亀田 和毅(かめだ ともき、男性、1991年7月12日 - )は、日本のプロボクサー。大阪府大阪市西成区天下茶屋出身。第20代WBO世界バンタム級王者。日本人選手として初めてWBO世界王者となった。マネージャーはアル・ヘイモン。トレーナーはかつてユリオルキス・ガンボアと井岡一翔を指導し、ホルヘ・リナレスのトレーナーを務めるイスマエル・サラス。亀田三兄弟の三男で、亀田興毅・亀田大毅は実兄、亀田姫月は実妹。実父は亀田史郎。2005年興毅の協栄ジムへの移籍に伴い、東京に転居。東京都葛飾区に本拠地を置いて練習を行っていた。2007年4月からは2人の兄と同様、高校には進学せず2007年5月に行われる全日本実業団選手権でアマチュアデビューし、プロライセンスが取得できる17歳になり次第プロに転向する予定であった。しかし2007年3月7日、「髪型の前髪は眉毛まで、後ろ髪はうなじまでとの規則に違反」「(テレビ番組出演などが)アマ資格に抵触する可能性がある」として、JABFルールに則り、アマチュアのリングに上がれない可能性がある旨を、日本アマチュアボクシング連盟が亀田側に通達したとの報道があった。これに対し、和毅は「勝ち続けることで特例で北京五輪に出たる」と語ったが、父親でありトレーナーの亀田史郎は「違反のルールも曖昧。頭髪も社会人らしくないとムチャクチャ言いよる」「好き嫌いで亀田を排除しようとしているとしか思えん」とコメント。和毅を日本国外でデビューさせる意向を示した。2007年3月14日、天下茶屋中学校を卒業。メキシコ武者修行に旅立った和毅は2007年8月10日、メキシコのパンチョロサレスジムにて、WBCミニマム級25位のホブ・ソラーノとスパーリングしたが苦戦しリングを降りた。9月8日、メキシコで行われたアマチュア大会グアンテス・デ・オロ、バンタム級リーグ戦(少年の部)の3戦目で、ギゼルモ・トレロと対戦。判定負けの裁定を受けたが再審議が行われ、無効試合となった。同4戦目では、エクトル・モラレスに判定負けをしたが、この試合もまた疑惑の判定として無効試合とされている。この大会では亀田の試合以外でも疑惑の判定が多く、大会運営側が審判団と協議し数試合の判定を無効とする採決が下された。結果、決勝まで勝ち進むものの、レイ・バルガスに判定負けで優勝はならなかった。この大会途中で一旦帰国した和毅に対し、日本のメディアは、「土つかずの4連勝」「無敗の遠征凱旋」「相手を圧倒」などと報じたほか、参加大会を「ゴールデングローブ」としていた。2008年11月21日、メキシコでプロデビュー戦を行い、アレハンドロ・モレノ(メキシコ)と対戦し、2R2分8秒KO勝ちを収めた。当初のニックネームは「エルメヒカニート」2008年12月8日、国内デビュー戦を行い、アドリアン・ラミレス(メキシコ)と対戦し、2R1分33秒KO勝ちを収めた。2009年1月24日、ヴィンセント・ペレス(メキシコ)と対戦し、3R36秒TKO勝ちを収めた。2009年2月6日、アルツロ・デルガド(メキシコ)と対戦し、2R2分14秒TKO勝ちを収めた。2009年3月14日、アンドレス・トーレス(メキシコ)と対戦し、2R1分38秒TKO勝ちを収めた。2009年4月11日、アライン・ロペス(メキシコ)と対戦し4R判定勝ちを収めた。2009年5月30日、初の日本人選手との対戦となった雲林龍広(勝又)に4回42秒TKO勝ちを収めた。2009年6月26日、アレハンドロ・ドトール(メキシコ)と対戦し3R2分8秒TKO勝ちを収めた。2009年8月6日、マルコ・アントニオ・チェバレ(メキシコ)と対戦し、4R43秒TKO勝ちを収めた。2009年9月5日、長兄・興毅の前座試合でヘスス・ペリバン(メキシコ)と対戦し、3回2分TKO勝ちを収め、デビュー以来10連勝となった。2009年11月27日、WBO世界フライ級王座挑戦経験もあるマルロン・マルケス(ニカラグア)と対戦し、4Rに2度ダウンを奪うなどして大差判定勝利を収めた。2010年1月16日、メキシコ・ゴメスパラシオで空位のFECARBOXバンタム級王座をロドルフォ・ガライ(メキシコ)と争い、2Rに続けて3Rにもダウンを奪い、この回KO勝利を収めて同王座を獲得した。2010年4月30日、メキシコ・マサトランでナルシソ・ララ(メキシコ)と対戦し、3R1分36秒TKO勝ちを収め同王座の初防衛に成功した。2010年5月29日、メキシコ・グアダラハラで空位のCABOFEバンタム級王座をハビエル・ロドリゲス(メキシコ)と争い、3-0(99-91、98-92が2者)の判定勝利で同王座を獲得した。2010年7月10日、メキシコ・グアダラハラで空位のWBCユース・インターコンチネンタルスーパーバンタム級王座決定戦でアルツロ・カマルゴ(メキシコ)と対戦し、3-0の判定勝ちで王座を獲得した。2010年8月28日、メキシコ・マサトランでWBC世界バンタム級ユース王者シュテファーヌ・ジャモエ(ベルギー)に挑戦。10回を戦い抜き、10回1-1(96-95、96-96、95-96)の3者3様引き分けとなったものの、採点の集計ミスがあったとして10回2-1(2者が96-95、95-96)の判定勝ちに変更され、王座を獲得した。2010年12月26日、1年1か月ぶりの日本のリングとなった兄2人によるダブル世界戦の前座試合で、タイ・バンタム級10位ピチッチャイ・ツインジム(タイ)と対戦し、5度のダウンを奪った上で3R2分12秒TKO勝ち。プロデビュー以来17連勝となった。2011年2月19日、メキシコ・プエルトバジャルタで空位のNABF北米バンタム級王座をヘルマン・メラス(メキシコ)と争い、初の12回戦を戦い抜き、3-0(119-109が2者、119-110)大差判定で5冠目となる王座を獲得した。2011年5月7日、初となる地元・大阪にて長兄・興毅の世界戦の前座試合で、WBCインターコンチネンタルスーパーフライ級ユース王者ネイサン・ボルシオ(フィリピン)と対戦し、3-0(100-90が2者、100-91)の3者フルマークとなる判定で勝利。2011年7月8日、福岡でボーイ・ドンディー・プマール(フィリピン)と対戦し、10回3-0(2者が99−93、98−93)の判定で勝利し王座防衛に成功。なお、JBCでは同年よりユース王座が解禁されており、この試合と前座の黒木優子 vs ノンキャット・ロングレーンギーラコンケーン(タイ)のWBCユース女子アトム級王座決定戦が解禁後初のタイトルマッチとなった。2012年4月26日、メキシコシティにおいて、アブネル・マレスの王座返上に伴って設置されたWBC世界バンタム級シルバー王座決定戦にて、ハイロ・エルナンデス(メキシコ)に10回終了TKO勝ちを収めて、同王座を獲得した。尚、保持していたWBCユース王座はこの試合後に返上した。その後、WBC世界スーパーフライ級王者佐藤洋太(協栄)に挑戦するため、メキシコでの開催を条件に佐藤陣営にオファーしたものの、協栄側は日本での開催を希望したため、交渉は決裂した。2012年12月4日、大阪にて長兄・興毅の世界戦の前座試合で、フィリピン・バンタム級5位のレイ・ラス・ピーニャス(フィリピン)と対戦し4回1分23秒KO勝ちを収めた。2013年3月9日、横浜文化体育館にて長兄・興毅と対戦経験があるノルディ・マナカネ(インドネシア)と対戦し6回36秒KO勝ちを収めた。2013年8月1日、セブ市のにてWBO世界バンタム級王者パウルス・アムブンダ(ナミビア)と対戦し、12回3-0(118-110、116-112、117-111)の判定勝ちで王座を獲得した。史上初の3兄弟世界王者となり、ギネス世界記録に認定された。また、日本人選手として初めてのWBO世界王者となった。2013年12月3日、ボディメーカーコロシアムで前王者のオプション挑戦者で同級6位のイマヌエル・ナイジャラ(ナミビア)と対戦し、3-0で初防衛に成功した。2014年2月6日、JBC職員が亀田興毅、和毅らに監禁や暴行をされたと主張し、1000万円の損害賠償を求める訴訟を東京地方裁判所に提訴したが、後に暴行監禁の事実はなかったことが明らかになり亀田側の勝訴が確定した(詳細は#JBC職員による虚偽提訴参照)2014年2月7日、JBC職員による提訴を受け、JBCは記者会見を開き、吉井慎次会長の持つクラブオーナーライセンスと嶋聡マネージャーのマネージャーライセンスの更新を認めないと発表した。この処分で亀田ジムは活動停止となり、興行を開催できないだけでなく、選手のライセンスはジムを通してしか申請出来ない為、亀田興毅、大毅、和毅が保持するボクサーライセンスも実質的に失効となり、事実上の追放処分となった。2014年7月12日、MGMグランド・ガーデン・アリーナで、当初は同年5月10日に予定されていたが、興行主の現地プロモーターの都合で延期となった元WBO世界バンタム級王者でWBO世界バンタム級1位のプンルアン・ソー・シンユーと指名試合を行い、左ボディで7回1分35秒KO勝ちを収め2度目の防衛に成功した。2014年7月14日、WBOは最新ランキングを発表し、上述のラスベガスでのプンルアン戦を制したことが評価され、亀田和毅はWBOの2014年7月度の月間優秀選手に選出された。2014年7月17日、WBOが亀田和毅にWBO世界バンタム級暫定王者アレハンドロ・エルナンデスと王座統一戦に向けた対戦交渉を行うよう指令を出した。交渉期限は30日間で、交渉期限内に交渉がまとまらなければ入札になるとのこと。2014年7月25日、エルナンデス陣営が亀田陣営との接触が出来ない為、亀田和毅とアレハンドロ・エルナンデスとの間で行われるWBO世界バンタム級王座統一戦の入札を行うよう要求された。2014年7月29日、JBCはランキング委員会を開き、海外遠征届を提出せずに渡米しプンルアン戦に臨んだ亀田和毅をJBC管轄下の日本のジムに所属する世界王者とは見なさないことを報告、JBCの浦谷信彰事務局長代行は「今後はJBCの管轄を離れ、海外で独自の道を行くものと判断した」と語った。2014年8月8日、WBO世界バンタム級王座統一戦の入札が行われ、アル・ヘイモン氏とレオン・マルグス氏が友好関係にあることから亀田陣営を代表して参加したウォリアーズ・ボクシングが60万3000ドル(約6150万円)を提示し、エルナンデスを擁するオールスター・ボクシングが提示した15万1000ドル(約1540万円)を大きく上回った為、亀田陣営が興行権を落札した。WBO規定でファイトマネーの配分は王者が80%、挑戦者が20%(12万6000ドル)となる為、亀田和毅の報酬は48万2400ドル(約4920万円)に達する。2014年11月1日、シカゴのにてアンドルー・フォンファラ対ドゥドゥ・ヌグンブの前座でWBO世界バンタム級暫定王者アレハンドロ・エルナンデスと対戦し、12回2-1(2者が115-113、113-115)の判定勝ちを収め王座統一による3度目の防衛に成功した。2015年5月9日、アメリカ・テキサス州ヒダルゴ郡のにて、オマール・フィゲロア対リッキー・バーンズの前座でWBA世界バンタム級王者ジェームス・マクドネルと王座統一戦で対戦する予定だったが、同年3月にWBOのフランシスコ・バルカルセル会長が「マクドネルはWBOのランキングにランクインすらしていない。WBOが認めるWBA王者はパヤノ一人」、「我々の許可を得ずにWBO王者が他団体の王者と対戦した場合、直ちに王座を剥奪される恐れがある」とツイッターで発信、WBOも公式ツイッターで「我々は一階級に一人の王者だけ認めている。我々は亀田対マクドネルを統一戦とは認めることが出来ない。パヤノがWBAの王者だ」と発信した。同年4月21日にはWBOが正式にWBA世界バンタム級スーパー王者のファン・カルロス・パヤノがマクドネルより上位の王者として在位していること及び、マクドネルがWBOのランキングで15位以内にランクインしていないことを理由に、マクドネル戦をWBA・WBO世界バンタム級王座統一戦とは認めないと発表し、試合を強行した場合は亀田和毅のWBO王座剥奪も辞さないと警告した。その結果、亀田は同年4月24日にWBO世界バンタム級王座を返上した為、試合はマクドネルの持つWBA世界バンタム級王座に亀田和毅が挑戦する形で行われた。3回にマクドネルからダウンを奪うが、5回からマクドネルの反撃が開始すると体格で劣る亀田は劣勢に立たされた試合展開を挽回することが出来ず12回0-3(3者とも113-114)の判定負けを喫しWBOに続く王座獲得に失敗した。2015年5月14日、WBOは最新ランキングを発表し、WBO世界バンタム級王座を空位とし、上述のマクドネル戦に敗れた亀田をWBO世界バンタム級ランキングから除外した。2015年5月16日、WBAは最新ランキングを発表し、上述のマクドネル戦に敗れた亀田をWBA世界バンタム級4位にランクインした。2015年9月6日、テキサス州コーパスクリスティのにてアンソニー・ディレルVSマルコ・アントニオ・ルビオの前座でWBA世界バンタム級王者ジェームス・マクドネルとダイレクトリマッチで対戦し、序盤から終盤にかけて接戦となる展開が続いたが、12回にバランスを崩す形でダウンを奪われ、12回0-3(111-116、112-115、110-117)の判定負けを喫し王座獲得に失敗、4ヵ月ぶりの再戦でリベンジに失敗した。2015年9月11日、WBAは最新ランキングを発表し、上述のマクドネル戦に敗れた亀田をWBA世界バンタム級8位にランクインした。2014年2月6日、JBC職員が亀田和毅らに監禁や暴行をされたと主張し、監禁・暴行されたとするJBC職員3人のうちの1人が興毅、和毅、亀田ジム関係者2人の計4人を相手取り、1000万円の損害賠償を求める訴訟を東京地方裁判所に提訴した。2014年2月7日、JBC職員が会見を開き、JBC職員は「2013年に行われた亀田大毅とロドリゴ・ゲレロとの間で行われたIBF世界スーパーフライ級王座決定戦の試合前記者会見後、ゲレロ陣営が日本製のグローブではなくカナダ製のグローブの使用を決めたことに不満を持った亀田興毅、和毅と亀田ジム関係者2人がJBC職員が会見室から退室するのを妨害し、報道関係者を会場外に出し、JBC職員3人を残して全ての扉を閉め、興毅から「おかしいじゃないか」と脅され、外に出ようとしたところ和毅から首などを数回小突かれるといった暴行や恫喝をされて精神的苦痛を受けた」と主張とした。2014年4月2日、亀田側は、「名誉を傷つけられた」としてJBC職員に計約3200万円の損害賠償を求め、東京地裁に反訴した。2015年9月30日、東京地裁はJBC職員の訴えを棄却し、JBC職員が亀田和毅、興毅らに対し名誉を毀損したとして、計320万円の支払いを命じた。裁判で亀田側は撮影した映像を証拠として提出し、判決で亀田側が「終始敬語を用いて発言しており、大声を出したり凄んでみせるなどの言動はない」して、暴行、監禁はなかったと認定した。2016年2月15日付でJBC職員側が控訴を取り下げたため亀田側の勝訴が確定した。なお、暴行記事を書いたフリージャーナリストの片岡亮についても、虚偽の記事が書かれ名誉を毀損したとして東京地裁に提訴していた。2016年1月27日に東京地裁は、暴行記事によって名誉を毀損したと認定し、フリージャーナリストに対し亀田側に300万円を支払う判決を言い渡し、判決が確定したことを亀田側の弁護士が発表した。
出典:wikipedia
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