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野口五郎

野口 五郎(のぐち ごろう、1956年2月23日 - )は、日本の歌手、俳優である。本名、佐藤 靖(さとう やすし)。岐阜県美濃市出身。オフィス・ジー所属。身長174cm。新御三家の一人として、1970年代の日本を代表する男性アイドルである。妻はタレントの三井ゆり。子供は一女一男。実兄は作曲家の佐藤寛。岐阜県美濃市に生まれる。本来、家族会議で「直樹」と命名するつもりだったが、父親が家族に許可を得ずに「靖」という名前で出生届を出したという。1966年10月、フジテレビの『日清ちびっこのどじまん』で荒木一郎の「今夜は踊ろう」を歌い優勝。中部日本放送の『どんぐり音楽会』に出演し、ザ・ワイルド・ワンズの「青空のある限り」を歌い1位となる。中学3年生の時、プロを目指し実母とともに上京、NPミュージック・プロモーションに所属し、堀越高等学校に進学する。1971年5月1日、当初は演歌歌手としてシングル曲「博多みれん」で15歳2か月の若さでデビュー。キャッチフレーズは「青い木の芽の、はだざわり」で売り出した、が、同曲のセールスは全く振るわなかった。しかし2曲目の「青いリンゴ」からポップス歌手に転向してスマッシュ・ヒット、若い女性ファンの人気を獲得。1972年12月31日、第23回NHK紅白歌合戦において当時としては最年少(16歳10か月)となる初出場歌手に抜擢されて、「めぐり逢う青春」を歌う。1973年4月9日、「オレンジの雨」がオリコン週間チャートで初のベストテン入り。続く「君が美しすぎて」は第3位にランクされ、第24回NHK紅白歌合戦も同曲で出場。西城秀樹・郷ひろみと共に新御三家と呼ばれて、一躍トップアイドルの仲間入りを果たす。1974年11月25日、「甘い生活」で初のオリコン週間チャートの第1位を獲得。最大のヒット曲となり、第25回NHK紅白歌合戦も同曲で出場。この作品で筒美京平は第16回日本レコード大賞・作曲賞を受賞。1975年2月10日、実兄 (佐藤寛)作曲による「私鉄沿線」が有線放送をきっかけに大ヒットし、「甘い生活」から2作品連続してオリコン週間チャートの第1位を獲得する。また年末の第8回日本有線大賞・グランプリ、第17回日本レコード大賞・歌唱賞、第6回日本歌謡大賞・放送音楽賞など、多くの音楽賞を受賞し第26回NHK紅白歌合戦も同曲で出場。さらに第3回FNS歌謡祭(1975年上半期)では「哀しみの終るとき」で最優秀歌唱賞を受賞。『再会』で映画初主演。1975年4月4日 - 1983年3月、日本テレビ系のバラエティー番組『カックラキン大放送!!』にメイン・タレントとしてレギュラー出演、視聴者にコミカルな面をアピールして広く一般大衆の人気を獲得した。1976年、「きらめき」が第2回日本テレビ音楽祭・グランプリ、第5回東京音楽祭・ゴールデンスター賞を受賞。「針葉樹」では第18回日本レコード大賞・歌唱賞、第7回日本歌謡大賞・放送音楽賞を受賞し、第27回NHK紅白歌合戦も同曲で出場。発売前の「むさし野詩人」で第9回日本有線大賞・有線功労賞を受賞。4月29日、日本テレビ系で単独のバラエティー番組『輝け!五郎・マペット ゲバゲバ90分!』が放送される。1977年、「風の駅」で第8回日本歌謡大賞・放送音楽賞を受賞、第28回NHK紅白歌合戦も同曲で出場。映画『季節風』で主役を演じ、同名タイトルの主題歌「季節風」を歌う。1978年、「グッド・ラック」で第9回日本歌謡大賞・放送音楽賞、第20回日本レコード大賞・金賞を受賞し、第29回NHK紅白歌合戦も同曲で出場。1979年、「青春の一冊」で5年連続となる第10回日本歌謡大賞・放送音楽賞を受賞し、第30回NHK紅白歌合戦にも同曲で出場。1980年12月31日、第31回NHK紅白歌合戦に「コーラス・ライン」で出場。1981年12月31日、第32回NHK紅白歌合戦に「裏切り小僧」で10年連続10回目の出場を果たす。1983年、連続ドラマ『誰かが私を愛してる』にヒロイン・多岐川裕美の相手役として出演。その主題歌「」が「グッド・ラック」以来久々の15万枚を超えるヒットとなる。第12回東京音楽祭・世界大会でフリオ・イグレシアス賞を受賞。同年末の第34回NHK紅白歌合戦にも、同曲で2年ぶり11回目のカムバック出場を果たした(野口自身2014年現在、最後の紅白出演)。1985年4月 - 1987年9月、再び日本テレビ系のバラエティー番組『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』にレギュラー出演。1995年、初のNHK大河ドラマ『八代将軍吉宗』に徳川頼職役で出演。2006年には『功名が辻』にも出演。1999年、刑事ドラマ『ケイゾク』に出演、早乙女仁役を演じる。2002年、NHKの連続テレビ小説『さくら』で、ヒロイン・さくら先生 (演:高野志穂) の赴任先となる中学校の英語担当教師を演じる。私生活では長年独身を通していたが、2001年に三井ゆりと北マリアナ諸島のロタ島で挙式。なお結婚披露宴は徳光和夫が司会を務め、その模様が日本テレビにより全国に中継放送された。2002年6月5日、2780グラムの第一子となる女児が誕生。2004年5月2日、2994グラムの第二子となる男児が誕生。2005年、音楽プロデューサーとして音楽映像配信サイト『音コレ』 (2006年7月20日、『Gプロデュース』と改名) を立ち上げ、ものまね、インディーズ、オリジナル楽曲をプロデュース。根本はるみ、網野泰寛などもプロデュースしている。NTTドコモ、KDDI au、SoftBankの公式サイトにおいても、「音コレものまねMIX」「うれセン!」として着うたフル、着うた、着モーションなどを配信。2007年10月16日、飛騨・美濃観光大使を委嘱。2008年9月21日、北マリアナ諸島の観光親善大使に夫妻で任命。2010年5月1日、デビュー40周年を迎える。近年は、六本木[STB139スイートベイジル]におけるライブがゴールデンウィークの恒例になっていた。最終公演2014年5月22日。2015年4月13日、新御三家の盟友、西城秀樹が自ら「ヒデキ還暦!」と題した満60歳の記念ライブに、野口がゲストとしてバースデーケーキを運びながら登場し、熱い抱擁を交わした。『日清ちびっこのどじまん』の司会者、大村崑の「黄金の人差し指」がなかったら今の自分はないとも話している。小学生の頃には、すでに成人並みのビブラートが掛けられるようになっていた。ちびっこのど自慢大会にいくつも参加する中で、幼い頃ライバルとして一目置いていたのが現在の天童よしみであるという。芸名は飛騨山脈の野口五郎岳に由来するもので、名付け親はデビュー時に所属していたポリドール・レコードのアシスタントディレクターといわれている。現在では歌手・野口五郎の知名度が高く、山の名前が歌手にちなんで付けられたと誤解している人もいるという。なお、黒部五郎岳にちなんだ「黒部五郎」も芸名の候補となっていた。野口五郎とどちらかを選ぶように言われ「山の名前を芸名にするなら高い山のほうがいい」と考えて、黒部五郎岳 (2840m) よりも高い野口五郎岳 (2924m) にちなんだ野口五郎を選んだという。当初は「水城哲也」という芸名でデビュー予定であった。子どもの頃はプロ野球選手を目指していたが脚を傷めて諦め、以来、ギターに打ち込むようになったという (『中一時代』グラビアより) 。「 (脚の) 故障がなかったら"歌手・野口五郎"は存在しなかったかも」と述懐している。歌手よりギタリストとしての活動歴の方が長い。中学生のときからキャバレーなどで演奏する「ハコバン」に在籍して腕を磨き、当時の「エレキギターコンテスト」にも多数出演していた。音楽的には60年代後半から70年代前半のものを好むが、ギタリストとしては、その時代以外のものにも関心を示し、ヴァン・ヘイレンやスティーヴ・ヴァイの来日公演の観客席で目撃されている。1982年と1993年・2014年にはインスト・アルバムを発表し、ギタリストとしても優れた音楽センスを披露した。フジテレビの深夜番組『寺内ヘンドリックス』にも、度々、アナウンサーにギターを指導する講師等として出演していた。2014年10月にはギターメーカーPRS(Paul Reed Smith)主催のイベント「EXPERIENCE PRS in JAPAN 2014」(於:ディファ有明)に出演。ライブステージにてアルバム「Playin' It All」から「雪の華」「ありがとう」「異邦人」「ミ・アモーレ」を演奏した。自身のアルバムにラリー・カールトン等の著名ギタリストが参加したことがある。またサンタナのヒットシングル「Smooth」を、「愛がメラメラ」として日本語詞を付けてカバーした際には、カルロス・サンタナとの面会も果たしている。2005年には、ヘヴィメタル専門番組『ヘビメタさん』に出演。元メガデスのマーティ・フリードマンと競演する。東京都に本社と工房を置くギターメーカー「Combat Guitars」から、野口五郎モデルのギターが発売されていた (現在は製造販売終了) 。ベーシストとしても活動しており、主に演歌のレコーディングにスタジオ・ミュージシャンの立場で数多く参加している。『カックラキン大放送!!』では、自身の短足を誇張した、当時のアイドルとしては珍しい捨て身のギャグが定番だった。バラエティ番組では、ダジャレ好きなタレントとして、歌手活動とは違った魅力を見せている。自ら「ぼくも野口五郎というタレントを作るスタッフの一人なんですよ」と話している。火曜ワイドスペシャルで放送された芸能人野球大会に投手として出場したことがあり、その時の背番号は560番だった。野口をものまねしたコロッケに対して、怒るどころか、むしろ軽妙にトークをする懐の深さを見せた。2006年、『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』に出演し、コミカルな一面を披露している。

出典:wikipedia

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