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なだいなだ

なだ いなだ(1929年6月8日 - 2013年6月6日)は、精神科医・作家・評論家。日本テレビ放送番組審議会委員。本名は堀内 秀(ほりうち しげる)。「なだいなだ」はペンネームで、スペイン語の "nada y nada"(何もなくて、何もない)に由来する。東京生まれ。両親は蒲田で小さな酒屋をやっていたが、大震災で店が燃えてしまったので、酒屋に見切りをつけて、御嶽山と呼ばれる田園地帯(現・東京都大田区)に移り、自宅を建てた。家の周りはじゃがいも畑だらけだった。父は耕地整理組合に勤めた。1942年旧制の私立麻布中学に入学。同級生に小沢昭一、フランキー堺、加藤武、仲谷昇、2年上に北杜夫、3年上に奥野健男、五年上に吉行淳之介がいた。戦争が始まってインフレになると、進学資金として父が貯めてくれていたお金が紙くず同然になった。それで親の負担を軽くするために、授業料がかからず給料までもらえる陸軍幼年学校に行くことにした。配属は仙台陸軍幼年学校だった。上級生によくぶん殴られたため、あまりいい思い出はない。敗戦後、麻布中学に復学。数学者になろうと思ってを受けたが、落ちた。あまり医者にはなりたくなかったが、医者の家系に育った母が勧めるので慶應の医学部予科を受験、27倍という高い倍率だったが合格した。大学時代にアテネフランセで学びフランス語が堪能で、フランス政府給費留学生制度により留学した。フランス人女性と結婚、日本に帰国し四女をもうける(夫人は、1970年代にNHKラジオのフランス語入門でゲストを務めたルネ・ラガーシュ)。小説家としては1959年から1967年にかけて、「海」「帽子を…」「神話」「トンネル」「童話」「しおれし花飾りのごとく」の6作で芥川賞の候補に上るが受賞ならず。これは、阿部昭、増田みず子、島田雅彦らとともに最多落選記録である。著書『娘の学校』で、どんな小さな賞ももらわなかったのは誇りだと述べていたが、その『娘の学校』は、1969年婦人公論読者賞受賞。また75年に『お医者さん』で毎日出版文化賞受賞。医師としての専門は精神科医で、アルコール中毒(アルコール依存症)をメインテーマとしていた。井の頭病院を経て国立療養所久里浜病院に勤務。1961年に慶應義塾大学で医学博士号取得。学位論文は「非定型的循環病を中心としたいわゆる内因性精神病に関する考察」。1988年から1990年まで明治学院大学国際学部の教授を務め、人間論を講じる。2003年に筑摩書房から出版した『老人党宣言 :ISBN 4480863508』をきっかけに、インターネット上のヴァーチャル政党「老人党」を立ち上げ、活動をおこなった。元衆議院議員・参議院議員の上田哲・落語家立川流の家元立川談志・探検家西丸震哉が賛同、老人党東京を旗揚げした。2013年6月6日死去。自身のブログの6月6日付にて自身の体調について記述しているのが絶筆とされる。83歳没。

出典:wikipedia

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