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プラーカ新潟

プラーカ新潟(プラーカにいがた)は、新潟県新潟市中央区の新潟駅南口周辺に所在する複合施設。かつては複合型商業施設を主体としていたが、現在は商業フロアとオフィスフロアが混在している。1971年10月、上越新幹線の着工決定を受け、新潟市は新潟駅南側の都市開発に本格的に着手することになった。当時の新潟駅周辺は鉄道路線を境に市街地が分断され、都市開発は北側で止まったまま。南側は「駅裏」と呼ばれ、駅のエントランスは設けられていなかった。周辺には住宅と田畑が混在するなど、駅から至近距離にありながら都市開発の遅れが目立っており、新幹線開通に合わせて都市軸を南側に向かって発展させることが急務でもあった。その後検討を経て1977年3月、市は駅裏を副都心として整備することを目的に「新潟駅南口地区再開発基本計画」を策定。先発事業として、新潟駅舎の真裏に位置する気動車の基地(新潟運転所)南側の土地(約15.4ha)を先行して整備することになった。南口の整備事業では、市道弁天線を北側へ約60m延伸して末端部に駅前広場を設け、駅舎東西に自由通路を架設して駅南北間の往来を可能にすることなどが盛り込まれた。一方、駅前という立地を活かして商業地開発を行う目的で「新潟駅南口第一地区第一種市街地再開発事業」が1978年12月に都市計画決定。その後検討を経て、3棟から成る商業ビル群を南口駅前広場の正面に建設し、東側2棟のうち「A1棟」の下層部を複合型商業フロア・上層部をホテルフロア、「B1棟」の全館を複合型商業フロア、西側「C1棟」の下層部を複合型商業フロア・上層部をオフィスフロアとする計画が立案され、1980年に8月に事業計画が決定。市はこれに合わせ、開発事業を行う第三セクターの事業法人「新潟駅南開発株式会社」を1983年3月26日に設立した。その後、南口が1982年5月に開設され、新幹線は同年11月15日に開業。これらには間に合わなかったものの、3棟は計画決定から7年の歳月を経て1985年4月28日に同時オープンを果たし、愛称は「プラーカ新潟」と命名された。ギリシャ語で「広場」を表すPlakaに由来する。また3棟は当初、市が保有した上で駅前広場東側の2棟「プラーカ1」「プラーカ2」を新潟駅南開発が、広場西側の「プラーカ3」を同市で不動産業を営む木山産業が、それぞれ運営管理を受託する形が採られた。市や第三セクターなどが策定した計画には当初、プラーカ3西側にももう1棟ビルを建設し、西友を誘致する事も盛り込まれていた(同第二地区第一種市街地再開発事業)。プラーカはオープン当初こそ順調な滑り出しを見せたものの、周辺の商業地区から若干遠く回遊性が乏しい上、専門店のみでキーテナントが存在しなかった事などが仇となり、徐々に業績が悪化。南口側には長らく気動車の基地が残ったため駅舎から遠いという周辺施設の構造上の問題も響いた。さらにセゾングループ(当時)の業績不振から1991年に西友の出店計画が取り止めとなった事を受けて第二地区の再開発計画は事実上凍結され、キーテナント不在のままでの営業を強いられるなど誤算が続いた。市は1990年10月、建物の所有権を駅南開発と地権者に譲渡して償却を図ったが、その後も市内には古町・西堀十字路角のNEXT21内にラフォーレ原宿が進出(1994年)、万代シテイにもビルボードプレイスがオープン(1996年)するなど、プラーカと同様の専門店主体の商業施設が次々とオープンした事でプラーカの存在意義は希薄となり、来館者数の減少から徐々にテナントも減少した。結局市などは慢性的な赤字経営から抜け出せないことを理由に、商業フロアの閉鎖を決断。2004年2月28日を以って3棟のうち駅南開発が保有していたプラーカ1・2の2棟の商業フロアが営業を終了し、2棟とも競売によって売却され、所有権はプラーカ1のホテルフロアが明治安田生命保険に、1の商業フロアと2の全棟が木山産業に移り、3棟の商業フロアは同社が一括して管理することになった。なお、駅南開発は2004年6月30日をもって解散。負債総額は約59億円であった。その後改修が行われ、プラーカ2は下層部を商業フロア、上層部をオフィスフロアとし、既存のプラーカ3とほぼ同様のフロア構成となった。またプラーカ1のホテルフロアはオープン以来、藤田観光による「新潟ワシントンホテル」が営業を継続してきた。商業フロア閉鎖以降も営業は継続されたものの、2007年3月31日をもって撤退。代わって同年ソラーレ ホテルズ アンド リゾーツが進出し「チサンホテル&コンファレンスセンター新潟」が8月4日にオープンした。しかし現在も商業フロア・オフィスフロアとも空きテナントが数多く、2010年1月時点でテナントスペース全体の約3割が空いており、新規顧客の開拓が大きな課題となっている。一方、周辺では新潟駅周辺の在来線立体交差化事業と、それに伴う周辺整備事業が進められており、立体交差化は2015年度、周辺整備は2027年度の竣工を目指している。このため、南口周辺では長らく停滞していた再開発事業が著しく進捗しつつある。西友の出店断念以降、不確定なままだった第二地区の再開発事業が1999年から計画見直しを経て再開し、2007年夏から建設工事が開始された。「LEXN(レクスン)」と名付けられたこのエリアには高さ115m・31階建のタワーマンションを中心に、商業フロア・オフィスフロア・立体駐車場などを内包する3棟のビルから成る複合施設が建設され、2010年2月下旬から順次オープンしている。また、これまで駐車場等として暫定供用していた新潟駅南口の旧新潟運転所跡地は、南口駅前広場の拡張改修用地に充てられ、第1期改修は2009年9月に完工。これによって駅舎とロータリーが近接し利便性が大幅に改善された。さらに駅前広場の改修と同時に「新潟駅ビルCoCoLo」の新フロアが相次いで竣工。1月には東側連絡通路とバスターミナルに面する「CoCoLo南館」が(竣工後順次オープンし、2月20日にビックカメラが開業しグランドオープン)、9月19日には中央広場に面する「CoCoLo中央」がそれぞれオープンした。このように南口側の整備が進み、また今後、立体交差化事業が進捗すれば万代口側も含めた駅周辺の環境が大きく変貌することになる。こうした環境の変化はプラーカの運営体制にも影響を及ぼす可能性があり、今後の動向が注視される。3棟は地下1階で連絡しており、プラーカ2と3の間には市道弁天線を横断する地下通路が設けられている。また2階部分に架設されたペデストリアンデッキにより、プラーカ1・2は新潟駅東側連絡通路と、プラーカ3は新潟駅西側連絡通路およびLEXNと、それぞれ連絡している。3階より上層はオフィスフロアで、原則として関係者以外の立ち入りは禁止されている。けやき通り側に設けられた出入口「けやき口」には、オフィスフロア専用のエレベーターが設置されている。2階より上層はオフィスフロア。2階はLEXNとペデストリアンデッキで連絡しているが、原則として関係者以外の立ち入りは禁止されている(1階へは階段もしくはエレベーターを利用)。

出典:wikipedia

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