山ノ上碑(やまのうえのひ)は、群馬県高崎市山名町にある古碑であり、国の特別史跡に指定されている。金井沢碑、多胡碑とともに「上野三碑」と称される。本項では、山ノ上碑に隣接する山ノ上古墳についても記載する。「辛已歳」は天武天皇10年(681年)建碑と考えられており、上野三碑の中で一番古い。高さ120cm、幅50cm、厚さ50cmの輝石安山岩に4行53文字が薬研彫りで刻まれている。書体は古い隷書体の特徴が見られる。山ノ上碑は墓誌であり、隣接する山ノ上古墳(下記参照)の墓誌であると考えられている。その内容から放光寺の僧侶・長利(ちょうり)が母の黒売刀自(くろめとじ)のために墓を建てたことがわかる。墓誌としても日本最古である。「放光寺」は佐野の地にあると考えられてきたが、最近の発掘調査により、前橋市の山王廃寺の可能性が高くなった。刻まれている文のほとんどが、長利母子の系譜を述べており、古系譜の史料としても貴重である。山ノ上碑に刻まれている「佐野三家」は金井沢碑の「三家」(ミヤケ、屯倉)であると考えられてきた。しかし、周辺の発掘調査により、史料上知られていないミヤケの存在が確実視されてきたため、「佐野三家」と「三家」は同一でないという可能性も出てきた。1921年(大正10年)3月3日、国の史跡に指定され、1954年(昭和29年)には、「山上碑および古墳」の名称で国の特別史跡に指定された。山ノ上碑の東側にある、直径15m程の典型的な山寄せの円墳である。埴輪・葺石は確認されておらず、古墳としては終末期古墳に属するものとみられる。主体部は凝灰岩の切石積み横穴式石室で、南に開口している。全長7.4m、玄室長2.68m、幅1.75m、高さ1.66m。前述の通り、山ノ上碑は本古墳の墓誌と考えられるが、石室の形態などから古墳の築造時期は石碑の建てられた681年より数十年古い年代が想定されている。そのため現在では山ノ上古墳は黒売刀自の父の墓として造られ、その後、黒売刀自が追葬されたものと考えられている。
出典:wikipedia
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