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天北線

天北線(てんぽくせん)は、日本国有鉄道(国鉄)、および北海道旅客鉄道(JR北海道)が運営していた鉄道路線(地方交通線)である。北海道中川郡音威子府村の音威子府駅で宗谷本線から分岐し、枝幸郡中頓別町・同郡浜頓別町・宗谷郡猿払村を経て稚内市の南稚内駅で再び宗谷本線に接続した。国鉄再建法の施行により1985年(昭和60年)8月に第2次特定地方交通線に選定され、JR北海道に承継されて2年余り後の1989年(平成元年)5月1日に廃止された。線名は、敷設されていた地域の旧国名、「天塩国」と「北見国」から採られている。なお、特定地方交通線に指定された旧・国鉄の路線としては、最長の路線距離を有していた。日本統治下の南樺太への連絡鉄道として建設された宗谷本線の当初のルートである。1922年に稚内まで全通した。1926年、音威子府 - 南稚内間に、より距離の短い天塩線が幌延経由のルートで開通すると、1930年に天塩線が宗谷本線に編入され、音威子府 - 浜頓別経由 - 稚内の旧来のルートは北見線(きたみせん)として分離された。音威子府から稚内へは天塩線ルートの方が短距離であるにもかかわらず、大きく迂回する北見線ルートが相前後して先行開通し、複数の経路を持つに至った背景には、当時、オホーツク海沿岸地主による我田引鉄の意図があり、稚内連絡と同時にオホーツク海沿岸の地域開発が建設の名目にされたといわれている。1961年10月1日の全国的な白紙ダイヤ改正(サンロクトオ)を機に、北見線は天北線に改称された。1980年に国鉄再建法が成立すると、第2次特定地方交通線に指定されたが、冬季の代替輸送に問題があるとして北海道内の他の長大3線(名寄本線・池北線・標津線)とともに一時、廃止承認は見送られた。しかし、結局1985年に問題がなくなったとして追加廃止承認され、国鉄分割民営化後の1989年5月1日に全線廃止となった。廃止の時点まで、急行「天北」が運行されていた。第三セクター鉄道など他の事業者に運営を引き継ぐことなく、優等列車が運行された状態で全線廃止となった路線は、国鉄・JRの歴史上当線が初めてである。1989年3月11日改正時点の列車運転本数所在地の自治体名は、廃止時点のもの。全駅北海道に所在。1989年から運行されてきた代行バスの状況が年々悪化。年間利用客数も2000年の26万人から2012年には15万8000人と40%近い大幅な利用客減少となっている。赤字補てんに使用されてきた転換交付金が数年のうちに底をつく状況となり、再建策として2011年に曲淵 - 鬼志別間を廃止、鬼志別 - 稚内間は鉄道ルートと関係ない宗谷岬経由に変更した。2016年度を目処に特に利用の少ない音威子府 - 中頓別間の廃止、乗合タクシーへの変更を決定したが、沿線自治体の負担額が現行より増えることが判明したためこの計画を見送り、当面はバス路線を現行維持することとなった。

出典:wikipedia

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