タバレ・ラモン・バスケス・ロサス(西:Tabaré Ramón Vázquez Rosas 1940年1月17日 - )は、ウルグアイの政治家(第38代、第40代大統領)。本業は医師であるが、左派連合拡大戦線の代表として2004年10月31日の選挙に臨み当選した。2005年3月1日に大統領に就任。ウルグアイ初の左派政権となった。2010年3月1日に退任後、2014年の大統領選挙で当選し、2015年3月1日に再び大統領に就任した。モンテビデオ近郊で育ち、1972年に医科大学を卒業している。1976年にはフランス政府の奨学金で、パリで研究を行っていた。1960年代より社会党を支持し、1985年の民政移管後に頭角を現す。1988年には恩赦法に関する国民投票委員会の財政部門責任者となった。1990年にはモンテビデオの市長となり、1995年まで勤めた。大統領選挙には1994年と1999年にも出馬している。この間、1996年には左派連合の代表となっている。2004年の選挙において絶対多数となる51.7%の得票(1,124,761票)を得て当選した。2015年11月に来日。2015年10月、パリに公式訪問するために飛行機で移動していた最中に、ピーナッツアレルギーを発症して危険な状態に陥っていた10代のフランス人女性を自身の主治医とともに治療し救った。また、これ以外にも2005年、2010年に機内で発生した急患に対応したことがある。Ana Frega et al. "Historia del Uruguay en el siglo XX (1890-2005)". Montevideo, Ediciones de la Banda Oriental, 2008 (2a ed).
出典:wikipedia
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