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藤井淳志

藤井 淳志(ふじい あつし、1981年5月20日 - )は、愛知県豊橋市出身の中日ドラゴンズに所属するプロ野球選手(外野手)。地元で公立の豊橋東高校に進学。一年秋から遊撃手兼投手でレギュラーで活躍。地元の強豪私学高校が沢山ある厳しい中で二年の秋に県16強の成績を残し、三年生の時は4番打者として活躍した。筑波大へ入学後は、2003年首都大学連盟春季一部リーグで打率.340、50打数17安打6打点と個人打撃成績7位の成績を残す。大学三年生の冬にスイッチヒッターに転向。リーグ戦通算57試合出場、169打数43安打、打率.254。社会人NTT西日本では、プロでも同僚となる齊藤信介や脇谷亮太とプレーしていた。入社後徹底的にウエートトレーニングで鍛え体脂肪を6%~7%の肉体に鍛え上げ、守備、走塁に加え打撃でも成長。野球W杯で社会人で編成された日本代表に選出。チェコ戦では本塁打を放つなど攻守にわたり活躍した。2005年社会人日本選手権に出場し決勝までフル出場しチームの準優勝に貢献した。2005年の大学生・社会人ドラフト会議で、中日ドラゴンズから3位指名を受けて入団する。は上田佳範、井上一樹、英智らと外野のポジションを争い、オープン戦の活躍により2番・中堅手として開幕スタメンを果たした(チームとして福留以来七年ぶりの新人の開幕スタメン)開幕2戦目でプロ初安打を記録し守備では山崎浩司の左中間に抜けそうな当たりをダイビングキャッチするというファインプレーをみせた。しかし、打力不足の印象は否めず、5試合目からはスタメンを外れ、以後は主に守備固め・代走として出場した。日本シリーズでは第四戦の8回裏中堅の守備固めで日本シリーズ初出場。右打席に専念、春季キャンプにおいて、ほぼ毎日3時間かけて1562スイングと荒行を成し遂げるも、落合博満監督は「これから毎日だよ。足りなけりゃ4時間でも5時間でもいい。長くなってくるよ。限界?限界なんてあるか」と発言。藤井の目標は「総合アップさせたい。1日1600スイングで鍛える」であった。前年よりもスタメンの機会も増えて、プロ初打点を記録した。初本塁打は広いナゴヤドームで右打席で逆方向にホームランを放っている。守備固めや代走での出場も含め前年より出場機会が増えた。また燃えよドラゴンズ日本一記念版では、(藤井が守るフェンスぎわ)と歌われるほど守備力の高さを見せた。日本シリーズでは、第一戦第二戦センターでスタメン出場、第四戦では五回に四球を選び勝ち越し点となる得点でチームに貢献した。パンチ力のあるホームランを見せたが、4度の二軍落ちを経験するなど出番に恵まれなかった。オフに野手として初めてドミニカ共和国のウィンターリーグに新井良太、前田章宏と共に派遣された。リセイ・タイガースに所属して終盤に登録され、3打数1安打の成績であった。ドミニカ留学を機に両打ちを再開した。5月に2歳年下の女性と結婚。厳しい外野争いを勝ち抜いて、センターのポジションを獲得。シーズンを通してほぼスタメンで出場し活躍。春季キャンプ中の練習試合では左右両打席でヒットを放ち、オープン戦で好成績を残し、好調のまま迎えた公式戦では開幕直後の6試合で4本塁打と前3シーズンにおける自身の通算本塁打数(3本)を更新した。6月30日の対阪神戦では、3点差をひっくり返す、プロ入り初の逆転満塁本塁打を放った。9月6日、対横浜戦(新潟)で和田一浩と交錯して骨折し戦列離脱。結局、規定打席には8打席届かなかったが2割9分9厘49打点と自己最高の成績を残した。10月17日、ヤクルトとのクライマックスシリーズ第1ステージ初戦にスタメン出場し3安打と戦力として復帰した。しかしチームはクライマックスシリーズ第2ステージで敗退する。は、ディオニス・セサル、大島洋平、野本圭、堂上剛裕らによる厳しいポジション争奪戦になったが、夏以降にはスタメンの機会が増えた。8月21日ヤクルト戦(ナゴヤドーム)では6番ライト、2打数1安打1四球で決勝のホームを踏み、守備では2補殺と6回畠山の打球を全力で走り好補し守備でも大活躍でお立ち台に上がった。しかし、飛躍した前年に比べ、出場機会は減り、大きく成績を落とした。日本シリーズでは最後の打者となった。は開幕二軍スタートとなった。二軍では首位打者を狙えるほどの活躍をして、何度か一軍に上がったが、そのたびに二軍落ちしてしまい、一軍定着はできなかった。プロ入りして最低の20試合の出場に留まり、不本意な結果でシーズンを終えた。ポストシーズンでは一軍登録され、日本シリーズではライトとして2試合にスタメン出場した。は開幕一軍でシーズンを迎え、7月8日のDeNA戦(ナゴヤドーム)延長10回裏、満塁の場面でライト前に自身初のサヨナラ打を放った。この日のヒーローインタビューで、4月1日に長男が誕生したことを明かした。はオープン戦からホームランを放つなど開幕一軍を果たし、出場機会が少ないながらも5月には補殺数で両リーグトップに立った。5月31日札幌ドームの日ハム戦を初め何度も猛打賞を記録するなど打撃面での活躍も著しい。8月の中旬からは1番センターに定着し、8月の月間打率.378、ホームラン4本と大活躍、9月1日にケガをして戦列離脱した期間を除いてはフル出場を果たした。2013年は規定打席には不足するも通算打率.303と好成績を残した。は二軍で開幕を迎える。4月6日に登録されるが、5月3日に抹消。6月15日に再登録されると、同日のオリックス戦で逆転の口火を切る安打を放ちチームの逆転勝利に貢献した。その後も一軍に帯同し、8月5日には、自身初となるサヨナラ本塁打を故郷・豊橋で放ち、8月29日には8回と11回にいづれも左打席でプロ初の1試合2本塁打を放った。、自身の誕生日でもある5月20日の対広島戦にて逆転3ラン本塁打を放ち、前年に引き続いて故郷・豊橋で大活躍した。さらに7月12日の対広島戦(ナゴヤドーム)では延長12回にサヨナラ本塁打を打つなど得点圏打率.405と勝負強さを発揮し、自身最多となる118試合に出場して打率.295、6本塁打、45打点を記録した。この年に初めて国内FA権を取得したが行使せず残留を表明。10月1日に第2子となる次男が誕生した。スイッチヒッターである。50メートル走5秒8、遠投125メートル。(鉄砲肩と言うように、一般には肩が強いと言われるが、本人は英智同様、むしろ手首が強いためと語っている)入団時、入場曲を中日スポーツで公募してTHE BLUE HEARTSの『TRAIN-TRAIN』に決めた(後に変更、同曲は巨人・鈴木尚広の入場曲として定着)。その後、2008年まではカウボーイビバップのOP『Tank!』を、2009年は当初はTHE BLUE HEARTSの『キスして欲しい』だったが、通常時は『キスして欲しい』、チャンス時は『Tank!』の併用使用となった。2011年からはチャンス時も含め常にTHE BLUE HEARTSの『キスして欲しい』を入場曲として使用している。右打席と左打席では違うタイプのバットを使用している。左打席に使用しているバットは、元同僚の新井良太と同じタイプのものである。2009年には好調な藤井にあやかりたいと荒木雅博が藤井のバットを使うことがあり、10月18日のヤクルトとのクライマックスシリーズで荒木が藤井のバットで決勝タイムリーを放ったときに「ナイスバット」と冷やかしたが、「こっちだよ、こっち」と荒木は自らの腕を指して反論した。なお、荒木はこの決勝打以来、暫くこのバットを使い続けた。ファンサービスの精神が旺盛で、優勝時のビールかけでは、前面スーツ姿の背中丸出しや、イカのような形をしたフランクフルトのかぶり物で登場、テレビを通じてファンを楽しませた。2011年シーズン開始前の応援テレビ番組では青木宣親、シーズン終了後の豊橋イトーヨーカー堂トークショーではアレックス・ラミレスなど、他球団選手の物真似をして会場を沸かせるなど、物真似で多くのファンを楽しませる愉快なキャラクターを持っている。2012年ファン感謝デーの障害物リレーでは、突然チームメートの中田亮二を相手に相撲して先輩の貫録で勝利、満員の観客を沸かせた。2013年関西テレビの番組(プロ野球を2013倍楽しくするテレビ)に出演したとき、司会者から「美容師さんですか??」と突っ込まれるほどお洒落でスマートな野球選手である。

出典:wikipedia

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