LINEスタンプ制作代行サービス・LINEスタンプの作り方!

お電話でのお問い合わせ:03-6869-8600

stampfactory大百科事典

高橋裕二郎

高橋 裕二郎(たかはし ゆうじろう、1981年1月13日 - )は、日本の男性プロレスラー。日本体育大学卒業。新潟県新潟市出身。新日本プロレス所属。小・中学時代は野球部に所属し、捕手を務めていた。東京学館新潟高校時代にレスリングを始める。その後、日本体育大学へ進学し、4年生の頃に全日本学生選手権グレコローマン84kg級王座を獲得した。同大学卒業後、保健体育の非常勤講師と居酒屋でのアルバイトをしながら生活をし続けていたが、「これではオリンピックどころか全日本チャンピオンにもなれない」と考え始め、プロレスラーになる道を選んだ。2003年末に行なわれた新日本プロレス入門テストに参加し、これに合格を果たし同団体に入団した。新日本プロレスに半年の練習生期間を経て、2004年7月26日、後楽園ホール大会の山本尚史を相手に「高橋裕次郎」としてデビューを飾る。ちなみにデビュー時のコスチュームは、近年では異例のアマレスパンツという出で立ちだった。2005年11月4日、成瀬昌由とシングルマッチで対戦。首固めで勝利を収めたが、この試合でアゴを骨折し長期欠場。2006年3月に復帰を果たした。2007年3月、田口隆祐に次ぐ門下生第2号として、サムライジムの一員となり、5月22日、稔の保持するIWGPジュニアヘビー級王座に初挑戦。6月にはベスト・オブ・ザ・スーパージュニアに初出場を果たし、今大会優勝者だったミラノコレクションA.T.から勝利を収めた。2008年3月、内藤哲也とタッグチーム「NO LIMIT」を結成。結成を機にコスチュームもオレンジを基調としたタイツに変更した。4月13日後楽園大会で獣神サンダー・ライガー&AKIRA組が保持するIWGPジュニアタッグ王座に挑戦。敗れはしたものの、レジェンド相手に物怖じしないファイトを見せて注目を浴びた。10月13日、DESTRUCTION'08にて、稔&プリンス・デヴィット組に勝利を収め、内藤と共に第22代IWGPジュニアタッグ王者に輝く。二度目の挑戦にして、悲願の初タイトルを獲得した。その後、邪道&外道組と対戦し、初防衛に成功したが、翌年2009年1月4日、レッスルキングダムIIIの舞台で、モーターシティ・マシンガンズ(アレックス・シェリー&クリス・セイビン組)に敗北を喫し、王座から陥落する。同年2月、両国大会の4wayタッグマッチに勝利し、内藤と共にTNAに参戦。2009年3月31日(現地時間)、TNAオーランド大会でモーターシティマシンガンズに再戦も勝利ならず。さらに自らを鍛えあげるためにとそのままTNAに継続参戦。同年4月19日、シックスサイドスチール3way形式のタイトルマッチに挑戦。しかし、内藤が直前の試合で左膝を負傷するアクシデントが発生し、本領発揮ならず。ここでも敗北を喫した。5月からメキシコに舞台を移し、同月29日に内藤、ドス・カラス・ジュニアと組みCMLLに初登場する。以降継続的に参戦し活躍したが、12月4日に行われたエル・テリブレ&テハノ・ジュニア組との髪切りマッチに敗れ、丸坊主となった。2010年1月4日、内藤と共にヘビー級へ転向を宣言し、新日本に凱旋。レッスルキングダムIVの舞台でチーム3D(ブラザー・レイ&ブラザー・ディーボン組)が保持するIWGPタッグ王座に挑戦(この試合は3wayマッチとして行われ、もう一組の挑戦者はジャイアント・バーナード&カール・アンダーソン組)。この試合に勝利し、第55代IWGPタッグ王者に就いた。3月5日よりリングネームを本名である「高橋裕二郎」に変更して再始動する。4月4日、内藤と共にヒールユニット「CHAOS」に加入した。5月3日、レスリングどんたく 2010にて、青義軍(永田裕志&井上亘組)、BAD INTENTIONS(バーナード&アンダーソン組)を相手にIWGPタッグ選手権試合3WAYマッチを行うも、井上がアンダーソンからピンフォール勝ちを収めたため、同王座から陥落。試合終了後、「俺たちは負けていない」コメントを残し、内藤と共に再戦を訴える。翌6月19日に3WAYイリミネーションルール、7月19日に巴戦ルールとして同カードが実現したが、いずれも敗北を喫し、返り咲きはならなかった。10月、G1 TAG LEAGUEでは、NO LIMITとして出場。リーグ戦をBブロック1位で通過し、トーナメント準決勝で日墨マッスルオーケストラ(中西学&ストロングマン組)に勝利するも、決勝戦で青義軍(永田&井上組)に敗れ、準優勝となった。2011年3月のNEW JAPAN CUP(以降NJC)に出場するも、一回戦の中西戦で敗退。その後、シングルで目覚ましい成果を出し始めた内藤とは対照的に全く結果を残せない状態が続き、次第にパートナーの内藤との間に不協和音が生じる。4月3日後楽園ホール大会の試合後に握手を交わし、一時は関係が修復したものの、5月3日、レスリングどんたく 2011にて、BAD INTENTIONSが保持するIWGPタッグ王座に挑戦し敗北。試合後、内藤をリング上で置き去りにして早々と退場した。26日、田中将斗を加えた6人タッグマッチの試合中に内藤からのタッチを拒否したり、背後から攻撃を仕掛けるといった行動を起こす。試合終了後、内藤を東京ピンプスで追撃した後、「コンプリート・プレイヤーズ」と結託し、NO LIMIT解散を宣言、同時に内藤をCHAOSから追放した。その後、内藤と抗争を展開し、6月18日、DOMINION6.18の舞台で内藤とシングルマッチで対戦し、東京ピンプスで快勝を収める。8月のG1 CLIMAXでは、公式戦で再び内藤と対戦し勝利を収めたが、9月19日神戸大会で敗北。対内藤戦における戦績で初の黒星を喫した。12月24日後楽園大会にて、後藤洋央紀とのシングル戦の試合前にマイクでセクシャル口撃を浴びせ、この日を境に行動、言動と共にR指定キャラとして前面に押し出している。2012年に入ってからはサングラスを掛け、腰にピンクのバスタオルを巻いて入場し、リングサイドに女性ファンがいると抱擁やキスをせがんで来る、セクシー女優を侍らせて入場する、試合前には対戦相手を罵る、会場内の女性を口説くといったマイクアピールで観衆からブーイングや顰蹙を買っている。8月、三年連続でG1に出場。初開催となる新潟市体育館で棚橋弘至と対戦。地元出身ということもあり「裕二郎」コールを湧き上がらせる健闘を見せた。結果的に敗北を喫し3勝5敗と予選落ちとなるも、今大会でいくつもの好勝負を繰り広げ、その才能を開花させた。その後、G1公式リーグ戦中に膝を負傷した内藤を付け狙った。10月8日、KING OF PRO-WRESTLINGにて内藤と対決する。負傷している膝を徹底的に攻めてレフェリーストップ勝ちを収めると、試合後にも椅子で内藤の膝を打ち付け、長期欠場に追い込んだ。そして、同大会メインイベント終了後、IWGPヘビー級王座の防衛に成功した棚橋の前に姿を現し、10年前に棚橋の身に起こった刺傷事件を引っ張り出したマイクアピールで同王座に挑戦を表明した。11月11日、POWER STRUGGLEにて、棚橋の保持するIWGPヘビー級王座に初挑戦したがハイフライフローでピンフォール負けを喫した。2013年2月、真壁刀義との抗争を展開させるが、負け越しのままで終結。10月14日のKING OF PRO-WRESTLINGの舞台では内藤の保持する東京ドーム・IWGPヘビー級王座挑戦権利証ならびにNEVER無差別級王座に挑戦したが、敗北を喫して奪取には至らなかった。2014年に入ると、新日本年間最大のビッグマッチとなるレッスルキングダムにカードが組まれずに欠場。3月のNJCでは出場こそはしたものの、シェルトン・X・ベンジャミンにピンフォール負けを喫し、一回戦で敗退した。その後シリーズには帯同しながらも、INVASION ATTACK、レスリングどんたくといったビッグマッチではカードが組まれずに出場の機会が減少する。4月シリーズのRoad to レスリングどんたくでは各大会で無気力ファイト、自軍の敗戦が濃厚になると足早に退場するといった単独行動が目立つようになり、高橋自身のTwitter上でもビッグマッチで試合が組まれないことに対する不満をツイートするようになる。5月3日、レスリングどんたく 2014にて行われたAJスタイルズvsオカダ・カズチカのIWGPヘビー級選手権試合の試合中に突如乱入しオカダに対してラリアット、東京ピンプスを見舞いAJの勝利をアシスト。試合後、CHAOSを脱退し「BULLET CLUB」に加入した。。6月29日後楽園大会にて石井智宏の保持するNEVER無差別級王座に挑戦、マイアミ・シャインでピンフォールを収め、第4代王者に輝き自身初となるシングル王座を手に入れた。持ち前の馬力や瞬発力を活かしたパワーファイトに加え、相手の顔面を掻き毟る、手の甲を噛みつくといったスニーキーな戦法を織り交ぜながら試合を展開する。かつてのタッグパートナーだった内藤とは対照的に関節技や丸め込み技の類はほとんど使用することはない。

出典:wikipedia

LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。