タータン(、)とは多色の糸で綾織りにした格子柄の織物である。また格子柄そのものもタータンと呼ばれ、特に日本ではタータン・チェックと呼称される。元来は毛織物であったが近年では様々な素材で作成されている。スコットランド、特にハイランド地方の民族文化と強く結びついており、民族衣装であるキルトは通常、タータンによって仕立てられる。北米ではプラッド (plaid) と呼ばれることも多い。日本では「家紋のようなもの」と例えられ、世界的にもクランとタータンの関係性について言及されることが多いが、家柄とは直接的な関係性のない、特定の地域や企業と結びついたタータンも存在する。さらには単にファッションとして利用されるファッション・タータンといったものも存在する。ただし、商業主義的なタータンについては否定的な見解を持つものもいる。かつては古代ケルトにまでさかのぼる伝統文化という考え方もあったが、これは現在では否定されている。タータンは16世紀から17世紀ごろにハイランド地方の衣装として定着したと考えられている。また、現在のように格子柄を持つものだけでなく、無地のものもタータンと呼ばれていた。1746年にハイランドを中心とした反乱が鎮圧されると、政府はタータンの着用を法律により禁止した。この法は1782年に撤廃されたが、その頃にはハイランドではタータンはすたれつつあった。18世紀末から19世紀にかけてロマン主義者がハイランドの歴史と文化を喧伝し、美化された「高貴な未開人」のイメージを広めたことでハイランド・ブームが起こった。さらにジョージ4世のエディンバラ訪問式典では全員にタータンの着用を義務付けたことで、タータンは復活を遂げた。それまで野蛮なものとして忌避していたローランド人もこの時期にタータンを着るようになった。さらにこの頃に、クラン(氏族)ごとに固有のパターンを持つ、クラン・タータンの概念が確立されていった。ヴィクトリア時代には女王ヴィクトリアとその配偶者アルバート公はタータンをデザインするなどハイランド趣味に高じ、これによってタータンは爆発的に流行した。この頃に化学染料を使った明るい色のものや正装用のタータンとしてドレス・タータンが作り出された。今日では伝統的な毛織物ではなく化学繊維で作られたものや、企業用のコーポレート・タータンといったものも存在する。20世紀に入ると伝統文化であるタータンを保護、保存するため (STS) や (STA) といった団体が設立され、タータンの登録を行うようになった。これら民間団体が独自に登録を行うことは混乱を招くため、2008年にスコットランド・タータン登録法 (Scottish Register of Tartans Act 2008) が制定され、の配下にあるにそのパターンが登録されるようになっている。登記所ではスコットランド国内のみならず、世界中のものが登録されており、ここに登録されていないものはタータンを名乗ることができない。英語の tartan という単語の由来として有力視されているのは中世フランス語の tiretaine である。他にもゲール語の tarsainn に由来する説や、古いスペイン語の tiritana (tiretana) から来たとする説などがある。1538年にはジェームズ5世のためにハイランド・タータン (Heland tertane) が作られたという記録が残されているが、どのようなものであったかは定かではない。1800年代には「無地のタータン」の注文記録が残っており、少なくともこの頃まではタータンという言葉が必ずしも格子柄を持つ布地を表すものではなかったことがうかがえる。ハイランドのゲール語話者は柄のある布を「多色」を意味する breacan と呼んでおり、次第にハイランドの織物を意味する tiretaine と格子柄の織物を指す breacan が混同され、現在の tartan という言葉になったと考えられている。今日ではタータンは織物のことを指し示すだけでなく、その模様のことも意味する。また、北米ではタータンのことをプラッド (plaid) と呼ぶことが多い。plaid という言葉はゲール語の毛布を意味する言葉に由来し、特にハイランドの衣服として使われる大判の布地を指していた。この布地はタータンで作られていたことが多かったため、タータンとプラッドが混同されたと考えられている。このプラッドを使った衣装()は動きやすいように上下に分割され、下の部分は今日のキルトとなっている。上の部分はバグパイプの奏者が身に着ける肩掛け () や男性用の正装に使われる肩掛け () となっている。日本語ではプラッドのことをプレード、プレイドなどとも表記するが発音的にはプラッドが正しい。染色済みの経糸(たていと)と緯糸(よこいと)を直交させて格子縞を形作る。経糸2本の上を緯糸が通り、次に経糸2本の下を緯糸がくぐり抜けていくシンプルな綾織り(右綾)となっている。経糸と緯糸が同じ色だと、タータンには無地が形成される。異なる色の糸が交差する場合は、斜めに線の入った模様を作り、2色の均等な混色を形成する。このように2色で織られたタータンは混色1つを含め3つの色を形成する。混色を含めた色の総数は二次元的に増加する。最終的に示される色彩は、使用される色の数を formula_1 とすると formula_2 で表される。6つの色を使用したタータンでは21色を形成する。多くの色が使われると派手なパターンになると考えがちだが、混色が多くなるため、かえってぼんやりとした地味なパターンになる。タータンの繰り返し現れるパターンの1単位をセット (sett) と呼ぶ。セットはピボットと呼ばれる地点まで進むと、またセットの始めから繰り返すか、反転してパターンを描いていく。水平方向にも同様にセットが繰り返される。反転するパターンは線対称を描くためシンメトリカル(対称)と呼ばれる。セットの始めから繰り返すものは線対称にならないためアシンメトリカル(非対称)と呼ばれる。タータンはセットに現れる各色の糸を数えることで記録される。スレッドカウントは縞の幅を表すだけでなく、使用されている色も示す。例えば、B24 W4 B24 R2 K24 G24 W2 というスレッドカウントは、青24本、白4本、青24本、赤2本、黒24本、緑24本、白2本を意味する。最初と最後の糸はピボットとなる。またピボットであることを明示するため、以前は太字にしていたが、現在ではB/24のように表記する。タータンはシャトルの往復によって織られていくため、スレッドカウントは常に偶数になる。セットはタータンの模様を定義するが、最終的な製品は使われる糸の種類や用途によって変化する。セットが250本の糸で構成される場合、羊毛ならおおよそ12-15センチメートルとなるが、絹糸を使った場合はこれよりも小さくなる。また、セットが12-15センチメートルもあるとネクタイなどでは模様が大きすぎるため縮小して使われる。タータンの色に特別な意味を見出すことは古来からあったものではない。例えば赤いタータンは「バトル・タータン」であり、赤は血の色を意味するといった話はただの俗説に過ぎない。しかしながら、カナダやアメリカのディストリクト・タータンのような新しいタータンでは色に意味を持たせている。例えば緑はプレーリーや森林を表し、青は湖や河川、黄色は作物を表すことがある。タータンはその目的や用途などによって大まかに分類される。目的や用途以外に色合いによっても分類されるが、これらは色合いが違うだけで異なるタータンとはみなされない。今日ではタータンはスコットランドと深く結びつけられているが、タータンの起源に類するものはブリテン島から遠く離れたところで見つかっている。織物の歴史を研究している E. J. W. Barber によれば、紀元前8世紀から6世紀にかけて栄えたハルシュタット文化においてタータンと似た織物が作られていたという。オーストリア、ザルツブルク近郊のハルシュタットの岩塩抗では大変保存状態の良い格子柄の織物が発見されている。ハルシュタット文化はドイツ南部やフランス東部といった中央ヨーロッパに大いに広がり、ハルシュタット文化から続くラ・テーヌ文化ではスペインやブリテン島にまでその影響を及ぼした。ブリテンで発見された最古のタータンとされるものは紀元3世紀ごろと推定される「フォルカーク・タータン」である。スコットランドのフォルカークで見つかったこの布地は、およそ2,000枚の古代ローマ銀貨の入った土器の栓として使われていた。無染色の羊毛で織られており、こげ茶と明るい緑がかった茶色の2色によって模様が作り出されている。ただし後世のタータンとは異なり、模様は市松模様である。このような初期のタータンに類した織物はローマ時代以前には作り出されていたと考えられ、こうしたものが北ヨーロッパのユトランドで盛んだったように、北部のローマ属州では一般的なものだったと考えられている。スコットランドは比較的平坦な南部のローランド地方と急峻な地形の多い北部のハイランド地方に大きく分かれる。ローランド地方はイングランドと国境を接しており、政治的にも文化的にもイングランドの影響を受けていった。またスコットランドの首都エディンバラもローランドにあった。対してハイランド地方は深い渓谷と鋭い岩山が自然の障害となっていたため王の権威が届かず、クランと呼ばれる血縁や地域的な連帯を元にした集団が、なかば小さな独立国家のような状態で多数存在した。ハイランドは文化的にもイングランドやローランドとは大きく異なり、スコットランド国内においてもローランド人からは野蛮人とみなされてきた。一般的なハイランド人の服装は、太ももまで届く長袖のシャツの上に「プラッド」と呼ばれる肩掛けないしはマントを羽織るものであった。これが17世紀ごろになると1枚の大きな布を体に巻き付けて上着とする、(ベルテッド・プラッド)が一般的となっていった。プラッドは無地のものもあったが、格子柄を持つものも多く、今日タータンと呼ばれるものへとつながっている。「タータン」という言葉が最初に現れるのは1538年の政府の財務記録の中であるが、これが格子柄を持つものであったかは定かではない。「タータン」という言葉は単に布地を意味しており、必ずしも格子柄を持つものではなかった。いつ「タータン」という言葉の定義が、格子柄の織物となったのかは不明であるが、17世紀に入るとクラン・チーフの肖像画などの図像史料に格子柄の衣装が登場していることから、おそらくは16世紀から17世紀にかけて現在「タータン」と言われるものが成立していったと考えられている。また16世紀までには縞模様またはチェックのプラッドに言及した資料は多数存在するが、今日知られている地域やクランと結びついた「タータン」はまだ存在していなかったと考えられている。18世紀前半に描かれた肖像画では、同じクランに属する人物が全く別のタータンを身に着けているケースも散見される。が『スコットランド西部諸島探訪記』("A Description of the Western Islands of Scotland
出典:wikipedia
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