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下り酒

下り酒(くだりざけ)とは、江戸時代に上方で生産され、江戸へ運ばれ消費された酒のこと。上方で生産され、大消費地江戸へ輸送され消費されるものを総じて下りものというが、下り酒も下りものの典型的な商品であった。上方、とくに摂泉十二郷(せっせんじゅうにごう)で造られる酒は味も品質も良く、江戸でも評判であったからである。上級酒である諸白はさらに好まれ、下り諸白(くだりもろはく)といって高値で取引された。将軍の御膳酒に指定された伊丹酒の『剣菱』も下り酒の一つである。樽廻船で品川沖に着いた酒樽は、天満船(てんません)に積み換えられ、新川、新堀、茅場町あたりに軒を連ねる酒問屋の蔵に入る。酒仲買人がやってきて、小売酒屋へわたり、店頭から消費者が買い求めるというルートであった。江戸の酒小売業者は升酒屋(ますざかや)といった。京・大坂では造り酒屋が自分の販売所を各都市に持っているので問屋は存在しなかった。そういう販売所が、すなわち上方における酒小売店であり、板看板酒屋(いたかんばんさかや)といった。船を迎える関東側では、中川と浦賀に幕府の派出所があり、ここで江戸に入る物資をチェックしていた。この調査結果は「江戸湾の港(津)に入る荷の量」であることから江戸入津(えどにゅうしん)と呼ばれ、幕府が江戸市中の経済状態を市場操作したり、国内の移入移出の実態を調べるのに活用された。江戸入津は、酒造統制が制限期にあった元禄10年(1697年)で年間64万樽、奨励期にあった文化文政期(1804年~1829年)には年間100万樽と最高値を記録した。このうち江戸後期の下り酒の主流となった灘五郷は66万5千樽、22万3千石であった。摂泉十二郷のあいだでも江戸への売り込みを射程にいれて、品質改良、技術革新、輸送手段の強化、はては江戸市中での営業活動など、熾烈な競争がおこなわれていた。江戸時代前期は伊丹酒、池田酒がトップブランドであり、江戸時代後期に行くにしたがって後発の灘酒が市場を席捲した。これは、やや内陸に位置する伊丹や池田に比較し、海沿いに位置する灘が江戸への発送上有利であったという理由が大きい(当時は保冷輸送の手段のない時代であった)。こうした圧倒的な下り酒の商品力の前に、それ以外の酒である地廻り酒、御免関東上酒、藩造酒などはとうとう江戸時代の終わりまで江戸市場において対抗できるには至らなかった。酒以外の品目では、醤油や木綿は江戸時代のあいだに、幕府の肝いりもあって、下りものと対抗できるだけのものが関東でも造られるようになった。醤油の味が、今日の関東と関西で異なるのは、このときの幕府の政策に由来するものだとする説もある。

出典:wikipedia

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