亀田 大毅(かめだ だいき、男性、1989年(昭和64年)1月6日 - )は、日本の元プロボクサー。大阪府大阪市西成区天下茶屋出身。第42代WBA世界フライ級王者。第25代IBF世界スーパーフライ級王者。世界2階級制覇王者。亀田三兄弟の次男で、亀田興毅の弟であり、亀田和毅・亀田姫月の兄である。かつては父の亀田史郎がトレーナーを務めていた。兄の興毅と違い、左フックを得意とする右ボクサーファイター。小学生からボクシングを始め、天下茶屋中学卒業後はアマチュアの試合に出場し13勝(4KO・RSC)2敗。2004年5月に、史上最年少の15歳3か月で全日本実業団選手権バンタム級優勝。12月全日本社会人選手権準優勝、2005年11月、協栄ボクシングジムに入門。2005年9月14日、当時WBA世界フライ級王者のロレンソ・パーラ(ベネズエラ)とスパーリングを行った。その際、大毅は体当たりや頭突きなどのラフファイトを展開。これに激怒したパーラは、大毅を一方的に打ちまくり、スパーリングでダウン寸前まで追い込んだ。2006年1月11日、B級ライセンス(6回戦)のプロテストに合格。2006年2月26日のプロデビュー戦から10連勝を果たした。2007年10月11日にWBC世界フライ級王者の内藤大助(日本)に挑戦したが、大差の判定負けとなった。この試合での反則行為により1年間のボクサーライセンス停止処分を受けた。2008年5月9日付けで亀田興毅と共に協栄ジムとの契約を解除された。2人は東日本ボクシング協会に協会預かり申請をしていたが、6月9日の理事会で要請を却下することを全会一致で決定。その後、亀田ジム設立に伴い兄弟たちと同様にその所属選手となった。1年間のライセンス停止処分明けの2008年11月6日にノンタイトル10回戦を行い、アンヘル・レサゴ(メキシコ)を5回KOにより下して勝利し復帰戦を飾ると、次の2戦にもKO勝利を収めた。2009年5月13日に復帰4戦目の相手として内藤以来の日本人対戦相手として予定されていた元OPBF東洋太平洋フライ級王者の小松則幸(グリーンツダ)が2009年4月13日に死去。2009年10月6日、WBA世界フライ級王者デンカオセーン・カオウィチット(タイ)に挑戦するも、0-2の判定負けを喫した。2010年2月7日、WBA世界フライ級王者デンカオセーン・カオウィチットに再び挑戦し、3-0の判定勝ち。日本人初の兄弟王者となった。2010年9月25日、初防衛戦で元WBA世界フライ級王者坂田健史(日本)と対戦し、3-0の判定勝ちを収めて初防衛に成功した。2010年12月26日、さいたまスーパーアリーナにて同級14位のシルビオ・オルティアーヌ(ルーマニア)を迎えて2度目の防衛戦を行い、中盤以降に手数が少なくなったものの全体的にはパンチの的確性で上回り、12R判定(2-1)勝ちを収めて2度目の防衛に成功した。2011年1月6日、2010年12月26日に2度目の防衛に成功したWBA世界フライ級王座を、2011年1月1日付けで返上していたことが所属ジムより発表された。2011年9月24日、メキシコ・キンタナ・ロー州・コスメルのコスメル・コンベンション・センターでラウル・イダルゴ(メキシコ)とWBAインターナショナルスーパーフライ級王座決定戦を行い、1回2分20秒KO勝ちを収め王座を獲得した。2011年12月7日、大阪府立体育会館でWBA世界スーパーフライ級王者テーパリット・ゴーキャットジム(タイ)と対戦し、0-3(112-116、110-119、113-115)の判定負けを喫し2階級制覇に失敗した。2012年4月4日、横浜アリーナでポンペッチ・ソー・ソンポン(タイ)と54kg契約10回戦を行い、2回2分53秒KO勝ちを収め再起に成功した。2012年6月25日、後楽園ホールでジョバンニ・ソト(メキシコ)と55kg契約10回戦を行い、4回21秒TKO勝ちを収めた。2012年8月19日、サンメッセ香川でマイク・タワッチャイ(タイ)と55kg契約10回戦を行い、2回にフックとボディーの左連打からダウンを奪ったが、タワッチャイのクリンチにも苦しみ3-0(100-89、100-89、100-89)の判定勝ちを収めた。2012年12月4日、ボディメーカーコロシアムでインドネシアフェザー級王者ジェームス・モコギンタ(インドネシア)と55kg契約10回戦を行い、3-0(100-91、100-91、99-91)の判定勝ちを収めた。2013年3月9日、横浜文化体育館でファウスティーノ・クプル(メキシコ)と54.7kg契約10回戦を行い、6回43秒KO勝ちを収めた。2013年6月8日、名古屋国際会議場でアーロン・ボバディージャ(メキシコ)とバンタム級契約10回戦を行い、6回12秒TKO勝ちを収めた。2013年6月10日、同月8日にファン・カルロス・サンチェス・ジュニア(メキシコ)がロベルト・ソーサ(アルゼンチン)との指名試合で計量失格でIBF世界スーパーフライ級王座を剥奪され、試合には勝利したものの王座が空位となったことを受け、IBFから元IBF世界同級王者でIBF世界同級4位のロドリゴ・ゲレロ(メキシコ)とIBF世界スーパーフライ級王座決定戦を行うよう通達を受けた。2013年9月3日、サンメッセ香川で元IBF世界スーパーフライ級王者でIBF世界スーパーフライ級4位のロドリゴ・ゲレロ(メキシコ)とのIBF世界スーパーフライ級王座決定戦を行い、12回3-0(114-112、116-110、117-109)の判定勝ちを収め2階級制覇を達成した。因みにこの試合は、同年4月1日にJBCがIBF加盟して初めて日本国内でIBFの世界王座を懸けて行われた試合であった。また、亀田大毅はJBC公認以降の初めての日本人IBF世界王者(未公認時代にタイトルを獲得した選手を含めれば新垣諭、高山勝成に次いで史上3人目)となった。2013年12月3日、ボディメーカーコロシアムでWBA世界スーパーフライ級王者のリボリオ・ソリス(ベネズエラ)と王座統一戦を行う予定だったが、ソリスが体重超過でWBA王座を剥奪された為、IBF王座と空位のWBA王座を懸けた一戦として試合は通常に行われ、ソリスが勝てばWBA王座、IBF王座が共に空位となり、亀田が勝てばWBA王座とIBF王座が統一されるという条件下で試合は行われる筈だった。試合は亀田が1-2の判定負けを喫しWBA王座、IBF王座が共に空位となる筈が、IBFのリンゼイ・タッカーが会見を開き「ソリスが体重超過だったため、ルールにより大毅は負けてもチャンピオンとして残る」と明言し、WBA王座は空位となったものの、IBF王座は亀田が保持するという形になった。リンゼイ・タッカーが「大毅が勝てば王座統一、ソリスが勝てばWBAもIBFも王座は空位になる」と説明していたにもかかわらず、試合後に「IBFルールでは大毅が負けても王座は防衛」と説明を変更したこと、勝っても負けてもタイトルを保持できるルールを確認したのは計量日の夜。大毅本人も「試合までには確認していた」という亀田ジムの嶋聡マネージャーの説明、日本プロボクシング協会の大橋秀行会長が「日本が4団体に加盟し、今後統一戦は増える。しっかり危機管理をしていきたい」と信頼回復を訴えるなど大混乱を招いた試合は物議を醸す結果となった。2013年12月13日、IBFの最新ランキングが発表され、亀田大毅はIBF世界スーパーフライ級王者として名を連ねてはいるが、同月3日に王座を防衛したことにはなっていない為、初防衛は果たしていないが王座保持者であるとIBFの判断があったものだと推測される。2013年12月26日、自身の主演映画「ヒットマン 明日への銃声」(辻裕之監督)の発表披露会見に出席し、映画については「緊張は一つもしなかったけれど、セリフを覚えるのは大変だった。いい映画になったと思う」と語ったが、当初予定されていた取材対応はなく、ボクシングに関して無言を貫いた。2014年3月19日、IBF世界スーパーフライ級王座の返上を表明した。2014年3月27日、JBCが最新ランキングを発表し、亀田大毅は日本スーパーフライ級4位にランクインした。2014年4月8日、WBAが最新ランキングを発表し、亀田大毅はWBA世界バンタム級5位にランクインした。2014年4月17日、IBFが最新ランキングを発表し、亀田大毅の王座返上が反映され、IBF世界スーパーフライ級王座は空位となった。2014年5月12日、IBFが最新ランキングを発表し亀田大毅はIBF世界バンタム級3位にランクインした。2014年6月26日、JBCはランキング委員会を開き、亀田大毅は兄・興毅と共に半年以上試合間隔があき、かつ試合予定も立っていない選手はランキングの削除対象となるという内規に基づき、日本スーパーフライ級ランキングから除外された。2014年7月10日、IBFが最新ランキングを発表し、亀田大毅はIBF世界バンタム級ランキングから除外された。2015年9月6日、1年9ヶ月ぶりの試合をテキサス州コーパスクリスティのにてアンソニー・ディレルVSマルコ・アントニオ・ルビオの前座でビクトル・ルイスとバンタム級8回戦を行い、8回1-2(78-75、74-77、75-76)の判定負けを喫し再起に失敗した。2015年11月4日、左目の網膜剥離のため引退を宣言した。2009年10月、兄・興毅と揃って東京国税局の税務調査を受け、2007年までの3年間の個人所得について、1億円の申告漏れが発覚した。過少申告加算税なども含めた追徴税額は数千万円にのぼる。既に修正申告は済んでいる。2013年9月3日午前10時に当日計量を行うことがJBCに周知されていた。ところが、「亀田大毅陣営もロドリゴ・ゲレロ陣営も2時間前倒しして午前8時に行う意思があった」とIBFが確認、JBCに「午前10時におこなう予定だった当日軽量は午前8時に行うことに変更になった」と通知せず、IBFスーパーバイザー立会いの下、JBC不在の中で両陣営関係者の見守る中で亀田大毅とロドリゴ・ゲレロの当日計量を挙行。「選手の要望があれば2時間早く行う通例がある。当日計量はIBFのルールで、ローカルコミッションが立ち会わないのは普通のこと。連絡をしなかったのはこちらのミスだ」とのIBF会長の弁明に対し、当日計量に立ち会えなかったことに不快感を示していたJBCは「IBFは厳格と聞いていたのでその心づもりで居た。今回が初のIBF王座の世界戦で知るところもあった。今後に生かしたい。」と理解を示した。試合で使用するグローブに関してもゲレロ陣営が「それぞれが選べる」との文言が記載された契約書に、亀田ジムの吉井慎次会長がサインしたと正当性を主張し持参したカナダ製のグローブの使用を要求したのに対し、亀田陣営は「既に両陣営とIBF、JBCが日本製使用で同意した。」と訴え、最後はJBCが両陣営での調整を委ね、日本製のグローブを使用することで決着した。以上のような世界タイトルマッチ当日における紛糾は、物議を醸すこととなった。尚、この試合の裏で亀田陣営がJBC職員を監禁し「何で自分たちのためにIBFと戦ってくれないんだ!」と恫喝するという暴挙に出たとの疑惑が浮上してたが、この試合の試合前記者会見後、ゲレロ陣営が日本製のグローブではなくカナダ製のグローブの使用を決めたことに不満を持った亀田大毅の兄でこの試合が行われた当時WBA世界バンタム級王者だった元世界3階級制覇王者の亀田興毅、亀田大毅の弟でWBO世界バンタム級王者の亀田和毅と亀田ジム関係者2人がJBC職員が会見室から退室するのを妨害し、報道関係者を会場外に出し、JBC職員3人を残して全ての扉を閉め、興毅から「おかしいじゃないか」と脅され、外に出ようとしたところ和毅から首などを数回小突かれるといった暴行や恫喝をされて精神的苦痛を受けたなどとして興毅、和毅、亀田ジム関係者2人の計4人を相手取り、1000万円の損害賠償を求める訴訟を東京地裁に起こしたことを上述の会見室から退室するのを妨害されたJBC職員3人のうちの1人のJBC職員の男性が2014年2月7日に記者会見を開き明らかにした。「すごいプレッシャーを感じ、怖かった」と述べるも「正義を貫くために訴訟に踏み切った」と話した。尚、試合で使用するグローブは亀田大毅、ロドリゴ・ゲレロの双方が「それぞれが選べる」という契約内容だったとのこと。JBC職員の男性が亀田興毅、和毅兄弟ら4人を提訴したのは2014年2月6日付である。2013年12月2日に行われたWBA・IBF世界スーパーフライ級王座統一戦で、IBF世界スーパーフライ級王者亀田大毅が敗北したにも関わらず、事前説明とは異なり失冠せずに王座を保持し続けた。この問題について、2014年2月4日にJBCは倫理委員会と資格審査委員会を開催し、亀田陣営を処分することを決定、翌5日に吉井慎次会長の持つクラブオーナーライセンスと嶋聡マネージャーのマネージャーライセンスの更新を認めない方針を固めた。同月7日にJBCは記者会見を開き、吉井慎次会長の持つクラブオーナーライセンスと嶋聡マネージャーのマネージャーライセンスの更新を認めないと発表した。吉井と嶋は2013年12月31日にライセンスの更新を行っていない為にライセンスが失効中で、JBCの慣例では遅れての更新も認められるのだが、吉井のクラブオーナーライセンスの更新が認められず、嶋のマネージャーライセンスの更新も認められない為、事実上の資格剥奪処分となった。この処分で亀田ジムは活動停止となり、興行を開催できないだけでなく、選手のライセンスはジムを通してしか申請出来ない為、亀田興毅、大毅、和毅が保持するボクサーライセンスも実質的に失効となり、事実上の追放処分となった。2014年3月19日、IBF世界スーパーフライ級王座の返上を表明した。
出典:wikipedia
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