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妙満寺

妙満寺(みょうまんじ)は、京都市左京区にある顕本法華宗の総本山。山号は妙塔山。塔頭が四院ある(正行院、法光院、成就院、大慈院)。妙満寺を創建した日什は、もと天台宗の学頭で名を玄妙と称した。68歳の時に上洛して、後円融天皇へ上奏し「二位僧都」の位と「洛中弘法の綸旨」を賜った。室町時代、日什は天王寺屋通妙の外護を受けて妙満寺を建立した。安土桃山時代から江戸時代にかけて、争乱などにより、移転と再建を繰り返した。近年、門前に3000株のツツジが植えられて、花の寺として親しまれている。現住は306世山本日惠貫首(京都市本正寺より晋山)。永徳3年(1383年)、日什が天王寺屋通妙の外護により、六条坊門室町(現京都市下京区)に法華堂を建立したのが当寺の草創とされる。康応元年(1389年)伽藍を整備し、妙満寺と号した。応永2年(1395年)火災により伽藍を焼失し、綾小路東洞院(現京都市下京区)に移転、再建された。応仁元年(1467年)、応仁の乱による焼失後は、四条堀川(現京都市下京区)に移転した。天文5年(1536年)、天文法華の乱により伽藍を焼失し、妙満寺は堺に避難。天文11年(1542年)、後奈良天皇の法華宗帰洛の綸旨により、寺は四条堀川の旧地に再建されるが、同年、豊臣秀吉の命により、寺町二条(現京都市上京区榎木町)に再移転する。寛永5年(1628年)の火災、宝永5年(1708年)の宝永の大火、天明8年(1788年)の天明の大火、元治元年(1864年)の禁門の変によって伽藍を焼失しているが、その都度再建されている。明治4年(1871年)、上知令により寺領が縮小された。太平洋戦争末期の昭和20年(1945年)には、強制疎開により塔頭4院の寺領、建物が失われた。寺が寺町二条から現在の岩倉に移転したのは昭和43年(1968年)である。昭和48年(1973年)には岩倉の寺地に仏舎利大塔が建立された。京都府京都市左京区岩倉幡枝町91

出典:wikipedia

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