イージーゴア (') とはアメリカ合衆国の競走馬、および種牡馬である。サンデーサイレンスの現役時代のライバルとして知られる。良血、近親や兄弟に活躍馬多数など、サンデーサイレンスとまったく違うバックボーンを持ち、高い期待に応え活躍した。「イージーゴーア(ー)」と訳されることもある。2歳の夏にデビュー。デビュー戦は2着に敗れるが、その後4連勝。迎えたブリーダーズカップ・ジュヴェナイルでは単勝1.3倍の圧倒的1番人気に支持され、「セクレタリアトの再来」とまで言われる高評価を得ていたが、スタートで後手を踏んだことが影響してか、以前に負かしていたイズイットトゥルーの2着に敗れる。強烈な追い込みに見られるように実力は相当なものであったが、この出遅れ癖は、後々まで本馬の競走成績に影響を与えることとなる。明けて3歳、3連勝をいずれも楽勝でケンタッキーダービーに臨み、やはり1番人気に支持される。しかしここで立ちはだかったのが、終生のライバルとなるサンデーサイレンスだった。初めての顔合わせでは2馬身半差の2着に敗れた。続いてプリークネスステークスでも最後の直線コースで激しい叩き合いを演じるが、サンデーサイレンスの前に再びハナ差で敗れた。だが三冠最後のベルモントステークスでは、それまでの後方待機とは一変して逃げに出た結果、8馬身差でサンデーに勝利した。その後4連勝して、ブリーダーズカップ・クラシックで4度目のサンデーサイレンスとの対戦となる。イージーゴアは3度1番人気に支持されるが、結果はサンデーサイレンスにクビ差敗れ、エクリプス賞年度代表馬の座もサンデーサイレンスに譲ることとなった。4歳は3戦2勝。メトロポリタンハンデキャップでは生涯唯一、連対を逃している。このときの優勝馬クリミナルタイプは次走でサンデーサイレンスを破っている。その後脚部不安の発症により引退した。また、ほぼ同じ時期にライバルであるサンデーサイレンスも脚部を痛めて引退している。サンデーサイレンスが血統的魅力の不足から日本に輸出されたのに対し、イージーゴアはアメリカで巨額のシンジケートを組まれて種牡馬入りする。ところが1994年5月、供用先のクレイボーン・ファームで種付け後に心臓麻痺を発症して死亡。4年で136頭の産駒を残すだけに終わった。主な産駒にMy Flag(マイフラッグ、CCAオークスなど)、Will's Way(ウィルズウェイ、トラヴァーズステークス)、日本で走った産駒にはプレミアムサンダー(トパーズステークス→京都ダート1800mレコード(当時)、京都4歳特別2着など8戦4勝)、イージーマインド(忘れな草賞。母はケンタッキーオークスなどG1競走7勝のオープンマインド。4頭の産駒を残して死亡)などがいる。イージーゴアの数少ない後継種牡馬のうち、ウィルズウェイがG1競走優勝馬を出すなど活躍を見せている。またMy Flag(母はブリーダーズカップ・ディスタフなど13戦全勝のパーソナルエンスン)は、母としてブリーダーズカップ・ジュヴェナイルフィリーズを勝ったStorm Flag Flying(ストームフラッグフライング)を産んでいる。
出典:wikipedia
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