平澤 光秀(ひらさわ みつひで、1982年3月27日 - )は、北海道札幌市出身の日本の男性プロレスラー。新日本プロレス所属。デビュー以降複数のギミックを演じており、名乗ったリングネームは若手時代の本名に始まり、狂人風ギミックのヒデオ・サイトー、ヒーロー風ギミックのキャプテン・ニュージャパン、そして現在は英雄から悪堕ちしたギミックのBONE SOLDIER(ボーン・ソルジャー)のリングネームで活動している。全国少年レスリング連盟育成委員長を務める平澤光志を父親に持ちその父親が営むクラブで3歳からレスリングを始めたとされる。高校は霞ヶ浦高等学校、大学は専修大学とレスリングの名門校を渡り歩いており、専修大学時代には馳浩の指導も受けていた。高校、大学を通じて国体、全日本学生選手権で活躍した。その後、国語教員免許を取得し大学卒業後は医療機器販売メーカー“竹山”に就職。営業職をしながらレスリングを続け、2004年の国体ではフリースタイル96kg級で3位という成績を残した。会社を辞め、2005年3月に新日本プロレスに入団した。また、練習生時代に全日本社会人選手権に出場しフリースタイル120kg級で優勝する。2006年1月28日、後楽園ホールの飯塚高史戦で、本名の「平澤光秀」をリングネームとしてデビューした。4月26日、高橋裕二郎戦で初勝利を果たした。その後、ZERO1-MAX(現:ZERO1)との対抗戦や、永田裕志とのタッグ“青義軍”でG1 TAG LEAGUEにエントリーするなどと様々な経験を積んでいる。2009年1月4日、レッスルキングダムIII IN 東京ドームの第0試合に出場する。7月19日に前年3月2日に入籍を済ませている歯科助手の女性と札幌市内のホテルで結婚披露宴を行った。7月21日の札幌大会で中邑真輔と対戦するも顔面への膝蹴りを受けて敗北した。試合後、中邑から「情けないよ。情けない。それでも新日の若手か! そんなんだからよ、対抗戦にも呼ばれねぇ! チャンスも潰す! 自覚しろ! 自覚!! 」と酷評を受けた。8月9日にはTAJIRIと初対戦し、TAJIRIのバズソーキックでピンフォールを奪われ、試合後にはグリーンミストを喰らうという屈辱を味わった。9月に 永田、井上亘、スーパー・ストロング・マシンと共に青義軍を結成した。2010年9月、プエルトリコ(WWC)へ無期限の武者修行の旅へと旅立った。現地でのリングネームは「ヒデオ・サイトー」。同団体で再興された二次的タイトル・WWCカリビアンヘビー級王座を復活後初の王者として戴冠していた時期があった。2011年5月、新日本プロレス初のアメリカ大会を記念して新設されたIWGPインターコンチネンタル王座の初代王者決定戦トーナメントに出場するも、1回戦の対戦相手の高橋の東京ピンプスで敗退した。この時のヒデオはまだヒールターンしていなかった為、無精髭は生やしていたもののショートタイツ姿で平澤のファイトスタイルで試合を行っていた。6月、プエルトリコ遠征から帰国し、帰国後もヒデオ・サイトーとして参戦。18日、大阪府立体育会館大会で永田に試合後襲撃を敢行、青義軍メンバーのキング・ファレの制止をはねのけ腰に巻いていたしめ縄で絞首刑の如く永田を締め上げ、青義軍に決別宣言しCHAOSに寝返った。7月3日、タッグマッチで永田と対戦、終始永田の首を締め上げ続けた。翌13日、飯塚とタッグを組み永田・ファレ組と対戦、ファレをカリビアンデスクリップによる首絞めでタップを奪った。また、5日後の18日に初めて永田とのシングルマッチが組まれるもレフェリー暴行による反則負けとなった。8月、G1 CLIMAXに初出場、矢野通戦では試合開始後にリングの真ん中に寝転がった。その矢野との場外戦ではハンマーで矢野がヒデオの頭を攻撃したとき、ヒデオがゴングで防ぎ「カーン」と鳴って観客の失笑を誘い、内藤哲也戦ではスーパー・ストロング・マシンのコスチュームとマスクで現れ、高山善廣戦では虫取り少年のようなコスチューム(麦わら帽子・ランニンシャツ・短パン・虫取り網・虫篭)で登場した。虫とり網を高山の頭に被せるなど、奇行に拍車が掛かる。同ブロックの殆どの選手に負け「楽な試合」「リーグ戦の中休み」など言われたが、最終日の永田戦は入場直前の控え室で永田を襲撃し、腕固めを切り返してのカリビアン・デス・グリップで大会中唯一の勝利を収めると共に永田の決勝戦進出を阻んだ。9月、神戸大会で永田と再戦、しかし最後は永田のバックドロップホールドで敗れた。10月3日、天山広吉のデビュー20周年記念大会『猛牛祭』にタイチとシングルマッチで対戦した。リング外の売店で売られていたピンク色のシュシュで前髪を括った姿で現れ、入場直後にゴングを連打する奇行に走っている。試合は終始タイチに取られたシュシュを餌に振り回されるもカリビアン・デス・クリップで勝利する。この試合を境にサイトーは前髪をシュシュで括った姿で入場するようになり、相手選手に奪わる事を考慮して入場直後に尾崎リングアナにシュシュを預けるようになった。12月4日愛知大会、天コジ再結成戦と銘打たれたテンコジとのタッグ戦で飯塚と組んで対戦、試合中アイアンフィンガーフロムヘルを盗み出すというサイトーの行動は最近見られる光景だった。しかし、盗み出した後アイアンフィンガーで飯塚を襲撃した直後にバックステージに逃走、結果は置き去りにされた飯塚が天山のアナコンダバイスで敗北した。だが試合後に仲間である筈のCHAOSの矢野と石井智宏の手でバックステージから引きずり戻され、飯塚・石井・矢野からイス攻撃&ストンピングを食らい、最後はコスチュームを剥ぎ取り黒のショートタイツ姿にされた後、飯塚から仕返しのアイアンフィンガーを喰らった。2011年12月9日、ヒデオ・サイトーと鈴木軍のタイチがファン投票ワーストとなった事で組まれたシングルマッチにおいて、ヒデオ・サイトーではなくキャプテン・アメリカを模作した『キャプテン・ニュージャパン』として突如ヒーローキャラとなって登場し、額・胸部・盾にはライオンマークが施されていた。しかし最後はカリビアン・デス・グリップというヒーローには似つかわしくない技でピンフォールを奪った。現在は永田の青義軍に戻らず、今まで関わりのなかった田口隆祐、プリンス・デヴィット、タイガーマスクなどの本隊の選手とも組む事が増えてきている。2012年2月19日、『ALL TOGETHER 〜もう一回、ひとつになろうぜ〜』では、キャプテン・オールジャパン&キャプテン・ノアと主要団体のキャプテン達が、勢ぞろいしトリオを結成し参戦した。3月頃からオカダ・カズチカにIWGPベルトを掛けた対戦を要求するも、オカダはこれを黙殺した。4月上旬に菅林直樹社長に直談判し、4月8日の後楽園ホール大会でオカダとのシングルマッチを組むことを約束した。そして当日の4月8日にオカダとシングルマッチを行うも、レインメーカーで敗れた。11月20日より開催されたWORLD TAG LEAGUEに、棚橋弘至とのタッグ「キャプテン・エース」で出場するも全敗。次の年も棚橋とタッグを組み、戦績は1勝だったがBULLET CLUBのプリンス・デヴィットから自らフォールを奪う大健闘を見せた。現在はデビュー当時の赤だけではなく黄色・水色のコスチュームで登場することが多い。永田と組むときは青色のコスチュームの時が多い。また週刊プロレスのプロレスラーの家族への取材ではキャプテンの父として登場せず親友の平澤光秀の父という形で登場した。また2014年4月に開催された井上亘引退記念試合では青義軍としてセレモニーに参加した。限定マスクで登場することもあり、2013年7月の北海道大会では、頭に北海道の地図が描かれたマスクを着け「キャプテン・ホッカイドー」として登場した。2014年4月の台湾大会ではキャプテンの友人である「キャプテン・台湾」が参戦し、後藤洋央紀と組んで急遽IWGPタッグ王座に挑戦したものの敗れた。2016年4月10日、ヨシタツ復活戦と銘打たれたNEVER無差別級6人タッグ王座戦の試合後のバックステージに登場。HUNTER CLUBの結成を宣言したヨシタツに対し、自分がメンバーに入ると告げるも「考えさせてくれ」と固辞される。その後は、タッグマッチにヨシタツと一緒のチームへ組まれる事が多くなり、HUNTER CLUB入りの為に数々の努力を行うも認めてもらうことが出来ないでいた。9月12日、ヨシタツがHUNTER CLUB入りの可否をTwitterでの投票で決めると宣言した。9月25日、DESTRUCTION in KOBEにて試合前にキャプテンをHUNTER CLUBに加入させないとヨシタツが宣言。するとキャプテンが激高し、ヨシタツを襲撃。そのまま対戦相手の高橋裕二郎&チェーズ・オーエンズ組と結託し、BULLET CLUBに加入した。バックステージでヒーローごっこを終わりにすると共に別キャラクターへの転身を宣言した。翌9月26日、NEW JAPAN ROAD ~がんばろう!UONUMA 2016~にてBONE SOLDIERなるレスラーの登場が発表され、正体がキャプテンであることが示唆された。また、田口隆祐は東スポのインタビューでBONE SOLDIERの正体はキャプテンだろうと発言した。10月8日、上記の新潟大会にてBONE SOLDIERのデビュー戦が行われる。試合後のバックステージでは、自身が元英雄であることやヨシタツと因縁があるという内容のコメントを行った。また日時は不明だが、Twitterアカウントの名前が「キャプテン・ニュージャパン」から「BONE SOLDIER」に変更された。平澤は3度のリングネームとキャラクターを変更しているが、それに関わらず使用し続けている技も多い。ヒデオ・サイトーとしては技らしい技はほとんど使用せずに試合を展開する。レフェリーに暴行を加えようとしたり、終始やる気を見せずされがままであることもあるが、スイッチが入ったように突如として狂乱ファイトに転じることも多い。また永田との対戦では、いわゆる「掟破り」のかたちで永田の得意技を使用している。
出典:wikipedia
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