海本 幸治郎(かいもと こうじろう、1977年10月14日)は元プロサッカー選手。ポジションはDF。兄の海本慶治も元プロサッカー選手。1996年にガンバ大阪に入団。年代別日本代表にも招集される期待の若手選手だったが、1997年末以降は骨折を繰り返し、2000年にクラブから戦力外通告を受けた。2001年にKリーグの城南一和に移籍して日本人初のKリーガーとなる。1997年末から数えて計8回の骨折とリハビリの末に2001年10月にKリーグでのデビュー戦に出場した。この試合は自身3年ぶりの公式戦であると同時に、城南がリーグ優勝を決めた試合でもあった。翌2002年は出場機会も増え、Kリーグ連覇に貢献した。2003年、兄・慶治も在籍する名古屋グランパスエイトに移籍。当初、ズデンコ・ベルデニック監督は海本をセンターバックの駒として考えており出番に恵まれなかったが、人数不足から右アウトサイドとして出場したサテライトの試合でのプレーが高く評価され、シーズン途中から右アウトサイドのレギュラーに定着した。2005年より兄・慶治と揃ってアルビレックス新潟に移籍した。出場機会を求めて2006年5月31日に東京ヴェルディ1969に移籍した。2008年にはグロインペイン症候群を発症。4月28日に都内の病院で手術。その間に福田健介の台頭もあって公式戦の出場はなく、11月末に契約の非更新が発表された。2009年7月4日、ニューサウスウェールズ・プレミアリーグのボニーリグ・ホワイト・イーグルスへ移籍。2009年8月5日、オーストラリアのノースクイーンズランド・フューリーFCへの移籍が決まった。2009年10月22日、自身のオフィシャルブログで引退を表明した。主なポジションはディフェンダーおよびミッドフィールダーの右アウトサイド。フィジカルとスピードが非常に強く、サイドからの突破力に定評がある。ユース経歴プロ経歴79||5||22||0||1||0||102||552||1||colspan="2"|-||1||0||53||1
出典:wikipedia
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