トレヴァー・チャールズ・ホーン(Trevor Charles Horn, CBE, 1949年7月15日 - )は、イギリスの音楽プロデューサー、作曲家・編曲家、作詞家、ミュージシャン。「ラジオ・スターの悲劇」のヒットで知られるバグルス、イエスのボーカリストを経て、1982年に音楽出版社のパーフェクトソングス、1983年にZTTレコーズを立ち上げ、プロデューサーとしての活動を始める。イエスを辞め、プロデューサーへ転向した理由をかつて本人がインタビューで答えていたことがある。当時ジョン・アンダーソンの後釜としてイエスのツアーに出ているとき、観客の反応はジョン・アンダーソンではないイエスのボーカリストに対しては冷淡な反応で、それに耐えきれない気持ちが大きくなり、その事がイエスのボーカリストとしての活動を辞める切っ掛けになった、と語っていた。妻のジル・シンクレアがSarm Studioを経営していたこともあり、自然とプロデュースの方向へ進んだ、というのがプロデューサーとしての活動を始める契機にもなっている。ホーンの名を一躍有名にしたのが、復活したイエスであった。アルバム『90125』をプロデュースし、「ロンリー・ハート」を全米1位に送り込む。この曲のイントロで聴けるオーケストラが一斉に楽器を鳴らしたような「ジャン!」という音はオーケストラル・ヒットと呼ばれ、一世を風靡した。この音の正体はフェアライトCMIというオーストラリア製のサンプラーで再生したもので、ホーンは当時最先端だったこのデジタル機器を駆使して斬新で刺激的なサウンドを作り出し、一躍時の人となった。自身のプロジェクトであるアート・オブ・ノイズや、人気黒人モデルのグレイス・ジョーンズ、クラウディア・ブラッケンがフロント・ヴォーカリストのドイツ出身の男2女2の4人組のプロパガンダ等の作品などはまさに時代の最先端を行くサウンドに満ちあふれており、先鋭的なニュー・ウェイヴ系アーティーストに与えた影響は大きい。またフランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッドのセンセーショナルなイメージ戦略(トレヴァー・ホーンの操り人形と皮肉られたほど)に見られるような「仕掛人」としての側面も持ち合わせていた。1984年のバンド・エイドによるチャリティ「」にもプロデューサーとして参加し、市販されたメイキング・ビデオにて彼の姿を見ることができる。また、この頃プロデュースしたABCの 『The Look of Love(ルック・オブ・ラブ)』や、ゴドレイ&クレームの『Cry(クライ)』のプロモーションビデオでも、1カットだけ出演している。近年では、ベル・アンド・セバスチャン、808 State、シャルロット・チャーチ、Seal、t.A.T.u.の世界デビューにおけるプロデュースを手がけている。2004年11月にウェンブリーで行われたトレヴァー・ホーンの25周年記念コンサート「Produced By Trevor Horn: A Concert For Prince Trust」にはトレヴァー・ホーンがプロデュースしたアーティストが顔を揃え、冒頭ではバグルスの「ラジオ・スターの悲劇」をジェフ・ダウンズと共に自ら披露し、観客を喜ばせていた。他にもアート・オブ・ノイズの「Close (to the edit)」のビートを構成していたドラム音素材の張本人であるアラン・ホワイト本人がドラム・フィル担当で演奏し、トレヴァー・ホーンはサンプリングで演奏していたベース・ラインをエレクトリック・ベースで弾き、サンプリングされて使われていたブラス・ヒットは本物のブラス・セクションが演奏するなど、イントロのサンプリング部分以外は全て生演奏というスタイルで聴かせるなど、当時のサウンドを別の解釈で楽しませていた。当然イエスも参加し、アルバム『90125』制作時のエピソードなども語っていた。フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッドが登場すると会場は一気に盛り上がり「Welcome To The Pleasuredome」などライブ演奏を行った。2010年、バグルズの再結成を宣言し、サード・アルバムの制作を始めた。12月、大英帝国勲章・コマンダー(司令官)を授与される。2011年7月、イエスの新作「フライ・フロム・ヒア」をプロデュースしている。
出典:wikipedia
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