郵政国会(ゆうせいこっかい)は、郵政民営化法案が審議採決された第162回通常国会と第163回特別国会の通称。2005年1月21日、小泉純一郎内閣総理大臣は施政方針演説で通常国会で郵政民営化法案を提出することを宣言。3月から4月にかけて自民党部会で議論に入る。4月26日、自民党郵政合同部会で園田博之座長が「党五役と政府の合意事項を反映した法案にはいくつか問題がある。法案の修正を前提として部会了承としたい」として、部会での議論を打ち切った。5月20日、衆議院本会議において「郵政民営化に関する特別委員会」が設置された。その後、5月26日、衆議院本会議において、内閣提出の郵政6法案(郵政民営化法案・日本郵政株式会社法案・郵便事業株式会社法案・郵便局株式会社法案・独立行政法人郵便貯金・簡易生命保険管理機構法案・郵政民営化法等の施行に伴う関係法律の整備等に関する法律案)の趣旨説明が竹中平蔵国務大臣によって行われた。6月17日、自民党参議院執行部の意向により、55日間の会期延長を衆議院本会議で決議。これによって会期終了日は6月19日から8月13日となった。6月28日、自由民主党総務会において持株会社による郵便貯金銀行と郵便保険会社の株式の継続保有を可能とする修正案が提示される。久間章生総務会長の議事の元で修正案が全会一致の慣例を直前に変更して、初の多数決採決により賛成7票・反対5票で可決された(内訳は#自民党総務会での採決を参照)。自民党は党則において総務会決議は多数決採決と明記されているが、禍根を残さないために事前の根回しを経て全会一致の可決が慣例であった。衆議院郵政民営化に関する特別委員会において、反対派の委員を賛成派の委員に差し替えた後で、7月4日に委員会採決を行い可決された。その際、郵政民営化法案は自民党総務会決議の意向に沿う形で与党である自民党および公明党によって一部修正された。7月5日、本会議で採決が行われた。自民党から反対37票・棄権14票と造反が出たが、賛成233票・反対228票という僅差で可決された(内訳は#郵政法案に反対・棄権した自民党議員を参照)。与党以外は坂本哲志(自民系無所属)が賛成票を投じ、産休によって高井美穂(民主)が、療養中を理由に徳田虎雄(自由連合)が欠席した以外は、全員反対票を投じた。小泉純一郎総理は票差が5票だったことを受けて「際どい勝負だったね」と記者団に語っている。反対派の亀井静香は「第一ラウンド(衆議院)はノックアウトできなかったが、第二ラウンド(参議院)はノックアウトさせる」と参議院での廃案化に意欲を示した。「小泉自由民主党体制・郵政民営化」反対派は、「王道会」という勉強会を作った。会長には綿貫民輔が就任した。7月14日の勉強会では衆議院議員49名、参議院議員10名が出席した。ただ、この時の参議院自民党には衆議院における綿貫民輔や亀井静香のような大物議員がおらず、参議院自民党において法案反対結集勢力のリーダーが存在しない状況であり、法案可決成立は微妙であった。7月13日、参議院で郵政民営化法案の審議が開始された。小泉首相は郵政民営化法案が否決された場合には、衆議院解散をして総選挙で民意を問うことを明白に示唆し始める。また、同日、自民党の衆議院議員13名によって、「党内融和」を目的とする会合が開かれた。この会合では、「かつて自由民主党が野党になった時の惨憺たる経験を繰り返してはならない」という方針のもと、参議院で郵政民営化法案が否決された場合、衆議院解散・総選挙を回避する様に求めた。その際、反対派の議員たちは、自民党執行部からの賛成の説得を受けないようにすべく、直前まで反対を明言しない、「ステルス作戦」を行うようになる。また会合には法学者の長谷部恭男が招かれ、長谷部は参議院で法案が否決されたから衆議院を解散するのは憲法違反だと述べ、出席者の大きな共感を呼ぶ。7月20日には、小泉純一郎総理は「今のところ確実に反対するのが10人前後、反対の可能性のある人は20人前後ではないか」という票読みをした。同日、青木幹雄党参議院議員会長(執行部・郵政民営化賛成派)と綿貫民輔(郵政民営化反対派)らが東京都内で会食を行っている。また、参議院での採決が近づくにつれ、「(民営化法案が廃案になった際の)衆議院解散」の方に議員の関心が傾いていった。同時に、自民党内からは、「解散反対」の意見が噴出した。8月1日、自民党総務会決議で反対票を投じたが衆議院本会議で賛成票を投じた自民党の永岡洋治衆議院議員が自宅にて自殺をしていたのが発見された。8月5日、参議院郵政民営化特別委員会において採決され、自民党および公明党の賛成多数で可決された。その際、郵便局のネットワーク維持や日本郵政公社の分割民営化後も一体経営を確保するための配慮を政府に求める計18項目の附帯決議を採択した。これは、郵政民営化反対派に対する配慮として注目された。なお、同日、自由民主党の中曽根弘文参議院議員(中曽根康弘元首相の長男)は、「法案に反対する」と宣言した。自民党執行部は、「中曽根弘文参院議員は法案賛成にまわり、反対派を牽制してくれる」と考えていたため、この「反対」の意志を示したことは執行部にとって想定外であった。また、中曽根が反対派に回ったことで、中曽根が参議院における反対結集勢力のリーダー的存在となり、否決の公算が一気に強くなっていった。自民党内では解散総選挙をすれば党内に遺恨を残し、選挙で自民党が負けて下野するとの懸念があったため、法案修正案や継続審議案などによる解散回避論が高まっていた。また衆議院を解散しても参議院の構成が変わらないため衆議院解散の意味がないと、小泉首相の解散論を批判する声もあがった(当時は衆議院での再可決に必要となる3分の2以上の衆議院議席を与党が獲得することは非現実的と思われていた)。首相出身派閥領袖である森喜朗元首相が小泉首相に解散回避への直談判をするも、小泉首相は今国会での法案成立への決意を変えることはなく説得は失敗に終わった。その際、森は「寿司でもとってくれるのかと思ったが、これしか出なかった」と、缶ビールとチーズを記者団の前に差出し、自分への対応をマスコミに公開し、首相が本気だということをアピールした。小泉はかねてから立法と行政のより明確な権力の分立をめざしていた。官邸主導、自民党をぶっ壊すなどと言った小泉の言葉はこれを端的に示している。したがって従来の首相であれば、首相経験者かつ派閥領袖の説得に屈してしまい解散を断念していたであろう可能性もあったが、小泉は断固として拒否した。8月8日、参議院本会議で郵政法案に対する投票が行われた。この法案の成否が政局になると考えられたため、2005年4月から療養中で登院していなかった社民党の田英夫も出席して反対票を投じた。自民党から反対22票・棄権8票が出て、賛成108票・反対125票で否決された(内訳は#郵政法案に反対・棄権した自民党議員を参照)。衆議院で可決された法案が参議院本会議で否決されたのは6例目であった。小泉首相は郵政民営化法案否決を受け衆議院解散を決意、同日、解散の詔書が発せられ衆議院議員総選挙となった。"その後の経緯は郵政解散・第44回衆議院議員総選挙を参照。"第44回衆議院議員総選挙では、自民党は造反した議員を公認候補とせず、郵政民営化賛成派候補(新人を含む)を公認・擁立した。その結果、自民党は296議席を獲得する大勝をおさめ、公明党の31議席とあわせて与党で衆議院議員定数の3分の2にあたる320議席を上回る327議席を獲得した。これにより、衆議院の優越によって仮に再度衆議院で法案が可決され、参議院で法案が否決された場合でも、衆議院で3分の2以上の賛成で再可決させることができるようになった。この結果を受けて、参議院で郵政民営化法案に反対票を投じた議員も「この結果が国民の民意である」として賛成に回ることを表明する議員が現れ、郵政民営化法案を通す土壌は完全に整った。9月17日未明の持ち回り閣議で、第163回特別国会が9月21日に召集されることが決まった(会期は11月1日までの42日間)。首班指名選挙(小泉が3度目の首班に指名)の後、内閣は郵政民営化法案を再提出した。参議院自民党が「造反議員が賛成票を投じやすいこと」を理由に郵政法案の参議院先議論が出たりしたが、衆議院執行部や公明党が難色を示し、衆議院先議となった。民主党も郵政改革法案を提出し対案を示したが、衆議院本会議で否決され廃案となった。内閣提出の郵政民営化法案は衆議院本会議で10月11日に賛成338票・反対138票で可決、参議院本会議で10月14日に賛成134票・反対100票で可決され、法案は成立した。この採決では前回反対した自民党の造反議員の多くが賛成に回り、衆議院では無所属の江田憲司・徳田毅・中村喜四郎も賛成票を投じた(詳細は#2回目の投票で反対・棄権した前回の造反議員を参照)。10月21日、自民党は選挙に際し離党し新党結成に参加した元所属議員の処分を下し、10月28日には、続いて新党組以外の造反議員に対する処分を下した(#郵政民営化法案に反対した自民党議員の処分を参照)。注:自民党の公認が得られなかったために無所属として立候補をした場合は衆議院解散前の所属派閥とした。注:自民党の公認が得られなかったために無所属として立候補をした場合は衆議院解散前の所属派閥とした。
出典:wikipedia
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