MiG-23MLA(ミグ23MLA;ロシア語:)は、ソ連のミグ設計局でMiG-23戦闘機シリーズのひとつとして開発された多目的戦闘機。北大西洋条約機構(NATO)の使用するNATOコードネームはフロッガーG (Flogger-G)。MiG-23MLAは、防空軍向けに開発・配備されたMiG-23Pの空軍向け機体として開発された。名称の由来は明らかでないが、基となった機体MiG-23Pが搭載するサプフィール23Pレーダーの別名がアメチーストであることが、語尾の「A」の由来であろうとされる。なお、サプフィールはサファイア、アメチーストはアメジストのことであった。レーダーは軽量型のサプフィール-23MLA(重量170 kg)を搭載し、これにより新たな機器の搭載が可能となった。また、機首下面には新型の赤外線捜索装置であるTP-26が装備された。また、DSP-17も搭載された。武装には、当時最新の空対空ミサイルであったR-24R(レーダーホーミング型、最大射程約40 km)とR-24T(赤外線誘導型、最大射程25~35 km)が加えられ、のち高性能の短距離ミサイルR-73も運用した。機体の軽量化と空気力学的洗練により、MiG-23MLAは19000 mまでの飛行能力を確保することに成功した。兵装システムも改良され、高高度での戦闘が可能になったほか、トマホークなどの巡航ミサイルの迎撃も行うものとされた。MiG-23MLAは、1978年に初飛行を果たし、この年から1983年まで「ズナーミャ・トルダー」(「労働の旗」)工場で1100機が生産された。MiG-23MLAと称された機体としては、ソ連国内向けの機体のほか、国内型とほぼ同規格のワルシャワ条約機構向けの"A"規格輸出型、大幅にダウングレードされたその他の国向けの"B"規格輸出型が製造された。MiG-23MLAはまずソ連空軍に配備され、これらの機体はソ連崩壊後にはロシア、ウクライナ、ベラルーシなど各国の空軍に引き継がれた。輸出型は、ブルガリア空軍やチェコスロヴァキア空軍、ドイツ民主共和国空軍、中東各国などに輸出された。しかし、MiG-23MLやMiG-23MLDなどと混同されてしまい、MiG-23MLAのみの運用実績は明らかでない。など従来、西側では主翼付け根に切り欠きがあるものがMiG-23MLD、ないものがMiG-23MLであるとされてきた。しかしながら、実際は切り欠きがあるのはMiG-23MLDのソ連国内向けの機体のみであり、従来MiG-23MLとされてきた機体にはMiG-23ML、MiG-23MLA、そしてMiG-23MLDの輸出型が含まれていたことが冷戦終結後、ヨーロッパでは知られてきた。MiG-23MLDのソ連国内型は主翼付け根に切り欠きがあるため、その部分さえ見えれば識別は容易であるが、他の3つの機体及びソ連防空軍向けのMiG-23Pは細かいアンテナ類やパネルの違い、垂直尾翼の可動部形状の違い等から複合的に識別するより他なく、写真などでは間違える可能性が非常に高い。そのせいもあり、未だに切り欠きの有無によるMiG-23MLDとMiG-23ML、及び防空軍のMiG-23Pという区別しかされていない記述も多い。また、実際上写真等による外見上の識別には限界があり、間違った情報を含む場合も考えられる。MiG-23MLAに関しては、垂直尾翼の可動接合部分の形状や垂直尾翼頂上部のアンテナの種類、空気取り入れ口下面のアンテナなどで複合的に識別するのがもっとも容易で間違いがない。"※このページをもとに製作されています。" "448067
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