マルカシェンクは日本の競走馬。サンデーサイレンス最後の世代の産駒。馬名は冠名と母のシェンクを組み合わせて名づけられた。2005年9月、阪神芝2000mの新馬戦でデビューした。単勝1.1倍の圧倒的な1番人気に支持され、後の朝日杯フューチュリティステークス優勝馬フサイチリシャールなどを破り、2着に3馬身の差をつけての勝利となった。次走は重賞のデイリー杯2歳ステークスに出走し、ここも2馬身差で勝って重賞初挑戦で初勝利をマークした。3走目は京都2歳ステークスに出走する。前走重賞レースを勝っていたため、2歳馬としては厳しい57キロの斤量を背負うことになった。レースでは後の皐月賞2着馬ドリームパスポート以下に勝利して、無傷の3連勝となった。その後ラジオたんぱ杯2歳ステークスを目指して調整中に、右前脚を骨折した。全治3ヶ月と診断され、休養を余儀なくされた。2006年、3歳になっての復帰初戦は、京都新聞杯に出走した。レースでは1000m通過が1分2秒8というスローペースとなる。後方2番手から進んだ本馬は、出走メンバー最速の上がり3ハロン33.0秒を記録した。しかし前で粘る馬を捕らえられずに5着に敗れ、初の敗戦を喫した。一度叩いての次走は、東京優駿に出走した。最後の直線で内に囲まれながら、良い脚を使って上位に進出した。しかし先行した同厩舎のメイショウサムソン、逃げたアドマイヤメインらを捕らえきれず、4着に敗れた。さらに宝塚記念を目標にした矢先に、右中間手根骨骨折を発症する。軽度の骨折であったので、秋を目標に再び休養に入った。10月8日の毎日王冠で復帰した。騎手が柴田善臣に乗り換わり、初の古馬相手に4着と健闘した。次走は天皇賞・秋か菊花賞かどちらに出走するかが注目された。協議の結果、天皇賞は除外の可能性が高かったこともあって、菊花賞に挑戦する。中1週の厳しいローテーションと、3000mという距離が影響したか、4番人気で7着に敗れた。自身初の着外敗戦であった。続くマイルチャンピオンシップでも、1600mへの距離短縮で4番人気と支持を集めた。レースでは後方から進んだが、直線で伸びず12着に敗れた。さらに秋のローテーションの厳しさが懸念される中で、中2週で鳴尾記念に出走した。改修直後の阪神競馬場における先行有利の馬場を生かして、スタートから逃げる展開となった。最後はサクラメガワンダーに交わされるも、2着に粘って久しぶりの連対を記録している。2007年の初戦は京都金杯となった。後方に待機して直線を迎え、メンバー最速の上がり3ハロン34.1のタイムを記録する。しかし逃げたマイネルスケルツィらも止まらず、4着に敗れた。続く小倉大賞典では1番人気に推されるも7着と敗退する。中山記念でも7着に敗れた。レース後に瀬戸口勉調教師の定年により河内洋厩舎へ転厩となった。転厩後に腸捻転を発症し、容態が懸念される。幸い手術は無事に成功し、長期休養に入った。そして12月12日に帰厩した。2008年、復帰後初出走で転厩後の初戦ともなるレースには、ニューイヤーステークス (OP) が選ばれた。スタート直後から果敢にハナに立つとそのまま押し切り、約2年ぶりの勝利を挙げた。その後小倉大賞典では、2年続けて1番人気に支持された。先行から抜け出しをはかるものの、最後にアサカディフィートに大外から交わされ2着となる。続く中山記念では4着と、好走を続けている。ダービー卿チャレンジトロフィーでは再び1番人気となったが、スタートでダッシュがつかず8着だった。4ヶ月の休養を経て、関屋記念に出走する。手薄なメンバーだったこともあって、休み明けにも関わらず、単勝2.1倍の1番人気に支持された。レースでは人気に応え、自身最速の上がり32.3の末脚で快勝した。2005年のデイリー杯以来、2年10ヶ月ぶりの重賞制覇となった。また河内洋の開業以来初の重賞勝利ともなっている。夏場は1戦のみで休養に入り、秋の大舞台に備えることになった。復帰初戦の富士ステークスでは2番人気に推されるが、0.9差の13着と敗北を喫した。本番のマイルチャンピオンシップでは11番人気と人気を落として迎えることになった。レースでは最後方から駒を進め、ブルーメンブラットらと並ぶ上がり33.9の差し脚を見せ、6着に入っている。2009年はまず2年ぶりに京都金杯へ出走、3番人気に推されたがタマモサポートの2着に敗れた。続く東京新聞杯はスタートで大きく出遅れたこともあり、いいところなく11着に敗れた。その後、半年の休養を挟み、連覇がかかった関屋記念に出走したが、スタートでの出遅れが響いて16着と大敗した。続く新潟記念では後方からレースを進めたが、伸びきれず9着に敗れた。続く朝日チャレンジカップでは終始後方のまま14着と大敗した。続く富士ステークスではザレマとの兄妹対決となった。レースでは後方から鋭く追い込んで、アブソリュートの2着と好走した。しかし、本番のマイルチャンピオンシップでは18着と殿負けに終わった。続く鳴尾記念でも14着と2戦続けての殿負けとなった。2010年はマイラーズカップから始動、後方から徐々に差を詰めるものの伸び切れず10着に終わった。本番の安田記念ではスタートで出遅れてしまい、見せ場なく17着と大敗した。その後、米子ステークスでは後方から追い上げるも5着に敗れた。3年連続出走となった関屋記念では出遅れて終始後方のまま12着と惨敗した。新潟記念では後方から追い上げるも8着、富士ステークスでは見せ場なく10着、初のダート戦となった武蔵野ステークスでは後方から追い込んでくるも5着、ジャパンカップダートでは10着に敗れた。その後12月18日付で競走馬登録を抹消。当初はフランスにて種牡馬になる予定であったが、サンデーサイレンス直仔の良血馬であることから、生産者の要望に応える形でブリーダーズ・スタリオン・ステーションで種牡馬入りすることになった。
出典:wikipedia
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