ゾウによる踏み付け(ゾウによるふみつけ、"Crushing by elephant")は、4000年以上にわたって東南アジアや南アジア、とりわけインドで行われてきた、罪人をゾウで踏み潰したりばらばらに引き裂いたりする死刑の方法。長年にわたり、ゾウは軍事目的(戦象)でも使われていた。このため、脱走兵・捕虜・軍隊内での犯罪者は、戦象の足の下敷きにされて処刑されることが多かった。ローマ人やカルタゴ人も行うことがあったほか、エジプトで行われていたゾウによる踏み付け刑について、フラウィウス・ヨセフスの著書や旧約聖書第二正典の第3マカベア書に記載されている。12世紀のユダヤ人のラビで大旅行者でもあるペタヒア(Petachiah of Ratisbon)は、北メソポタミアのニネヴェ(モースル)滞在中に見たゾウによる処刑を報告している。イギリスの航海者ロバート・ノックスは、1681年の著作で、セイロン島(スリランカ)で捕らえられていた間に見たゾウによる処刑方法を書いている。1868年にインド中央部を探検したルイ・ルスレ(Louis Rousselet)は、ゾウによる罪人の処刑を記述している。彼の描いたスケッチは木版画にされ、世界の旅や冒険を載せたフランスの雑誌『Le Tour du Monde』(「世界旅行」)に掲載された。このスケッチでは、有罪を宣告された者が頭を台に載せられ、ゾウが足の裏で頭を踏み潰す間そこに押さえつけられている様が描かれている。多くの王(ラージャ)はゾウによる踏み付け刑のためにゾウを飼っていた。踏み付けという目的のため、これらのゾウは特に体が大きく、時には重さ9トンを超すものもあった。こうした処刑は、人々に犯罪を犯さないよう警告するため、公開の場で行われた。また見せしめのため残酷になるよう意図されており、実際非常に残酷な結果になった。また、処刑にかかる時間は長く引き伸ばされることがあった。例えば処刑の前に、ゾウの足に結んだロープなどに罪人を縛り、街の通りを引き回すこともあった。また、苦しみの時間を伸ばすために、処刑用によく訓練されたゾウを使うことによって、まずは手足を、次に胸を、というふうにゆっくり順番に踏み潰させることもあった。なかにはこうした処刑を個人的な楽しみのために行う専制君主もいた。ムガル帝国の皇帝ジャハーンギールはゾウによる踏み付け刑で頭を潰される様を見るために多くの罪人を用意させていた。18世紀から19世紀、ムガル帝国と争ったマラータ族によるマラーター同盟もゾウによる踏み付けを行った。1801年、マラーター王国の宰相バージー・ラーオ2世は自身と敵対したヴィトージー・ラーオ・ホールカルをゾウによる踏み付けで処刑し、この処刑は第二次マラーター戦争につながる一因ともなった。18世紀と19世紀を通して、南アジアのムスリム法廷は罪人に対し、ゾウによる踏み付け刑を宣告していた。しかし大英帝国の支配が強まるにつれ、ゾウによる踏み付け刑は衰退し行われないようになった。ゾウによる死亡事故は今でも、アフリカや南アジアのゾウと人間が共存する地域では珍しくないが、これらは野生のゾウが人間を襲うもので、人間が殺人の目的で訓練されたゾウを使うということはない。よく似た、しかし直接には関係のない言葉に「ゾウつぶし」(Elephant crushing)というものがある。若い野生のゾウを体罰や嫌悪刺激による条件づけを用いて人間に慣れさせる方法(しつけ)を指し、主に東南アジアと南アジアで用いられる人に危害が及ばないようにする伝統的な手法である。PETAなどの動物愛護団体からは、動物虐待ではないかと抗議される。
出典:wikipedia
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