妙国寺(みょうこくじ)は、大阪府堺市堺区にある日蓮宗の本山(由緒寺院)。山号は広普山(こうふさん)。幕末に起こった堺事件ゆかりの寺として知られる。開基は三好之康(三好実休)。開山は日珖。妙國寺とも書く。正親天皇の永禄11年(1568年に、当時四国の阿波、讃岐より兵を起こして、畿内を支配していた三好氏家臣・三好之康(実休)の帰依を受け、日珖の父である堺の豪商であった油屋伊達常言、兄の常祐が協力して大蘇鉄を含む東西三丁南北五丁の土地を、開山である日珖に寄進し、此処に常塔伽藍を建立寄進して、広普山妙國寺と称し、皇室より勅願所と定めた。寺名は日祝の号である「妙國院」による。現住は51世岡部日聡貫首(大阪市海宝寺より晋山)。堺法縁縁頭寺。元亀2年(1571年)に本堂竣工。天正11年(1583年)までに広大な寺地に14の坊、南北の学問所などを備えた伽藍が円成する。元和元年(1615年)の大坂夏の陣、大阪落城に際し豊臣の将大野道犬は、徳川家康妙國寺にありと聞き、乱入諸堂に火を放ち全山灰陣燼と化す。その後、寛永5年(1628年)に本堂再建、続いて祖師堂、三重塔【明暦2年(1656年)に建立だが、堺市史では万治元年(1658年)に建立】、寛文2年(1662年)に表門、寛文5年(1665年)に書院、元禄9年(1696年)に宝蔵、正徳元年(1711年)に客殿と鐘楼、方丈、勅使門、経蔵、徳正殿、その他支院等旧観を再現した。しかし、第2次大戦の末、昭和20年7月10日に堺大空襲による戦火で再び大半を焼失した。昭和48年、本堂を再建し現在に至る。境内の大蘇鉄は国指定の天然記念物(1924年12月9日指定)である。樹齢1100年余と云い、次のような伝説が残っている。織田信長は、その権力を以って、天正7年(1579年)、この蘇鉄を安土城に移植させた。あるとき、夜更けの安土城で一人、天下を獲る想を練っていた信長は庭先で妙な声を聞き、森成利に探らせたところ、庭の蘇鉄が「堺妙國寺に帰ろう、帰ろう」とつぶやいていた。この怪しげな声に、信長は激怒し士卒に命じ蘇鉄の切り倒しを命じた。しかし家来が斧で蘇鉄を切りつけたところ、みな血を吐いて倒れ、さしもの信長もたたりを怖れ即座に妙國寺に返還した。しかしもとの場所に戻った蘇鉄は日々に弱り、枯れかけてきた。哀れに思った日珖が蘇生のための法華経一千部を誦したところ、蘇鉄が「鉄分のものを与え、仏法の加護で蘇生すれば、報恩のため、男の険難と女の安産を守ろう」と告げた。そこで日珖が早速門前の鍛冶屋に命じて鉄屑を根元に埋めさせたところ、見事に蘇った。寺では御堂を建て、守護神宇賀徳正竜神として祀っている。爾来、これを信じる善男善女たちが安産を念じ、折れた針や鉄屑をこの蘇鉄の根元に埋める姿が絶えない。日蓮宗は昭和16年に本末を解体したため、現在では、旧本山、旧末寺と呼びならわしている。大阪府堺市堺区材木町東4丁1番4号
出典:wikipedia
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