LINEスタンプ制作代行サービス・LINEスタンプの作り方!

お電話でのお問い合わせ:03-6869-8600

stampfactory大百科事典

国民盟約

国民盟約(国民契約,国民誓約とも、英語:National Covenant)は、イングランドおよびスコットランドの国王チャールズ1世の施行した国教会祈祷書(ロード祈祷書)に反対して起こった、スコットランドの抵抗運動組織である。スコットランドには元来、何らかの主張をする時に結束して盟約を作る習慣があったが、国民盟約はその代表的なものであり、国教会の監督制に対して長老制の維持を主張した。これがイングランドとの主教戦争、ひいては清教徒革命を引き起こす火種の一つとなった。長老派が結集して作った最初の盟約は1557年である。更に1560年、ローマ教皇を非難する声明を出すために盟約が結成された。最も多く言及される盟約が1581年に作られた盟約で、スコットランドにおけるローマ・カトリックへの回帰を目指そうとする勢力の動きに対し、1560年盟約を再確認すると共に断固反対を呼び掛けたものである。こうした盟約は貴族・聖職者から市民に至るまで、こぞって参加していた。主教戦争を引き起こすことになった国民盟約は、1638年盟約である。チャールズ1世は、イングランドの教会のみならずスコットランドの教会をも支配下に組み込もうと考えた。そのためにはイングランド国教会形式、すなわち監督制の実施が必要だった。そこでチャールズ1世は手始めに、カンタベリー大主教ウィリアム・ロードの献策を容れ、1637年国教会形式の祈祷書をスコットランドの教会に施行した。これにスコットランドは猛反発し、モントローズ伯ジェイムズ・グラハムやアーガイル侯アーチボルド・キャンベル、リーヴン伯アレクサンダー・レスリーらが中心となって盟約が結成された(1638年2月28日)。こうして結成された国民盟約はイングランドに2度にわたる主教戦争を挑み、いずれも実質的勝利をえた。更に1640年、スコットランド議会は祈祷書の破棄を議決した。2度の勝利で長老派教会の存続は担保されたものの、国民盟約は解散されなかった。イングランド内戦の間中、盟約は事実上スコットランドの統治機関であった。盟約軍はアイルランド・カトリック同盟鎮圧のために派兵したりもしたが、こうした状況のなか国民盟約は意見の分裂が起き始めていた。スコットランドの実効支配を求めると、スコットランドは国王のもと統治されるべきとするである。両者はそれぞれイングランドの議会軍・国王軍と結び内戦を起こした。内戦は当初モントローズ侯(チャールズ1世により伯爵から昇格)の率いるの有利に推移した。しかし冬になってがイングランドに差し向けていた援軍を戻したとき、状況は逆転していた。農繁期のスコットランドでモントローズ侯のもとに集まれる兵は少なく、リーヴン伯・アーガイル侯に敗れた。やがてモントローズ侯は処刑され、クロムウェルの遠征軍が来るまでの間、アーガイル侯を首長とする国民盟約がスコットランドを統治することになった。

出典:wikipedia

LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。