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エリモシック

エリモシックとは日本の元競走馬・繁殖馬。馬名の由来は冠名に「気品・上品」を表す「chic」。(1996年優駿牝馬レースプログラム)1996年春の阪神でデビュー。初戦こそ4着に敗れたものの、次の新馬戦とはなみずき賞(500万下)を連勝し、オークスの出走権を賭けて4歳牝馬特別に出走した。4歳牝馬特別では後方待機から強烈な末脚を繰り出して3着に入り、オークスへの優先出走権を手にした。オークスではエアグルーヴに次ぐ2番人気に支持されるものの6着に敗れた。秋は9月の函館の津軽海峡特別(900万下)から復帰、この時は5着に敗れたものの、続く京都で行われた嵯峨野特別(900万下)を快勝し、秋華賞に挑んだ。秋華賞ではファビラスラフインの2着と健闘したが、その後のエリザベス女王杯では古馬の壁に跳ね返されて8着に終わった。古馬になったエリモシックはオープン特別の都大路ステークスから復帰したが6着、テレビ愛知オープンでは1番人気に推されたが10着と大敗してしまう。続くマーメイドステークスでも7着に敗れたエリモシックは、札幌遠征を期に主戦騎手を河内洋から的場均へ変更した。的場はエリモシックの特徴を生かすため、最後方から追い込む競馬に専念することになった。その結果、エリモシックは札幌日経オープンで3着になると、札幌記念でもエアグルーヴの2着に入り、復調した。そして府中牝馬ステークス4着を経て迎えたエリザベス女王杯では、後方から追い込み、連覇を狙ったダンスパートナーをクビの差で交わして優勝。初重賞制覇をGI制覇という最高の形で飾った。翌1998年もエリモシックは現役を続けたが、大阪杯5着を最後に現役を引退し、繁殖生活に入った。引退後、エリモシックは繁殖馬として2013年まで活躍し、その後は北海道浦河町にある本桐牧場で功労馬として余生を過ごしていた。が、2014年7月頃から体調を崩し、同年8月6日午後3時(JST)、両肺からの出血による呼吸不全のため、同牧場で死亡した。享年21歳だった。母親を越える産駒は未だ出ていない。2013年にワークフォースの仔を産んだのを最後に繁殖を引退。その後はフォスターホースとして余生を送っていた。後年、エリザベス女王杯優勝時の鞍上だった的場均は自らの著書「夢無限」(流星社)の中で、このエリザベス女王杯を振り返った記述をしている。それによるとエリモシックとダンスパートナーは脚質(両馬とも後方から行く追い込み脚質)や能力が互角だったため、勝つには慎重に乗る必要があったこと、またこのレースは的場自身にとって会心のレースだったと記している。全妹のエリモピクシーの産駒にリディル(デイリー杯2歳ステークス、スワンステークス)、クラレント(デイリー杯2歳ステークス、富士ステークス、東京新聞杯、エプソムカップ、関屋記念、京成杯オータムハンデキャップ)がいる。

出典:wikipedia

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