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東武亀戸線

亀戸線(かめいどせん)は、東京都江東区の亀戸駅と墨田区の曳舟駅を結ぶ東武鉄道の鉄道路線である。ラインカラーは青色、駅ナンバリングの路線記号はTS 。2両編成の電車が、亀戸駅 - 曳舟駅間を往復する。平日朝ラッシュ時は3編成を使用し、約7 - 8分間隔で運行。それ以降および土休日は、深夜・早朝帯を除いて2編成を使用し、約10分間隔で運行されている。全列車各駅停車の普通列車であり、通過駅を伴う列車、途中駅始発・終着の区間運転や他路線への直通運転はない。全線でワンマン運転を実施している。駅のプラットホームにホームセンサーが設置されていて、このセンサーを用いて安全確認をしている。ワンマン化されてからは先にワンマン化された大師線と車両運用が共通化されたために、朝ラッシュ時のみ運行される編成が9時台に亀戸駅2番線に留置され、昼過ぎに西新井駅まで回送運行されて13時14分発大師前行きとして大師線の運用に入る。通常、曳舟駅では5番線での発着となるが、曳舟駅6時25分発亀戸行きのみ、春日部支所から回送で送り込まれるために4番線からの発車となる。東京と埼玉・群馬・栃木県を結ぶため1897年(明治30年)に設立された東武鉄道は、当初本所(業平橋)としていた起点を東京湾に近い越中島へ延長する計画を立てたが、越中島 - 本所 - 千住間は審査に慎重を要するとして、すぐには免許が下りなかった。そのため、日本鉄道海岸線(現・JR常磐線)の北千住駅を起点に久喜駅までが、1899年(明治32年)8月に東武鉄道最初の区間として開業した。東武鉄道は、再び北千住 - 越中島間の敷設願を、途中下大畑(曳舟付近)から分岐して小梅瓦町(吾妻橋駅として開業、後の浅草駅、現・とうきょうスカイツリー駅)まで、亀戸から分岐して本所までの支線を加えて提出した。免許は1900年(明治33年)6月に下り、その一部として、1902年(明治35年)には北千住 - 吾妻橋間が、1904年(明治37年)4月5日に亀戸 - 曳舟間が開業した。開業当初、中間駅は天神駅(現・小村井 - 曳舟間)のみであり、非電化で蒸気運転であった。亀戸 - 曳舟開業と同時に、総武鉄道(現・JR東日本総武本線)亀戸 - 両国橋(現・両国)間への直通運転を開始し、同日開業した両国橋駅に乗り入れた。これにより、東武鉄道の吾妻橋 - 曳舟間は廃止され、亀戸 - 曳舟間が本線格の扱いとなった。亀戸 - 本所間の免許は総武鉄道に乗り入れたことで不要となり同年9月に廃止した。その後、乗り入れていた総武鉄道の国有化を機に、ターミナルを吾妻橋駅に戻すことになり、1908年(明治41年)3月に吾妻橋 - 曳舟間が貨物線として再開。1910年(明治43年)3月に吾妻橋駅を浅草駅と改称して、同区間の旅客営業を再開すると、亀戸 - 曳舟間は支線となった。しかし、国鉄常磐線から北千住駅で連絡運輸を行う両国橋行きの貨物列車は引き続き亀戸線を経由した(詳細は「新金貨物線#沿革」を参照)。一方で、亀戸から越中島までの延伸計画も、敷設予定地の市街化が進み、用地取得が困難になってきたことなどから着手できず、1910年(明治43年)8月に免許が失効した。1911年(明治44年)には西平井(東陽町駅付近)までの延伸に計画を変更したが、免許取得までは至らなかった。さらには新橋駅までの延伸構想もあった。1926年(大正15年)7月1日、国鉄が総武本線の新小岩駅と常磐線の金町駅を結ぶ貨物専用の短絡線新金線を開通させたことで、国鉄からの貨物列車の直通はすべてなくなりローカル線となった。第二次世界大戦中は、東京大空襲により、中間駅が焼失、廃止・休止になった。戦後は、伊勢崎線沿線の開発に伴い、輸送客が伸びていた。その後1962年(昭和37年)5月31日、北越谷駅 - 人形町駅間での伊勢崎線・営団地下鉄(現・東京メトロ)日比谷線相互乗り入れ開始に伴い、都心への通勤ルートが大きく変化し、本路線の乗客は減少した。それ以来、特に大きな変化はなかったが、2003年(平成15年)3月19日に地下鉄半蔵門線が押上まで延伸開業して伊勢崎線・日光線との相互直通を始めると同時に、平日朝間帯の本数削減を中心としたダイヤ改正が行われた。全駅東京都に所在。

出典:wikipedia

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