曇徴(どんちょう、生没年不詳)は、7世紀に高句麗から渡来した僧である。『日本書紀』には、次のような記述がある。近年まで、製紙の記述がここにおいて初出するという理由から、一般に曇徴は日本における製紙の創製者とみなされてきた。しかし、仮に曇徴によって初めてもたらされたのなら、碾磑の場合と同様にそう記されていたはずである。寿岳文章はその著書『日本の紙』の中で、諸文献を精査した上で、この記述は僧侶でありながら、儒学にも通じ、工芸面にも暗くなかった曇徴への讃辞であり、彼が絵具や紙墨を初めて作ったという意味に解するよりも、その製作にかけてはなかなかの達人であった、と取るのが妥当であるとしている。戸籍用紙などの多くの紙を必要とする国家機構の整備が、この時代にはすでに始まっていたことも、曇徴以前に製紙技術が伝わっていた可能性を支持している。日本書紀には、この部分以外に曇徴の記述はない。『聖徳太子伝暦』(917年、または992年成立)には、聖徳太子が曇徴を斑鳩宮に招いて、その後に法隆寺に止住させたとある。しかし、当該書は後世に盛んに書かれた神話的太子伝の集大成であり、史実性は認められていない。一方、近年韓国では、法隆寺金堂壁画は曇徴の手によるものと主張されることがあり、国定の歴史教科書にも記述されている。しかし、それを支持する史料は一切なく(また現在の法隆寺は7世紀後半に再建されたものである)、俗説の域を出るものではない。
出典:wikipedia
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