ヴィットリオ・デ・シーカ(Vittorio De Sica, 1901年7月7日 - 1974年11月13日)は、イタリア出身の映画監督・俳優。カンヌ国際映画祭、ベルリン国際映画祭の最高賞に輝き、アカデミー外国語映画賞も受賞した。俳優としてもアカデミー助演男優賞にノミネートされている。1901年7月7日にイタリアのフロジノーネ県ソーラで会社員の末子として生まれる。父の給料は少ないため生活は苦しく、2人の姉と共にアルバイトで家を助けながら高校を卒業した。高校卒業後は俳優の道を歩み、兵役で芸能活動を中断しながらも、二枚目の役者・流行歌手として人気を得る。1931年ごろからイタリア映画に出演、マリオ・カメリーニの下で映画を学び、1940年に『』で映画監督としてデビューした。1944年に脚本家のチェーザレ・ザヴァッティーニとコンビを組んで制作した『子供たちは見ている』は、ルキノ・ヴィスコンティの『郵便配達は二度ベルを鳴らす』、アレッサンドロ・ブラゼッティの『』と並んでネオレアリズモの嚆矢と見なされている。第二次世界大戦後に再びザヴァッティーニと組んで制作した『靴みがき』や『自転車泥棒』は、ネオレアリズモを代表する作品として評価されている。1951年の『ミラノの奇蹟』でカンヌ国際映画祭グランプリを受賞するが、1950年代に入ってネオレアリズモの動きは停滞し、旗手の一人であるデ・シーカもまた壁に当たる。1953年に資金獲得のために方向性を転換してアメリカ映画界の俳優を起用した『終着駅』を制作する。1957年には『武器よさらば』にイタリア人軍医役として出演し、アカデミー助演男優賞にノミネートされた。老年に至っても『パンと恋と夢』『ロベレ将軍』などの作品に俳優として出演した。1970年、ソビエト連邦の後援によって『ひまわり』を発表、1971年の『悲しみの青春』でベルリン国際映画祭金熊賞を受賞した。生涯で2度結婚している。2番目の妻でスペインの女優マリア・メルカデルとは1942年から事実婚の状態にあったが、フランスの市民権を取り、最初の妻でイタリアの女優との離婚が認められる1968年まで正式に結婚することができなかった。なお、リッソーネとは1954年にメキシコで離婚しているが、イタリアの法律では正式なものとは認められなかった。作曲家となった長男(1949年生)と俳優となった次男(1951年生)はどちらもメルカデルとの間に生まれた子である。
出典:wikipedia
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