ビッグバン打線(ビッグバンだせん)は、1990年代後半からの日本ハムファイターズ、北海道日本ハムファイターズの打線の愛称。1998年、日本ハム球団が打線の愛称を公募し、最多票となったのがこの「ビッグバン打線」である。本来は1998年のファイターズ打線を指す愛称だったが、その後もファイターズ打線が強力な打棒を見せる年は、この愛称が使用されている。ちなみに当時解説者だった原辰徳は、ボリュームがハムではなくステーキだと言う理由から「ビッグステーキ打線」と呼んでいたが、定着しなかった。1998年シーズン前半はビッグバン打線の活躍で、2位の西武ライオンズに10ゲーム差以上をつける完全独走状態だった。しかし後半戦に入ると主軸打者が軒並み不振に陥り、後半戦のチーム打率は.220、平均得点は2.45、勝敗は16勝35敗2分と歴史的な大失速で2位に終わる。翌1999年も打線は好調だったものの、投手陣の不調が原因でBクラスに終わる。このことから投手陣も「ビッグバン投手陣」と揶揄されることとなった。2000年の打線は非常に強力で、打率3割・30本塁打と中軸並の成績を残した小笠原道大が2番に座り、得点圏打率リーグ1位の野口寿浩が8番、他にも打率リーグ2位で30本塁打を打った主砲・シャーマン・オバンドーを中心に、同じく主砲のナイジェル・ウィルソン、打って守れる田中幸雄、勝負強い片岡篤史などを中心にチーム打率、安打、得点、打点など9部門で同年の12球団トップを記録した。翌2001年は主力陣が怪我に見舞われ「ビッグバン打線は分解した」と言われた。2004年のシーズンは2年ぶりのAクラス入りを果たしてプレーオフ進出。ビッグバン打線復活と称された。2005年以降は犠打や盗塁の増加で得点機会を増やし、必ずしも長打のみに頼らない確実に1点を取る打線の構築も積極的に取り組まれている。ビッグバン打線は(特に2000年、2004年の布陣)長打力を重視しており、強力である反面、三振が多いことおよび機動力の不足が課題でもある。また球団も機動力より長打力のある新人選手を好む傾向があった。そのため、毎年のように30本塁打以上を放つ長距離型の選手が3人以上いる場合が多く、打線も全体的に長打力に長ける選手が多い。打線は史上最強とも謳われたが、投手陣はそれに等しいレベルに付いて行けず、投手の不調で優勝を逃した年も少なく無い。だが、2006年は反対に前半戦不調だった打線を投手陣が支える形となり、交流戦終了時から打線も元の強さを発揮。2006年はまさに打と投の歯車が噛み合ったと言える結果になった。2006年はWBC日本代表のスローガン「ストロング&スピーディー」をいち早く取り入れた、バランスの良い「ビッグバン打線」として破壊力を示した。チーム防御率が両リーグ1位、チーム犠打数の飛躍的増加の一方でチーム本塁打数もリーグトップだった。ただしこの年においては、この強力打線がこの名称で語られることは、マスコミにおいてもファンの間でも少なくなっていた。2007年は前年オフに小笠原道大がFAで移籍し、SHINJOが引退して長打力は手薄になった。高橋信二や小谷野栄一、工藤隆人などの復活や台頭でチーム全体の士気こそ上がったが、安打、本塁打、四死球、得点、打点、出塁率、長打率でリーグ最下位、打率もわずか一糸差の5位と低迷し、ここに名実ともに「ビッグバン打線」は終焉を迎えることとなる。それでもリーグ随一の投手陣を武器に、交流戦での大型連勝などで貯金を重ねリーグ連覇を達成したが、日本シリーズでは終始貧打にあえぎ敗れた。翌2008年、フェルナンド・セギノールの放出によりさらに長打力が低下、チーム打率も最下位に転落し、得点は首位の埼玉西武ライオンズから182点もの大差をつけられる決定的とも言える得点力不足を露呈しリーグ優勝を逃す。シーズンオフにはリリーフエースのマイケル中村を放出してまでも打線強化が図られることとなった。※表中の太字はリーグトップ大ベテランの落合博満やブルックスはシーズン序盤こそ4番を打ったものの、それまで実績の無かった西浦が前半戦17本塁打と大ブレイクし、落合からポジションを奪い、4番の座に据わった(落合は同年限りで引退)。しかし後半戦は西浦が大失速し、主に田中とウィルソンがクリーンナップを打った(田中が4番を打った時の1番は井出が務めた)。西武から移籍してきた奈良原浩が遊撃手に定着した為、田中が一塁手になった。小笠原道大選手が一塁手のレギュラーになる前で代打として出場する事が多かった。主砲のウィルソンが開幕直後に故障離脱。以降フランクリンがDHに廻り、上田が右翼で起用されることが多かった。前半は田中が4番、フランクリンが5番を打っていたが、オバンドーの補強以降は7月以降はオバンドー4番、田中5番、フランクリン6番で定着。前年序盤戦でクリーンナップを務めた西浦は、開幕から4番で起用されていたが、前年後半戦同様の不振で6番に降格。後半戦はスタメンから姿を消し、以降は根本、藤島、井出、上田といった複数の選手を使い分けていた。また、田中が遊撃に再コンバートされ、奈良原は代走・守備要員として起用されるようになる。勝ち試合の終盤は中嶋聡がリリーフ捕手として起用された。一塁手に田中幸雄や小田智之を起用した場合や、交流戦のビジターゲームでセギノールが一塁を守った試合は小笠原が三塁に入った。三塁はシーズン前半は木元邦之の起用が多かったが、シーズン中盤以降はマシーアス、稲田、飯山が併用された。
出典:wikipedia
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