『柔道部物語』(じゅうどうぶものがたり)は、小林まことによる日本の漫画。『週刊ヤングマガジン』(講談社)にて、1985年から1991年まで連載された。柔道を題材にしている。冒頭部分だけOVA化されている。『1・2の三四郎』『ホワッツマイケル』に次ぐ小林まことの代表作品。小林がインタビューで「同時連載していた『ホワッツマイケル』は仕事と割り切って描いたが『柔道部物語』は感情移入していた」と語っているように、柔道経験者の小林が渾身の力で描いた作品。経験者ならではの技のリアルさやディテールで連載時から話題を呼んだ。当初は自身の経験を元にした部活動のドタバタ路線であったが、古賀稔彦から届いたファンレターがきっかけで小林にやる気のスイッチが入り、本格柔道マンガで三五が日本一を目指すというストーリーに方針転換が行われた。三五が出場した全国高等学校総合体育大会の開催地から、舞台となった時代は1987~1989年と思われる。岬商業高校に進学した三五十五(さんごじゅうご)は、ふとした興味から柔道部を見学(仮入部)したところ、新入部員歓迎のしごき「セッキョー」で地獄を見る。これに憤りを感じるが、負けん気の強い三五は柔道を続けることを決意する。そして三五は必殺の背負い投げを会得し、岬商の救世主となる。身長・体重は全て入学時の言及。同じ県の最強の高校。物語序盤における岬商および三五にとっての最大の壁。近隣の強豪校。三五が1年のときの夏休みに行われた合同合宿では力の差をまざまざと見せ付けられた。しかし、夏休み後の県民大会(団体戦)で対戦すると、対外試合デビュー戦となった三五が勝つなど、4-1で岬商業が圧勝してしまう。これによって下山田農業は岬商の快進撃の第一歩としてストーリー上に名を残す対戦相手となった。東京都にある部員170人を抱える強豪高校。東京には他にも池谷学園という強豪校が存在する。ネーミングは講談社と東京学館から。千葉県の強豪校。西野以外のレギュラーメンバーの苗字は千葉の地名をそのまま使用している。この漫画には他の小林まこと作品と同様に著者の他の作品のキャラクター、もしくはそれに類似する人物がしばしば登場する。また、小林まこと作品である『格闘探偵団』の中で主人公の東三四郎がO・U大学柔道部を訪れ、三五十五と対面する回がある。それによると、オリンピックの柔道日本代表として金メダル確実と言われ、日本選手団の団長にまで選ばれたにもかかわらず、一回戦でまったく無名の選手に負け非常につらい目にあったとのこと。次回のオリンピックでの雪辱に向けて特訓中であるが、できちゃった結婚をしたひろみとの間にはお腹の子も含めて4人の子供が出来ている(ひろみによればコンドームをつけてくれないので「百発百中」だとのこと)。また、『1・2の三四郎 2』にも、有名な強豪選手として西野と共に名前が挙げられている他、三四郎と赤城の大阪城決戦を三五と西野がならんで観戦に来ているシーンが描かれている。また、『ホワッツマイケル』にも三五十五と十五の両親が登場するエピソードが掲載されている。
出典:wikipedia
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