琴奨菊 和弘(ことしょうぎく かずひろ 1984年1月30日 - )は、福岡県柳川市出身で佐渡ヶ嶽部屋所属の現役大相撲力士。本名は、菊次 一弘(きくつぎ かずひろ)。身長180cm、体重182kg、血液型はO型。得意手は左四つ、がぶり寄り。最高位は東大関(2014年9月場所〜11月場所、2016年3月場所)。愛称はキク。好物は米、しゃぶしゃぶ、プリン。既婚。左利き。建設会社の社長をしている父の三男として生まれる。柔道の山下泰裕物語に影響された祖父の下、小学3年生で相撲を始める。祖父がつくった自宅の庭の土俵で1日2時間の稽古を行い、隣のグラウンドでは100メートルのタイヤ引きを1時間かけて40本行い、牛乳は毎日1リットル飲み、学校にはにぼしを持参、という相撲の英才教育を受けた。ソフトボールで4番打者を務めた経験もある。幼少時に、地元に巡業で訪れた貴花田(後の横綱・貴乃花)の膝に乗せられて記念写真を撮ったことが相撲を続ける上での大きな励みになったという。高知県の明徳義塾中学校に相撲留学し、3年生となった1998年には全国中学校相撲選手権大会で優勝して中学横綱となり、その後、明徳義塾高校に進学して活躍した。小学生のころから佐渡ヶ嶽親方の知遇を得ており、初心通りに佐渡ヶ嶽部屋へ入門した。2002年1月場所に琴菊次(こときくつぎ)の四股名で初土俵を踏んだが、当初は誤って「こときくじ」と読まれることが多かったという。順調に出世し、2004年7月場所に新十両へ昇進し、この時に佐渡ヶ嶽から「人から尊敬される力士になれ」との意味で送られた「琴奨菊」の四股名を得る。2005年1月場所に新入幕を果たした。新入幕となった1月場所では5勝10敗と大きく負け越して、翌3月場所には十両へ陥落したが、その3月場所で13勝2敗の成績を挙げて初の十両優勝を果たし、同年5月場所に再入幕を果たすと、その後は幕内上位に定着した。三役昇進が期待された2006年7月場所では3勝12敗の大敗に終わるが、同年11月場所では10勝5敗の好成績を挙げて初の技能賞を受賞した。東前頭筆頭に据え置かれた2007年1月場所では栃東と魁皇の2大関を破る活躍を見せて9勝6敗と勝ち越し、翌3月場所では一気に西関脇へ昇進した。その3月場所では7勝8敗と負け越し、西小結へ下がった同年5月場所でも千秋楽に出島に敗れて7勝8敗と負け越し、翌5月場所では平幕へ陥落した。小結へ復帰した2007年11月場所では初日に横綱・白鵬に初めて勝利して、9勝6敗と勝ち越しを果たして2回目の技能賞を受賞した。翌2008年1月場所では9日目から途中休場したものの、12日目から再出場して9勝を挙げた。西関脇へ復帰した翌3月場所では12日目に横綱・朝青龍に初めて勝利し、8勝7敗と勝ち越しを決めて初の殊勲賞を受賞した。翌5月場所でも8勝7敗と勝ち越したものの、翌7月場所では6勝9敗と負け越して5場所連続して務めた三役から陥落した。以降は大関昇進を期待されながらも、2008年9月場所から2009年5月場所にかけては5場所連続で平幕に留まるなど、三役には定着しきれない日々が続いた。西関脇の位置で迎えた2011年1月場所では11勝4敗という好成績を挙げて、三役では初めてとなる二桁勝利を挙げて3回目の技能賞を受賞した。稀勢の里と入れ代わる形で、自身初となる東関脇の位置で迎えた続く5月技量審査場所では、終盤に失速したものの関脇の位置で2場所連続しての二桁勝利となる10勝5敗の成績を挙げた。大関獲りへの挑戦となった翌7月場所では、初日に豊ノ島に敗れたものの、以降は9日目に日馬富士に敗れる以外は白星を重ね、11日目には横綱・白鵬も破り、大関獲りが実現する雰囲気が一気に高まったものの、13日目に平幕の隠岐の海に敗れ、続く14日目にも平幕の若の里に敗れてしまい、最終的には11勝4敗の成績となり、2回目の殊勲賞は受賞したものの、大関獲りは次場所への持ち越しとなった。この好機を逃したことを本人は「次はない。あれで上がれないんだから自分は上がれないんだろう。」と嘆き、場所後は朝起きるのもいやなくらいだったという。しかしその頃ちょうどテレビの密着取材を受けていたため「一日中テレビカメラを向けられて、気持ちが乗らなくても稽古しないわけにいかない。だったらしっかりやろうと思った。それがよかったのかもしれない。名古屋場所ではシャットアウトしていたマスコミを、秋場所では受け入れて心が強くなった。」と心機一転して続く9月場所に挑んだ。再び大関獲りへの挑戦となった翌9月場所では、初日から7連勝した。途中で2敗したものの、13日目にはその時点で1敗だった白鵬を2場所連続で破る活躍を見せ、千秋楽まで白鵬と共に優勝を争っていた。千秋楽では把瑠都に上手投げで敗れて12勝3敗の成績となり優勝は逃したものの、3回目の殊勲賞と4回目の技能賞を受賞した。また、この場所を終えた時点で大関昇進の目安とみなされている直近3場所合計33勝に達したため、場所後に行われた理事会で満場一致による大関昇進が決定した。日本出身の大関誕生は、2007年9月場所に新大関昇進を果たしたかつての兄弟子である琴光喜(2010年5月場所後に解雇処分)以来4年ぶりのこととなった。昇進伝達式では「大関の地位を汚さぬよう『万理一空』の境地を求めて、日々努力精進致します」と口上した。新大関の場所となった2011年11月場所は、白鵬と共に初日から9連勝と好調だったものの、10日目で把瑠都に初黒星を喫してから4連敗し優勝争いから脱落したが、千秋楽に同場所大関獲りだった関脇・稀勢の里を下して11勝4敗の成績で終えた(尚稀勢の里は場所後大関昇進を果たした)。翌2012年1月場所では初日に豪風に黒星を喫し、以降も調子が上がらずに7勝7敗の成績で千秋楽を迎え、千秋楽の日馬富士戦に勝利して8勝7敗と辛うじて勝ち越した。翌3月場所では終盤に崩れて9勝6敗の成績に終わった。翌5月場所と7月場所でも終盤に失速したが共に10勝5敗と二桁勝利を挙げた。翌9月場所では、3日目の豊真将戦において上手出し投げで敗れた際に左膝を痛め、左膝内側側副靱帯損傷により全治1週間という診断(同場所10日目にさらに3週間加療の診断書が提出された)を受けて、翌4日目より休場した。本人の途中休場は、2008年1月場所以来2回目のこととなった(他大関陣は同4日目に把瑠都、6日目に琴欧洲も途中休場)。次の11月場所は自身初の大関角番となった。この場所は苦戦し、14日目に旭天鵬を破ってなんとか勝ち越し、角番を脱出した。2013年1月場所は初日から3連勝したが、中盤で4連敗するなど、最終的には千秋楽に8勝7敗と勝ち越しにとどまった。翌3月場所も2場所連続の8勝7敗に留まった。2013年5月、年寄名跡秀ノ山を取得した。5月場所は初日から4連勝、千秋楽では最後まで白鵬と幕内優勝を争っていた稀勢の里を一方的に寄り倒し、5場所ぶりの2桁勝利となる11勝4敗で終え久々に存在感をアピール。7月場所は5連勝の好スタートだったが、6日目以降黒星が増え9勝6敗に終わった。千秋楽では先場所に引き続き稀勢の里を寄り切りで下した。翌9月場所も中日まで3敗を喫し優勝争いから早々脱落した結果、10勝5敗に留まった。しかし11月場所では2日目の松鳳山戦で押し出しで勝利したが、その際自らも倒れこんで土俵の淵に右胸上部を強打したため、勝ち残りであるにも拘わらず、応急処置を優先して苦悶の表情で直後花道を下がり支度部屋へと引き上げた。病院での検査・診断の結果「右大胸筋断裂で全治3カ月の見込み」の重傷により3日目から途中休場となり、翌2014年1月場所は7場所ぶり2回目の大関角番となる。次の2014年1月場所は怪我が完治していない状態で苦しみながらも12日目で勝ち越しを決め角番を脱出した。尚、この場所4日目の妙義龍戦と勝ち越しを確定した後に行われた千秋楽の稀勢の里戦の計2番で不戦勝を獲得している。翌3月場所では、14日目に勝ち越しを決め、千秋楽に鶴竜に敗れ、8勝7敗と場所を終えた。この場所は両横綱を破り、結果的に鶴竜の初優勝にも貢献した。2014年5月3日には片男波部屋で行われた二所ノ関一門の連合稽古で日馬富士、稀勢の里と14番取り、これが4か月ぶりとなる関取との申し合いとなった。この稽古では怪我の状態を考えて右四つを模索していた。5月場所は右肩胸部に一切テーピングをせずに土俵に上がり続けた。この場所は13日目の白鵬戦で負け越しが決まり、5勝10敗と2桁黒星を喫した(大関の地位での2桁黒星は、2009年3月場所で大関として2勝13敗とワースト皆勤敗数を記録した千代大海以来5年ぶり)。次の7月場所は通算3回目の大関角番となったが、2011年11月場所以来となる中日勝ち越しを達成する絶好調ぶりで角番を脱出。9日目に鶴竜、12日目に白鵬に敗れたが、14日目に高安との2敗同士対決を制し、白鵬と同じく12勝2敗で優勝争いの先頭を走った。千秋楽はこの1番に大関取りを懸ける豪栄道と対戦して黒星を喫するも、場所自体は12勝3敗の優勝次点という好成績に終わった。これを受けて、翌9月場所の番付は在位18場所目で初めて東正大関となった。しかし東大関で迎えた9月場所は、5日目からの3連敗で早々優勝争いから脱落、後半戦で立ち直ったが9勝6敗に留まった。続く11月場所も不調で中日で3勝5敗と黒星先行、13日目からは3連敗で6勝9敗と2014年5月場所以来大関として2度目の皆勤負け越しを喫した。角番で迎えた翌1月場所は3日目の栃煌山戦で早くも土がつく。更に、続く4日目の逸ノ城戦も注文相撲で敗れてしまい、序盤で2連敗を喫してしまう。しかし、その後の中盤は順調に星を重ね、5連勝と調子を取り戻す。7勝2敗と角番脱出に王手をかけ挑んだ日馬富士戦には敗れるものの、翌日に鶴竜を破って角番脱出。しかし、終盤に負けが込んでしまい、この場所は9勝6敗で場所を終えた。続く3月場所は2014年7月場所以来の初日から4連勝を達成する。しかし、5日目の栃煌山戦で土がついてしまい、対栃煌山戦は2連敗となってしまう。翌6日目の逸ノ城戦でも黒星がついてしまい、対逸ノ城戦も2連敗を喫してしまう。奇しくも2場所連続で栃煌山・逸ノ城戦で連敗を喫してしまった。9日目の豪栄道戦にも敗れてしまう。翌10日目も好調の照ノ富士戦にも敗れてしまい、2回目の2連敗を喫してしまう。11日目の栃ノ心戦は勝利したが、12日目の白鵬戦、13日目のライバル・豊ノ島戦でも連敗を喫してしまうが、14日目に対戦成績で勝ち越している横綱・日馬富士を4場所ぶりに破る活躍を見せ勝ち越しを決める。奇しくも琴奨菊は2場所連続で横綱を破り勝ち越しを決めた。千秋楽に稀勢の里に敗れ、8勝7敗で場所を終えた。だが翌5月場所は中日で4勝4敗、9日目に4勝5敗と黒星が先行。14日目に日馬富士に敗れ6勝8敗、千秋楽も稀勢の里に負けて6勝9敗と、3場所ぶり3度目の大関皆勤負け越しとなった。次の7月場所は通算5回目の大関角番となった。序盤から波に乗れずに12日目は白鵬に敗れ5勝7敗と絶体絶命、関脇陥落の大ピンチとなってしまう。だがそこから3連勝し千秋楽は新大関の照ノ富士を立ち合いで変化して叩き込み、8勝7敗と辛くも勝ち越しカド番を脱出した。続く9月場所は、持ち味のがぶり寄りが発揮して10日目に勝ち越しを決め、最終的には11勝4敗と、7場所ぶりの2桁勝利を挙げた。ご当地で迎えた11月場所は、2014年7月場所以来の初日から5連勝。6日目に逸ノ城に敗れると、9日目にから4連敗するなど精彩を欠いた。13日目に妙義龍に小手投げで勝って勝ち越しを決めたが、左前脛骨筋挫傷で14日目から休場した。2016年1月場所は、4日目の安美錦戦こそ際どい相撲だったが、中日には稀勢の里との58回目の対戦(武蔵丸ー貴ノ浪とならび史上最多)に寄り切りで勝利すると、10日目鶴竜、11日目白鵬(全勝対決)、12日目日馬富士と3横綱を圧倒し、優勝争いの先頭に立つ。3横綱連破は1991年初場所、霧島が旭富士、大乃国、北勝海を破って以来25年ぶりのことである。13日目に2敗で追う豊ノ島にとったりで不覚をとり白鵬と並んだが、14日目は栃煌山に勝って1敗を守り、自身の取組後に白鵬が敗れたため、再び優勝争いの単独先頭にたった。千秋楽は豪栄道を突き落としで破り、2006年1月場所の栃東以来10年ぶり(59場所ぶり)の日本出身力士の優勝(帰化日本人を含めれば2012年5月場所の旭天鵬以来3年半ぶり)を決めた。なお、31歳11カ月での初優勝は、年6場所制が定着した1958年以降、霧島の31歳9カ月を抜いて旭天鵬、貴闘力に次ぐ3位の年長記録。初土俵から84場所での初優勝は、優勝制度が制定された1909年5月場所以降、隆の里に次いで6番目のスロー記録。新入幕から66場所での初優勝は、1909年5月場所以降、旭天鵬に次いで2番目のスロー記録。大関26場所目での初優勝は、昭和以降の新大関で、21場所の千代大海を上回る史上最スロー記録。佐渡ケ嶽部屋の優勝は2008年5月場所の琴欧洲以来14度目。部屋別では九重部屋の52度が最多となっている。福岡県出身力士としての優勝は沖ツ海、魁皇に次いで3人目。32歳の誕生日の1月末に結婚式を行った。3月場所は、今までの安定感の欠如から、高い水準での優勝、内容が求められる、という条件のもと、初の綱獲り場所となった。初日から先場所の勢いそのままに4連勝。しかし、5日目の隠岐の海戦で土俵際のはたきこみに屈して初黒星。9日目からは稀勢の里、豪栄道、照ノ富士の3大関に敗れ3連敗で4敗、場所後の綱取りは消滅した。13日目以降の3横綱との戦いもいいところなく全敗し、8勝7敗の成績で終えた。5月場所は6日目までに格下相手に2回立ち会い変化を受けて2敗し、早々に優勝戦線から脱落。最終的には10勝5敗だった。7月場所は大関となって初の開幕4連敗スタート。5日目に同じく4連敗の御嶽海を破ってようやく初勝利を挙げた。しかし6日目に隠岐の海に敗れ5敗目を喫し、古傷の左膝などを痛めたため、翌日から日本相撲協会に「左膝内側側副靭帯損傷、左アキレス腱周囲炎のため約14日間の安静、加療を要す」との診断書を出して休場。7日目の魁聖戦は不戦敗となり、魁聖は2014年初場所の琴奨菊自身以来となる1場所2度目の不戦勝。秋場所は6度目の角番になる。大関角番6回は武双山に並ぶ歴代6位の記録。地元が福岡県ということで、福岡県内では引退した魁皇と共に人気がある。本人は大関昇進後の会見において魁皇を目標とする力士として挙げており、逆に魁皇も自身の後継者として期待を寄せている。2016年7月場所終了現在 2016年7月場所終了現在(カッコ内は勝数、負数の中に占める不戦勝、不戦敗の数、太文字は2016年7月場所終了現在、現役力士)
出典:wikipedia
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