いすゞ・ジャーニーK(Journey K)はかつていすゞ自動車が製造・販売していた中型バス。1972年、中型トラックTYをベースにしたBY30/31のコンポーネントを元に、いすゞ初の中型リヤエンジンバスとしてBK30が登場。車体は川重車体工業(以下川重)が架装した。エンジンは130PSのD500型を搭載した。後にエンジンを145PSの6BB1型に、ウインカーもバス標準タイプに変更したと同時に型式もBK32に変更された。全長8200mm、全高2830mm、全幅2300mm、ホイールベースは3780mmで、ブレーキは倍力装置付オイルブレーキが装備された。トップドア ・ 引き違い窓・立席設定なしのみの設定であったため、自家用としての需要が殆どで、営業用としての導入は一部に留まった。1976年、BK30系の後継として登場。ホイールベースは3.7m ( CCM370 ) と4.1m ( CCM410 ) の2種類。側窓が2段サッシ、前中扉及び前後扉仕様の路線車がラインナップされる。エンジンは直接噴射式160PSの6BD1型、ミッションはOD5速MTまたはGMアリソン社製直結4速AT(4速ATは1978年登場)を設定。ブレーキも空気油圧倍力装置付に変更された。1980年、昭和54年排出ガス規制に適合し、K-CCM370 / 410となり、冷房車もラインナップされた。1982年、CCMの後継としてCDM登場。エンジンが170PSの6BF1に変更されているが、ボディはCCMからのものを継承している。川重と北村製作所(以下北村)が架装し、川重製の路線車は当初、方向幕の左右にルーバーがあり、2段サッシに丸みがあった。北村製は角張ったボディで当時としては斬新なものだった。1981年から西日本車体工業製(以下西工)も登場したが、川重のライセンス生産のため細部を除きボディ形状は川重と同一であった。1984年、CDMの後継として登場。LRには富士重工業製や西日本車体工業製のボディを架装した例もある。富士重工業製は1994年までは16型(6Eまたは6B)、その後は18型(8Eまたは8B)を架装する。西日本車体工業製は58MC型、その後は96MC型を架装する。1984年、CDMの後継として登場。昭和58年排出ガス規制に適合。川重製はスケルトンボディにフルモデルチェンジされ、エアサス車、ターボ車も設定されるが、ホイールベースは3.75mと4.3mに変更された。エンジンは直接噴射式175PSの6BG1式を採用、ミッションは直結5速MTが標準仕様となる。型式はリーフサス車がP-LR312、エアサス車がP-LR212、ターボ車がP-LR311。1986年に指定車体メーカーである川重はいすゞとの合弁会社アイ・ケイ・コーチ(後のいすゞバス製造)へ移管される。1990年、平成元年規制適合でU-LR332(リーフサス)、U-LR232(エアサス)、U-LR312(リーフサス・ターボ車。ホイールベース4.3mのみ)、U-LR212(エアサス・ターボ車。ホイールベース4.3mのみ)となる。ラジエータグリルの位置が変更される(ターボ車は除く)。末期にはフロントコーナリングランプが標準装備された。1995年、平成6年規制適合。エンジンを1種類に統一し、KC-LR333(リーフサス)、KC-LR233(エアサス)となり、ステアリングおよび運転席周りのデザインが変更されたと同時に、リアの凸部がなくなった。観光・自家用はフロントマスクが変更され、スーパークルーザーに似た物となった。末期はアイドリングストップ装置装備車やワンステップバス、CNGエンジンも設定され、1999年に路線用がエルガミオに、観光・自家用がガーラミオに移行する形で生産を終了している。
出典:wikipedia
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