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ヒシナタリー

ヒシナタリーは日本の元競走馬、元繁殖牝馬。アメリカ産まれの外国産馬である。(旧表記)4歳時に牝馬の身で古馬に果敢に挑戦を繰り返し、ヒシアマゾンの後継馬と呼ばれた。馬名の由来は冠名「ヒシ」にフリオ・イグレシアスの代表曲「黒い瞳のナタリー」。1995年の暮れの中京競馬でデビューし、翌1996年に3戦目で初勝利を挙げる。続いて若駒ステークスに出走すると紅一点ながら強い勝ちっぷりを見せる。そしてエルフィンステークス3着を挟んだフラワーカップで初重賞制覇。しかし続く忘れな草賞で単勝1.2倍の断然支持を受けながら2着に敗れてしまう。そして迎えたNHKマイルカップでは決め手を欠いて6着。巻き返しを図った白百合ステークスでも7着に敗れる。しかし陣営は3歳牝馬でありながら宝塚記念に出走させる。人気は無かったものの4着と大健闘をした。その後小倉記念、ローズステークスと連勝。宝塚記念での4着がフロックではない事を証明した。こうして秋の秋華賞では同世代の優駿牝馬(オークス)優勝馬エアグルーヴを脅かす存在にまでクローズアップされるが、秋華賞へ向けての調整中に体調を崩してしまう。これが影響したのか、本番では2番人気に支持されたものの11着と惨敗。そしてエリザベス女王杯をパスし果敢にジャパンカップに出走。ここで世界の強豪を相手に7着とまたも健闘をした。そして暮れの阪神牝馬特別でこの年4つ目の重賞勝利を挙げる。翌1997年はオーストラリアトロフィーから始動。前年の実績が買われて1番人気に推されるが、最下位の殿負け。競走中に故障していた事が発覚し、検査の結果で「屈腱断裂」が判明。競走能力喪失という結果となってしまった。しかし繁殖牝馬としての生活には影響が無いとの事でそのまま引退し、繁殖入りした。当初は静内町の出羽牧場で繁殖入りし、1999年にヒシマグナム(父ナリタブライアン)を出産した。その後アメリカに里帰りし繁殖生活を送っていた。2003年に出産し日本に輸入されたヒシワンスモア(父Touch Gold)が、2007年7月21日に小倉競馬場で行われた有明特別に勝利した。この勝利は鞍上の武豊騎手にとってJRA新記録となる通算2944勝目の勝利となり、記録達成をアシストしたこととなった。2005年に出産し、後に日本に輸入された産駒は、2007年9月20日付でヒシディーバ(父Fusaichi Pegasus)という名でJRAに競走馬登録された。2007年に再び輸入され、千歳市の社台ファーム本場で繋養された。2009年にはディープインパクト産駒の牡馬を出産した。2012年に繁殖を引退し、中村雅明牧場で余生を過ごしている。従姉妹にカナダ史上屈指の名牝Glorious Song、4代母Skylarkingの仔に本邦輸入種牡馬カリムがいる。

出典:wikipedia

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