルツアーズのパッケージツアー「JALSTAGE」で「JALで行く東京ディズニーリゾート」が独自に設定されており、ツアー利用客専用の羽田空港とパーク間の無料送迎バスをはじめ、ショー鑑賞券やディズニーキャラクターが使われている景品などの特典が用意されている。また、JALの羽田空港発着路線がある都市にはJALとOLC共同でプロモーション活動を行うこともある。一方、JCBは目立った特典といえば毎年12月に行われる、カード利用者を対象とした約3万人規模の「JCBマジカル」程度である。また、レジのそばにJCBのロゴとJCBカードが使える旨が書かれたプレートが貼られているため、パーク内ではJCBカードしか使えないと思っているゲストも少なくない(ただし1990年代までは本当にJCBカードしか使えなかった。園内にある三井銀行→さくら銀行(当時)のATMによるキャッシングのみ)。現在はJCB以外のクレジットカードも利用することができ、3万円未満の一括払いであればサインレスという点も同じで、利用する面で特にJCBが優遇されているようなことはない。一方で、JCBギフトカードをパーク内で利用することはできない(イクスピアリとディズニーホテルでは利用できる店舗が存在する)。ちなみに、世界のディズニーパークの中で、JCBがオフィシャルカードになっているのは東京ディズニーリゾートのみで、他のテーマパークではディズニーとスポンサー契約を結んでいる「VISA」がオフィシャルカードになっている。また、イクスピアリではオリコカードのブランドで提携カードを発行しているほか、非接触決済方式にはMasterCardのPayPassを採用している。また、東京ディズニーリゾート内で販売される商品に、参加企業のロゴマークを付ける事例もある。現在、東京ディズニーリゾートで販売されている菓子などの食品には、製造者名ではなく、OLCが各製造会社に割り当てたコードだけが明記されている。これは、購入客からのすべての問い合わせをOLCが管理するためである。ただし、回収や代金払い戻しなどの場合は製造者名を公表する。しかし、参加企業である「ユーハイム」が製造した商品には製造者名は明記されてはいないものの、ユーハイムのロゴマークや、ユーハイムが東京ディズニーリゾートの参加企業であることを知らせるメッセージが印刷されている。なお近年では、この参加企業制度に対して、費用に見合った広告宣伝効果があるのかと疑問視する声があることも事実で、2006年(平成18年)9月には6社が同時に契約更新を打ち切るなど、その影響がすでに見られている。また、この事態に対応するため、OLCは、従来は禁止していた「商品名」を記した看板を設置できるよう、スポンサー契約条件の緩和などを検討している。ちなみに、海外のディズニーパークでも各国の大手企業がスポンサーとしてついている。中には、本田技研工業のように香港ディズニーランドなどの海外のディズニーパークとだけスポンサー契約を結んでいる企業もある。2008年(平成20年)4月16日の千葉日報の記事によると、TDL25周年の記念式典の後に行われた記者会見の中で、OLCの加賀見俊夫会長が、ディズニーブランドの施設を東南アジアに建設する計画があることを発表している。場所や規模、建設時期についての明言は避けたが、すでに調査が進められているとのことである。アジア地区にはすでに東京に加えて香港にもディズニーパークがあるが、加賀見会長はそれら施設とのすみわけは十分可能であると述べた。加えて私見として、スキーやスイミングなどの参加型施設の展開も視野に入れていることを明かした。ただし、下記の新規事業計画の断念に、この計画も含まれる可能性はある。OLCは2007年(平成19年)5月に「中期経営計画」を発表した。その中で、2011年(平成23年)3月までに首都圏以外の大都市中心部において、ディズニーと屋内型エンターテイメント施設を共同開発する目標を掲げていた。2008年(平成20年)1月1日の西日本新聞の記事によると、OLCが世界初業態の屋内型娯楽施設を、福岡市内にも開設する方向で候補地の最終調整に入ったこと、場所は福岡地所が運営する「キャナルシティ博多」の東側に一帯約1ヘクタールに建設が予定されている「第二キャナルシティ(仮称)」が最有力で、九州新幹線鹿児島ルートが全線開業する2011年をめどに開設する意向と報じられた。新施設の内容はディズニーとも協議中で未定だが、既存のテーマパーク型ではなく、建物内部でディズニーキャラクターを使ったショーや飲食、物販の提供を中心に据える方針とのことであった。絶叫型のコースターは設置しない方向という。オリエンタルランドの投資額は200億から300億円の見通し。入場者は年間数百万人を想定している。ただし、大阪への進出計画と同様に、OLCは「具体的なことは何も決まっていない」と発表していた。2008年(平成20年)10月7日、OLCは規模に見合った収益が見込めず、事業性が乏しいことを理由に、ディズニーと屋内型エンターテイメント施設を共同開発する目標を断念し、計画の検討作業を終了することを明らかにした。2008年(平成20年)12月5日、OLCは日本郵政とJR西日本が共同開発し、2012年開業予定のJR大阪駅前大阪中央郵便局改築を核ととする再開発超高層複合ビル内に建設される劇場をOLCがテナントとして経営・運営することを正式に発表した。上演内容は「これから検討する」としており、一部の報道であったディズニーやシルク・ドゥ・ソレイユの公演については「現在のところは無い」と発表している。しかし、再開発ビルの開業時期が遅れる見通しとなったことから、2010年(平成22年)5月18日に契約を解除した。
出典:wikipedia
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