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上信電鉄150形電車

上信電鉄150形電車(じょうしんでんてつ150がたでんしゃ)は、上信電鉄の通勤形電車。1980年代に西武鉄道から購入した100形の置き換え用として、1992年から1996年にかけて同じく西武鉄道から購入した車両である。種車は第1編成が401系、第2編成と第3編成が701系・801系の3系列に分かれるため、3編成全てでスタイルが異なるが、性能上は同一であり、上信電鉄に譲渡された際に同一形式にまとめられている。また台車や車体構造に、同時期に西武所沢車両工場製造された上信自社発注車の200形2次車と共通する部分が多い。1964年12月西武所沢車両工場製のクモハ414とクハ1453を、1978年8月に冷房化・新性能化改造したクモハ408-クモハ407がその前身である。前面は国鉄101系電車に影響された切妻3枚連続窓で、行先表示器が正面上部左側に設置されている。1992年5月11日付で西武で廃車となり上信に移籍し、同年11月7日付で入籍した。導入時には新性能化改造の際から装着していた空気バネ台車のFS372を、200形2次車や西武701系が装着しているコイルバネ台車のFS342に換装している。1996年には同年10月1日から開始されたワンマン運転に伴う対応改造が施された。当初の車体塗装はコーラルレッド1色だったが、1999年10月頃からマンナンライフの広告車となり、同年放映された同社の製品「蒟蒻畑」のテレビCMにも登場した。その後何度か塗り替えられながらも2008年まで同社の広告車を勤めた。同年の全般検査に際して広告が解除されて、銀河鉄道999のラッピングが施された500形501Fに替わってクリームに緑のライン塗装に変更された。なお2010年12月から2014年3月までは人権ポスターのラッピング車となったものの塗装を生かした形でのラッピングであった。行先表示器は当初、「高崎」「下仁田」など行先のみの表記であったが、1996年10月のワンマン化に際し、「高崎 - 下仁田」などと双方向表示されるようになった。2004年10月16日ダイヤ改正以降、通常運行の場合は「高崎 - 下仁田」または「高崎 - 上州富岡」が表示される。1968年1月西武所沢車両工場製(冷房化は1978年)で、200形2次車のいわば「兄弟車」である。1994年4月7日付で廃車され上信電鉄へ移籍し、同年7月13日付で入籍した。元々4両編成だったため、移籍にあたり中間電動車に先頭車の運転台を接合する改造が施工されており、旧番は元西武モハ802(クハ1802の運転台を移植)+モハ801(クハ1801の運転台を移植)である。前面2枚窓で正面の上部に行先表示器がある。1996年には第1編成と同じくワンマン運転対応改造が施工された。同車の車体塗装も初期はコーラルレッドだったが、1997年8月から群馬サファリパークの広告車となって以来、車体塗装はホワイトタイガーを模したものになっている。一見するとシマウマのようにも見えるため「シマウマ号」とも称される。行先表示器はワンマン運転開始以前は第1編成と同様に行先のみの表示だった。ワンマン化以降、通常運行の場合は「高崎 - 下仁田」、区間運航の場合「上州富岡」「高崎」が表示される。車齢は第2編成よりも古く、1966年3月西武所沢車両工場製・1982年冷房化の元西武モハ756(クハ1756の運転台を移植)+モハ755(クハ1755の運転台を移植)で、1996年8月14日付で廃車され上信電鉄に移籍し、同年12月6日付で入籍した。移籍にあたり第2編成と同様に2両化改造した他、ワンマン運転対応工事が施工されており、入線時からワンマン運転に対応している。西武時代に押え金具だった側扉は移籍に際してHゴム支持のものに取り換えられている。第2編成とは外見上よく似ているが、種車の違いから側面の雨樋などの細部に違いがある。車体塗装はコーラルレッド1色塗装で就役した後、1999年からマンナンライフの広告車となっていたが、2012年3月に500形第2編成と交代し、第1編成同様のクリームに緑のストライプ塗装に変更された。同年8月からは塗装を生かしたままラッピングされて「下仁田ジオパークラッピング列車」として運行されている。他社の西武411系→401系(2代)譲渡車他社の西武701系・801系譲渡車両

出典:wikipedia

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