双葉郡(ふたばぐん)は、福島県浜通りの郡。以下の6町2村を含む。1896年(明治29年)に行政区画として発足した当時の郡域は、上記の6町2村にいわき市の一部(久之浜町・大久町・川前町の各町)を加えた地域にあたる。戦国時代に岩城氏・江戸時代に磐城平藩の領地だった楢葉郡(夜ノ森以南)と、戦国時代から江戸時代まで相馬氏(江戸時代は中村藩)の領地だった標葉郡(夜ノ森以北)が、1896年に合併されて成立した。旧標葉郡は、鎌倉時代から戦国時代前半までは標葉氏の領地だった地域で、戦国時代後半から江戸時代までの相馬氏統治下では中村藩による政策で陶磁器産業が奨励され、越中国(現富山県)からの開拓者が入植した地域である。そして、20世紀前半には森林鉄道が操業していた地域である。一方の旧楢葉郡は、7世紀前半の国造時代には石城国造や多珂国の領土、戦国時代の岩城氏統治下では岩城四十八館や岩城氏家臣の居城(高倉城など)が点在し、江戸時代には徳川将軍家の側近が治める磐城平藩だった地域である。そして、20世紀前半には常磐炭田が広がっていた地域である。このように、一口に「"浜通り"」「"相双"」とは括れない地理的・歴史的背景があり、現在でも夜ノ森または大熊(福島第一原子力発電所)を境にして生活圏が異なっており、旧楢葉郡は平や水戸との、旧標葉郡は中村や仙台との交流が親密である。双葉郡は、20世紀を通じて東京にエネルギーを送る「エネルギー源地帯」になって来たが、20世紀後半の高度経済成長期以後の特徴は「"電源地帯"」であり、長塚 (双葉町)以南は首都圏に電力を送っている。又、双葉郡の全域とも、小泉純一郎政権によって推進され、「頭に方角」や「ひらがな」の市名を付ける平成大合併に対しては、矢祭町(中通り久慈川流域)や下伊那郡と同様に否定的であった。そして、平成大合併前から発電所財源を逆手に取った地域振興策(例:Jヴィレッジ。広野と楢葉にまたがり位置する)を出したり、平成大合併後も発電所とは無関係な名産や話題(例:DASH村。浪江町)で活性化を図るなど、独立性の高い地域振興策が実施されていた。しかし、東日本大震災では、各地で10メートルを越える高い津波を被った。特に、東日本大震災に誘発された福島第一原子力発電所事故に伴い、大半の地域が帰還困難区域・居住制限区域・避難指示解除準備区域に指定されている。(事故後からしばらくは警戒区域・計画的避難区域に指定されていた)
出典:wikipedia
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