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レイジー

レイジー(LAZY)は、日本のロックバンド。両人とも他界しているが、以降作成された楽曲に生前に録音した各々の演奏の音源が使用されている時がある。1973年、小学校からの同級生である景山・高崎・田中がバンドを結成。それぞれ別の高校に進学後、景山が井上を、高崎が2年先輩(既に文化祭を始め、何度か競演を重ねる仲)の樋口を誘いバンドに加入。ディープ・パープルの楽曲の名前をとって、バンド名を「レイジー」とする。初期は吉田拓郎や泉谷しげるのカバーを行っており、演奏技術の向上とともにハードロックのカバーを行うようになった。1977年2月、朝日放送の『ハロー・ヤング』に出演、ディープ・パープルの「BURN」を演奏。これがかまやつひろしに認められ、デビューの誘いを受ける。同年6月、デビューのため上京。同年7月、RCAよりデビュー。本来はハードロック志向のバンドだったにもかかわらず、制作サイドの意向によりベイ・シティ・ローラーズのようなイメージを要求されることになり(景山によると「上京してすぐに美容室に連れて行かれ、髪を切られた」とのこと)、ニックネームとお揃いのコスチュームを与えられた。かまやつはポール・ロジャースにデビュー曲を書かせるという約束をしていたのだが実現せず、実際のデビュー曲『Hey! I Love You!』は森雪之丞(作詞)、馬飼野康二(作曲)のコンビによるものとなった。なお、プロデューサーはその後角松敏生やオメガトライブ等を手掛けた、元グループサウンズアウト・キャストの藤田浩一。この方針はメンバーを困惑させることになった。しかし、「売れれば好きなハードロックができる」との説得を受け、これに応じることになる。後に景山は「生き残るということを考えれば(アイドル路線は)妥当なものだったと今なら思えるが、当時はショックの方が大きかった」と、高崎は「ロックは弾けてもポップは弾けないと分かったので、将来のことを考えて音楽性を広げるために真面目に練習したが、ストレスは溜まった」と語っている。1978年、3枚目のシングル『赤頭巾ちゃん御用心』がオリコン32位にランクインし、レイジーの名を一躍有名にする。しかし、自分たちが望まない路線でのヒットはメンバーの複雑な思いをさらに強くするものであった。シングルではポップなアイドル路線を歩む彼等だったが、ライブでは洋楽のロックナンバーも演奏する等、自分達の原点であるロックへのこだわりを見せていた。特に高崎のギタープレイは同世代のギタリストからも注目され、1979年には遠藤賢司が会長となって「レイジー男だけのファンクラブ」が結成された。デビュー曲を作詞した森雪之丞も参加している。その後、シングルでもアルバムでもハードロック調の楽曲を発表していき、4thアルバム『Rock Diamond』では全10曲中8曲をメンバー自身が作曲している。しかし、その一方で依然としてアイドル路線の曲の発表も続いており、彼等は「やりたい音楽」と「求められる音楽」のギャップを感じ続けていた。1980年7月から始まったツアー『DOMESTIC TOUR IN SUMMER』で「ヘヴィー・メタル宣言」が行われた。これは彼等が「本当にやりたい音楽」をやるための、宣戦布告とも呼べるものだった。その後、シングル『感じてナイト』を経て発売されたアルバム『宇宙船地球号』はハードロック調の曲で統一され、それまでのアイドルバンドとしての彼等のイメージを根底から覆した。本来ハードロック志向だった彼等が本当の姿を見せ付けたのが『宇宙船地球号』であり、これが本当のスタートになるかと思われたが、その結果としてメンバー間の音楽性の違いが浮き彫りになっていった。そのため、景山の20歳の誕生日である1981年2月18日に調布グリーンホールで行われたライブで解散宣言が行われ、同年5月31日、正式に解散。その活動に終止符が打たれてしまう。もっとも人気のあった景山は「影山ヒロノブ」の芸名でソロデビュー。当初は方向性に迷っていたというが、1985年に「KAGE」名義で『電撃戦隊チェンジマン』の主題歌を歌い、以後多くのアニメや特撮ヒーロー作品の主題歌・挿入歌を歌うことになり、現在は「アニソン界のプリンス」の異名を持つ実力派として知られている。また、井上が代表取締役を務めているランティスでJAM Projectのリーダーを努めている。高崎と樋口は、ヘヴィメタルバンド「LOUDNESS」を結成(初期は田中も参加していたが、正式なデビューの前に脱退した)、世界進出を果たす。樋口は1993年に一度脱退し、自身のバンド「SLY」を結成、2000年からLOUDNESSに復帰。田中と井上は、ポップ路線のバンド「ネバーランド」を結成。ネバーランドの解散後は「HUMAN NATURE」を経て、影山をボーカルに迎えたバンド「AIRBLANCA」を結成した。AIRBLANCAの解散後、井上は同じ「トライアングル・プロダクション」所属の3人組コーラスグループ「トロワ」とのユニット「BIG BANG」に参加し1981年3月クインシー・ジョーンズの名盤『愛のコリーダ』の日本語版をRVCレコードから発表し、大阪毎日放送(MBS)「ヤングOH!OH!」などに出演している。その後音楽プロデューサーに転身。レコード会社「スターランド」「シックスティ」「エアーズ」などのディレクターになり、その事が後の再結成に繋がる。1997年、当時放送中の『ウルトラマンダイナ』の主題歌担当だった井上が、エンディングテーマにレイジーを起用することを決断。井上の誘いにメンバーが了承し再結成が決定。翌年3月からの使用に向けて再集結した。そして1998年3月21日、復活第1弾シングル『ULTRA HIGH』がエアーズから発売される。当初は田中が復帰しておらず、ベースは代役(高崎)が弾いていたが、3月30日放送分の『HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP』への出演と同時に田中が復帰、完全復活を遂げた。7月には復活第1弾アルバム『Happy Time』を発売。以後、その活動はライブを中心としたものになって行く。1999年11月28日の渋谷公会堂でのライブ『LAZY ROCK COMMUNICATION SHIBUYA. ~キタ奴の勝ち~』を最後に、井上が伊藤善之と共に立ち上げたレコード会社「ランティス」に移籍。2枚のシングルを経て、『宇宙船地球号』の続編と呼べるアルバム『宇宙船地球号II』を2002年に発売した。再結成後はメンバー個々の活動との掛け持ちであるため、2003年以降は活動自体が途絶えがちになっていった。2006年9月1日、田中が他界。その後、デビュー30周年となる2007年にも活動は一切行われなかったが、デビューのきっかけの場所となった旧ABCホールが閉鎖する事になり同ホールの最終公演者にレイジーが選ばれ、2008年6月30日に『さよなら!ABCホール~LAZY一夜限りの復活祭~』が開催。数年振りにメンバーが集結した。既に故人となっていた田中と肝細胞癌が発覚し療養していた樋口を除く3人がステージに立ち、サポートミュージシャンとしてベースを日野賢二、ドラムをJanne Da Arcのshujiが担当。またレイジーをリスペクトする奥田民生、斉藤和義もゲスト出演した。同年11月30日に樋口が他界。12月24日に行われた樋口の一般本葬「Last Memorial Birthday」での弔辞では、高崎より「樋口の精神を継承し、LOUDNESSとLAZYを精進していきたい」と、レイジーの活動継続が明言された。2009年4月22日、奥田民生、斉藤和義、JAM Projectをサポートミュージシャンに迎えたスペシャルユニット「ULTIMATE LAZY for MAZINGER」として、初期シングル『感じてナイト』のリメイク曲『感じてKnight』(アニメ『真マジンガー 衝撃! Z編』主題歌)をリリース。田中及び樋口の生前のライブ音源が素材として使用された。奥田・斎藤とのコラボのきっかけは前述の『さよなら!ABCホール~LAZY一夜限りの復活祭~』である。2009年9月27日、井上が代表取締役社長を務めるランティスが設立10周年の記念で行ったライブ『10th Anniversary Live ランティス祭り』に出演。『Burn』『感じてKnight』をプレイ。2014年に開催された設立15周年記念ライブ『15th Anniversary Live ランティス祭り 2014』では7月26日の大阪公演に出演した。2009年11月14日、樋口の一周忌イベント『樋口宗孝追悼ライブ2009 Eternal Gift of ROCK 2009 MUROCK presents Munetaka Higuchi Forever Our Hero ~EVERLASTING MUNETAKA HIGUCHI~』に参加。もともとはLOUDNESSのライブだが、影山と井上がゲスト出演しレイジーとして出演した。樋口宗孝追悼ライブは2011年を除く2013年まで開催され、レイジーは2010年、2012年にも出演している。2011年、アニメーション映画『トワノクオン』の主題歌としてRecklessを発売。レイジーとして歌われたシングルとしてはZone of the Enders以来実に10年ぶりのシングルである。2012年12月1日、Zepp DiverCityで行われた『Act Against AIDS 2012「アニソンAAA Vol.1」 in Zepp DiverCity』に参加。アコースティックライブであったがレイジーのみアンプを持ち込みエレキギターで演奏された。2013年7月7日、樋口が肝細胞癌で逝去されたことをきっかけに立ち上げられた、癌の疾患啓発や患者支援、治療研究の推進のための支援基金『樋口宗孝がん研究基金』が企画したチャリティーライブ「Rock Beats Cancer FES vol.2」に出演。このライブには高崎がLOUDNESS、影山がJAM Projectとしても出演しており、レイジーはアンコールで登場した。2014年からは田中の命日である9月1日に追悼ライブとなる『hiroboh forever~田中宏幸を偲んで~』をレイジーが中心となり開催。2014年は大阪、2015年は東京で開催され、2015年には田中と井上がレイジー解散後に活動していたネバーランドのメンバーが1990年の解散以来初めて全員揃い25年ぶりのステージを披露した。ライブ中「今後もレイジーやネバーランドの同窓会的なイベントとして毎年開催したい」と影山がMCで語り、翌2016年は『LAZY-NEVERLAND”re-union”LIVE』を大阪で開催。ヘヴィー・メタル宣言後の楽曲の他、アイドル時代の楽曲「愛には愛を」「地獄の天使」もレイジーとして久しぶりに演奏された。すべてRCA在籍時の音源のみを収録エアーズが解散した後、『Happy Time』はトライエムから再発売された。しかし2004年以降に発売されたCDでは、「ULTRA HIGH」の権利をプリズム(日本コロムビア系列の会社)が所有していることになっている。一つの楽曲の権利を二つの会社が共有することは少なく(全くないわけではない)、トライエムからプリズムへの権利の譲渡が行われたと考えるのが妥当なところだが、円谷音楽出版もこの楽曲の権利に関わっているため原盤権の所在は不明確である。

出典:wikipedia

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