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ジオット・キャスピタ

ジオット・キャスピタ("JIOTTO CASPITA" )とは、1988年に服飾メーカーのワコールの出資で設立された会社「ジオット」が企画し、レーシングコンストラクターの童夢が開発・製作を行なったスポーツカー(スーパーカー)である。「公道を走るF1マシン (F1 ON THE ROAD) 」を謳い、斬新な空気力学と美しいデザインは当時のスーパーカーのデザインをリードしたが、1990年代初頭のバブル景気崩壊の影響を受けて量産にはいたらなかった。1986年、童夢社長の林みのる、ワコール社長の塚本能交、富士重工業(スバル)ラリーチーム監督の高岡祥郎という3人が銀座で酒を酌み交わした際、林がコースターの裏に書いたスポーツカーの絵が計画の発端となる。林は塚本に資金提供、高岡にエンジン供給を依頼した。ワコール創業者の塚本幸一は当時林の岳父であり、ワコールと童夢はレース活動におけるスポンサーとチームという形で深いつながりがあった。当時、ワコールは事業拡大計画の一環として男性用ブランドを立ち上げ、アパレル・AV機器・化粧品・カメラなど各業種へのライセンスビジネスを展開しようとしていた。スポーツカーはそのイメージコアとして、ブランド価値を高める目的を持つことになった。1988年1月にワコール・スポーツカー・プロジェクト (WASCAP) を発表。スバルとイタリアのモトーリ・モデルニが共同開発するF1用3.5リッター水平対向12気筒エンジンを搭載することも決定した。同年夏に製造母体のジオット社(ワコール出資)、デザイン担当のジオット・デザイン(童夢出資)が設立され、1989年春に最終デザインと「キャスピタ」の名が決定する。社名 (JIOTTO) はイタリアの画家ジョット・ディ・ボンドーネにちなんだもので、車名 (CASPITA) はイタリア語で"驚き"をあらわす間投詞から命名された。エンブレムは始祖鳥をインカ文明風にデザインしたもの。1号車は1989年9月末に完成し、松本恵二のドライブでシェイクダウンが行なわれた。10月の第28回東京モーターショーではスバルの展示ブースにて参考出品という形で発表され、1991年の市販開始を予定して更なる開発が続けられた。童夢-零では市販化の壁となった運輸省への認可申請も、イギリスで生産する輸入車という形でクリアした。同時期に開発されていたヤマハ発動機のOX99-11とともに、日本初の量産スーパーカーとして期待された。しかし、エンジン供給元のスバルは、からコローニチームと組んでへF1へ参戦したものの、予備予選を1度も通過できないまま半年で撤退し、モトーリ・モデルニとの提携を解消した。その結果、スバルはキャスピタ・プロジェクトからも撤退し、残されたワコールと童夢は新たなパワーユニット捜しを行わなければならなくなった。日産製のV6ターボやホンダ製のF1エンジンなど様々な検討が行われたが、結局はイギリスのレーシングエンジンビルダーであるエンジン・ディベロップメント製のF1用ジャッドV10エンジンが選ばれた。元々水平対向エンジンを搭載するよう開発されていた車体にV型エンジンを搭載することになったため、設計変更を余儀なくされた。また、ボディデザインも市販化に向けて一部修正された。2号車は1992年夏に完成し、イギリスの公道でテスト走行が重ねられた。1993年7月には日本のナンバープレートを取得した状態で再公開されたが、同時に童夢から市販化の予定がないことがアナウンスされた。すでに日本のバブル景気は崩壊しており、高級スポーツカーを少量生産して採算が取れるような状況ではなくなっていた。1989年に公開されたスバル-モトーリ・モデルニ製F12エンジン搭載車は、石川県小松市にある日本自動車博物館内で保存・展示されている。林の談話によれば、スバルの強い要望によりしぶしぶ実車を渡したところ、気がついたら博物館に寄贈されていたという。ジャッドV10エンジンを搭載した2号車は滋賀県米原市にある童夢の風洞施設「風流舎」内の倉庫に保管されている。1994年には「JIOTTO CASPITA〜世界でたった一台の車が走った日〜」というイメージCDが日本コロムビアから発売された(品番:COCA-11864)。PlayStation 2用テレビゲームソフト、『アウトモデリスタ』では前述した風流舎に保管されている仕様が登場した。車体は当時市販スポーツカーとしては前例のなかったカーボンコンポジットモノコック。童夢はグループCのトヨタ・88C-Vで、三菱レイヨンの協力によりカーボンモノコックを製作した実績を持っていた。単体重量は85kg。サスペンションはSHOWA製の減衰力可変ダンパーを装備し、最低地上高をレース時には70mm、一般路速行時には130mmに切り替え可能。ブレーキはブレンボ製のレーシングタイプ。スタイリングとデザインはジオット・デザインが担当し、チーフデザイナーの伊藤邦久がエクステリアデザインとインテリアデザインを担当した。ドアは跳ね上げ式(ガルウイング)で、昇降式ドアミラーがドア内部に格納される。空力設計は童夢がグループCで培ってきたノウハウをつぎ込み、フロントノーズ下の可動式スポイラー、リアデッキの昇降式スポイラー、床下のグラウンド・エフェクトなどによって、車体全体でダウンフォースを発生する。童夢は当初グループCカーへの転用を考えており、リアウィングを備えるクレイモデルも試作された。エンジンはスバルが開発中だった3,300ccの水平対向6気筒 (F6) ユニットをチューンする予定だったが、スバルはイタリアのモトーリ・モデルニと提携し、F1参戦にむけて3,497ccのV型180°12気筒エンジン(DOHC60バルブ)を共同開発する方針に転換した。このエンジンのルーツはカルロ・キティが1972年にアルファロメオ・33TT12用に設計したもの。公称600PS以上を公道走行用に450PS以上にデチューンし、ミッドシップに搭載する。最大トルクは37.0kgm/6,000rpm。ギアボックスはトラクション・プロダクツ(ワイズマン)と共同開発した横置き6速MT。ホイールはRAYS製のアルミホイール。タイヤは日本ダンロップ製の専用タイヤSP SPORT D40 M2を履く。2号車用のエンジンはからスクーデリア・イタリア(ダラーラ)に供給されていたジャッドGV(3497cc、72°V10、DOHC50バルブ)。これを最大出力585PS/10,750rpm、最大トルク39.2kgm/10,500rpmにデチューンして搭載した。車体側ではモノコック後部やリアサスペンション取り付け位置、ギアボックスに仕様変更が施された。横幅の広い水平対向エンジンに比べると、V型エンジンを搭載する方がディフューザーの空間確保ではメリットがあった。スタイリングも生産性や当時の保安基準に合わせてリデザインが施された。ドアミラーは固定式になり、フロントの可動式スポイラーや2灯プロジェクターランプは廃止された。また、リアカウルの分割ラインも変更されている。ボディカラーは1号車のシルバーに対し、2号車はクリーム色に塗られた。

出典:wikipedia

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