『風と共に去りぬ』(かぜとともにさりぬ、)は、マーガレット・ミッチェルの長編時代小説。題名は南北戦争という「風」と共に、当時絶頂にあったアメリカ南部白人たちの貴族文化社会が消え「去った」事を意味する。南北戦争下のジョージア州アトランタ市を背景に、アイルランド系移民の父と、アメリカ南部のフランス系名家出身の母を持つ気性の激しい南部の女、スカーレット・オハラの半生を、彼女を取り巻く人々ともども、壮大に描いた作品である。十年近い歳月を費やして執筆され、1936年6月30日に出版、翌年ピューリッツァー賞を受賞した。初刊から大ベストセラーとなったが、ミッチェルの作品はこれのみで、他に出版は行わなかった。生前から続編の希望はあったが、ミッチェルが病弱であった為、本作の執筆と完成だけでも膨大な年月を要し、同時に海賊版に対する対応に追われたこともあって、本作以降の創作意欲を喪失してしまったからである。1939年に公開された映画『風と共に去りぬ』は、当時としては画期的な長編テクニカラー映画であったことも手伝って、世界的なヒット作となり、アカデミー賞の9部門を受賞した。あくまで南部白人の視点からのみ描かれた本作は、黒人からは「奴隷制度を正当化し、(オハラの様な)白人農園主を美化している」として根強い批判と抗議を受け続けている。特に黒人奴隷の描写に関しては非常に強く批判されており、また白人至上主義団体クー・クラックス・クラン(KKK)を肯定している点等も強い批判を受けている(主人公スカーレットの周囲にいる白人男性たちは、レット・バトラー以外のほぼ全員がクランのメンバーである)。この小説に対抗して、『風と共に去りぬ』の黒人奴隷達を主観に据えた黒人からの批判的パロディー小説、『風なんぞもう来ねえ』(The Wind Done Gone)が黒人女性作家アリス・ランデルによって2001年に著されている。この『風なんぞもう来ねえ』は、ミッチェル財団から「著作権侵害」として提訴された。この訴訟について、いったんは連邦地裁が出版差し止め命令を下したものの、2001年5月25日、アトランタの連邦高裁によって「著作権侵害に当たらず」として却下されている。舞台は奴隷制が残る1860年代のアメリカ南部・ジョージア州。南北戦争の頃である。アイルランド系移民で一代で成功した農園主の娘、美しいスカーレット・オハラは、自分と同じ上流階級の長身の美青年アシュレー・ウィルクスに恋をしていた。だがアシュレーは、アシュレーの従姉妹メラニーと婚約していた。「12本の樫木屋敷」でのバーベキューパーティーで、2人の結婚を知って愕然としたスカーレットはアシュレーに想いを打ち明けるが、アシュレーはスカーレットに魅かれていることは認めながらもメラニーと結婚すると言う。アシュレーが去った後、癇癪を起こしたスカーレットはそばにあったウィルクルス家の花瓶を投げつけて壊す。偶然、一部始終を目撃したレット・バトラーは、彼女の生命力にあふれた躍動的な精神に強く魅かれる。スカーレットは軽蔑する友人達の陰口を聞き、アシュレーへの当て付けのためにメラニーの兄(チャールズ・ハミルトン)が自分に求婚をするように仕向けた。何も知らないチャールズは、スカーレットの思惑通り、南北戦争の開戦のニュースに沸き立つ中で彼女に求婚、スカーレットは後悔しながらも結局結婚してしまう。しかしチャールズは結婚後間も無く戦場に赴き病死。スカーレットは17歳にしてチャールズとの間にできた長男ウェードを出産して、未亡人となる。ウェードを連れてアトランタに赴き、ピティパット・ハミルトンとメラニーとの新生活を始めたスカーレットの前に、かつて無頼な行為で社交界から締め出されたレットが、彼女が未亡人になった事を聞いて現れる。スカーレットに自分と似たものを感じるレットは、スカーレットが被る淑女の仮面を取り去り、彼女本来の姿を露にしようとする。またスカーレットも、喪服姿でダンスパーティに参加する等破天荒な行為で周囲の評判を落とす。そんな中、南軍は北軍に対して苦戦を強いられ、遂にアトランタの陥落も目前となったが、出産を目前に控えたメラニーの看護をしていたスカーレットは、脱出の機会を失ってしまう。進撃する北軍の砲声の中、産後間も無いメラニーとその赤ん坊やウェードを抱えて脱出の機会を失い途方に暮れた彼女は、大嫌いなレットに助けを求める。タラへの帰還を望む彼女を、レットは炎上するアトランタから痩せ馬の馬車で脱出させる。危険地帯を通り抜けた後、レットは自分は軍隊に入るのでこの先は一人で帰るようにとスカーレットに告げる。冗談だと思い笑うスカーレットに情熱的な口付けを残して、彼は南軍の守る前線へと赴く。置き去りにされて怒り心頭に発したスカーレットだが、ようやく故郷・タラへと到着した。しかしタラは北軍の駐屯で荒廃し、頼りにしていた母・エレンも腸チフスで病死していた。一夜にしてオハラ家の主となった彼女の意識は、飢えを凌ぐ事と故郷を守る事だけに集中する。税金の工面に窮したスカーレットは、妹の恋人であり商店を営んでいたフランク・ケネディを奪って第二の結婚をしたが、やがてフランクの商才の無さから自ら商売を始める。その間にフランクとの女児(エラ)も儲けるが、当時女性が男性を差し置いて主体的に経営を行う事はタブーに近かった事や、北軍の移住者と友人になったりした事から周囲からの評判は下降し、メラニーを始めとするウィルクス家の人々とレットを除き彼女の周囲から古い友人は続々と離れていく。また彼女の不用心な行動が難民から襲われるという事件を引き起こし、制裁を加えようとしたフランクは銃弾に倒れてしまう。スカーレットは、レットと第三の結婚をする。レットはそれまでの夫と違い妻が商売をすることに反対せず、スカーレットの自由にさせる。やがて二人の間には娘のボニーが生まれ、レットは初めての娘を溺愛する。スカーレットの想いがアシュレーにあり、また彼女が自分を愛する者に対して無慈悲である事を知るレットは、以前からスカーレットを愛していた事を直隠しにする。またスカーレット自身も次第にレットを愛するようになっていたにも係わらず、自分は相変わらずアシュレーを想い続けていると信じ込み、それを自覚する事が出来ずにいた。ある日、スカーレットはアシュレーとの会話で、彼がレットと自分の夫婦関係を嫉妬していることを知る。スカーレットはレットにこれ以上子供を作りたくないという理由で寝室を別にしたいと告げる。するとレットは、スカーレットが夫としての自分の権利を拒絶するなら今後は他にいくらでもいる別の女と関係を持つだけだと告げ、スカーレットにせいぜい純潔を守ることだとも言う。何事もなかったかのようにレットが去ったあと、スカーレットは、以前から自分を悩ましている、つめたい霧の中を恐怖にかられ必死に何かを求めて彷徨う悪夢から夜中に目覚めても、今までのようにレットの逞しい胸に抱き寄せられて慰められることはもうないのだと後悔し、自分をひどく不幸に感じて泣く。ある時、酔ったレットがスカーレットを強引にベッドに連れて行き、スカーレットは初めて肉体的な喜びを知る。しかし、レットは自らその行為を恥じる。一方レットの情熱的な訪れを待つスカーレットは、訪れる事の無いレットに対して自分が単に嬲り者にされたと思い、二人の気持ちはその日から更に擦れ違い、夫婦仲は日増しに険悪になって行く。再び妊娠したスカーレットにレットが暴言を吐いた事が切っ掛けで、スカーレットが階段から転落、流産して生死を彷徨う。レットはメラニーに、スカーレットがもし死んでしまったなら耐えられないと、スカーレットへの激しい愛を吐露する。しかしこの流産は二人の間に深い溝を作る事になり、レットはボニーに全ての愛情を注ぐが、ボニーは彼がプレゼントしたポニーの「バトラーさん」から落馬し、スカーレットの目の前で死んでしまった。これを機にスカーレットとレットの最後の絆が断たれてしまい、レットは家に寄り付かなくなる。娘を失ったショックから抜けきらない内に、スカーレットに最後まで友愛を示し続けたメラニーまでが流産に因り命を落とす。スカーレットは、この時初めてアシュレーを奪った恋敵として憎んでいた筈のメラニーを、実は心から愛し頼りにしていた事に気付く。また、死の床のメラニーからレットの自分に対する愛情を知らされ、初めて、自分も愛しているのはアシュレーではなくレットであり、これまで彼女を理解し助けていてくれたのも彼だという事を自覚する。スカーレットは彼女の悪夢の中で何かを探していた自分の「その何か」が漸く見付かった思いで霧の中を急いで帰宅する。スカーレットはレットに心から謝罪し愛を打ち明ければ、彼はわかってくれ二人の関係も回復するだろうと思っていた。しかしレットは既にスカーレットを追う事に疲れ切っていた。これまで隠して来た心の内の変遷と、ボニーを溺愛したのはスカーレットを素直に愛すことができない代償であったこと、結論として、もうスカーレットを愛してはいない事を説明し、一人で故郷のチャールストンに帰るつもりだと言う。スカーレットは必死に泣きすがるが、もはやレットの決意をひるがえすことは不可能なことを悟る。自分を支え続けてくれたレットとメラニーを同時に失い遂に孤独となったスカーレットだが、彼女はやがて明日に希望を託し、絶望の中から一歩踏み出す。この作品は、その背景となっている南北戦争の敗戦とその後の南部再建の姿が、太平洋戦争敗戦と戦後復興という日本の歴史に通じる部分があることなどから、日本でも広く愛読され、何度も舞台化されている。1966年に改築されたばかりの帝国劇場にて、菊田一夫製作・脚本・演出で世界最初のストレートプレイで舞台公演し、大ヒットロングラン公演となった。スカーレットが荒廃のタラで、復活を誓う所までを前編とした。本物の馬が登場したことも、大きな話題を呼んだ。翌67年に後編、その後は前後編をあわせた総集編が登場した。スカーレットを有馬稲子と那智わたる、レットを宝田明と高橋幸治で、ダブル主演とした。1970年には題名を「スカーレット」として東宝によりミュージカル版も、帝国劇場で公演された。レット役は宝田明がキャスティングされたが、直前に怪我により降板、北大路欣也が代役を務めた。このミュージカル版はブロードウェイのスタッフによって英訳され、ロンドン、ニューヨークでも公演された。1977年、宝塚歌劇団でも東宝版とは異なったミュージカル版が舞台化されてヒットした。以来幾度も再演され、宝塚の重要な演目の1つとなっている。詳細は"風と共に去りぬ (宝塚歌劇)"を参照のこと。1987年に大地真央主演で、東宝ストレートプレイ版を再演した。1996年に再び大地主演でアレクサンドラ・リプリー作品を原作とした続編『スカーレット』も上演された。さらに2001年、更に大地主演でミュージカル版『風と共に去りぬ』も製作(これで和製ミュージカル版は3ヴァージョンとなる)、同作を一部改定のうえ2002年に大阪の梅田コマ劇場、2003年に名古屋の中日劇場、帝国劇場、2006年に福岡の博多座で再演された。2011年6月に大阪の梅田芸術劇場で、6・7月に帝国劇場開場100周年記念公演として、東宝ストレートプレイ版「風と共に去りぬ」が、主演のスカーレットを米倉涼子、レットを寺脇康文で、24年ぶりに公演された。2003年にフランスでミュージカル化された。『ロミオとジュリエット』のジェラール・プレギュルスヴィック作曲。2008年にイギリスでもミュージカル化された。歌曲の「風と共に去りぬ」(Gone With the Wind) は、ハーブ・マジソン(Herb Magidson)作詞、アリー・リューベル(Allie Wrubel)作曲で1937年に発表された。小説『風と共に去りぬ』にインスパイアされて作られたと言われているが、内容は抽象的な失恋の歌であり、小説や映画とは直接の関係はない。ただし、映画『風と共に去りぬ』の宣伝に使われたとも言われている。ミディアムスロー・テンポで歌われるメジャーなバラードで派手な曲でなく、ヒットはしなかった。だが、1940年代以降のモダン・ジャズ時代になると、通好みの『ひねった』曲調がシンガーやピアニストに好まれるようになり、それ以降、スタンダード・ナンバーとなっている。数多くのミュージシャンがカバーしているが、とりわけ日本においては、ジュリー・ロンドンやエラ・フィッツジェラルドの歌唱が有名である。『風と共に去りぬ』を完結した作品とみなしていたミッチェルは、多くの人から勧められても決して続編を執筆しなかった。1949年に交通事故で他界し、夫ジョン・マーシュ(John Marsh)の手に渡った『風と共に去りぬ』の著作権は、1952年にジョンが死去すると兄のスティーヴンズ・ミッチェル(Stephens Mitchell)が相続し、1983年にスティーヴンズが死去するとさらにその子(つまりマーガレットの甥)であるジョー・ミッチェル(Joe Mitchell)とユージン・ミッチェル(Eugene Mitchell)に引き継がれた。ミッチェルの相続人たちが恐れたのは、2011年に『風と共に去りぬ』の著作権が切れた後、誰もが競って続編を書き始めるという状況が現出することであった。悪くすると、南北戦争の仇敵である北部出身者や三流作家が執筆してしまうかもしれない。実際、アン・エドワーズのような例(映画の脚本として続編を書くが裁判の結果、続編の公開を阻止)もある。このような懸念からミッチェルの相続人たちは、先手を打って続編の出版を企画し、1991年にリプリーの『スカーレット』が誕生した。しかし『スカーレット』は、世界的な大ベストセラーとなりテレビドラマ化されるなど、商業的な成功を収めたものの、作品自体に対する世評には厳しいものがあった。そこで1995年、イギリスの作家エマ・テナントに続編の執筆が依頼された。執筆には『風と共に去りぬ』の全体的なトーン、人物設定や背景を踏襲するという条件が付され、さらに白人と黒人の結婚は禁止、同性愛や近親相姦についての言及も禁じられた。テナントは『タラ』と題する575ページの原稿を書き上げたが、「感覚がイギリス的過ぎる」という理由でミッチェルの相続人側から却下され、出版も差し止められた。その後、アトランタ生まれの作家パット・コンロイにも続編の執筆が打診されたが、契約書中の同性愛等の描写を禁止する条項が作家として自由を妨げるものとして、彼はこの依頼を引き受けることはなかった。さらに続編の執筆者探しの試みは続けられ、南北戦争を舞台にした小説で評価されたドナルド・マッケイグに白羽の矢が立った。今度は過去の失敗を踏まえ、現代までの性や人種に関する人々の意識の変化を作品に反映することを容認し、内容に過度の干渉を加えないよう配慮がなされた。マッケイグはスカーレット・オハラではなくレット・バトラーの視点で続編を書き上げ、2007年にアメリカで『レット・バトラー』が刊行された。長らく大久保・竹内訳が読まれてきたが、2015年に新潮文庫と岩波文庫からほぼ同時に新訳が刊行された。
出典:wikipedia
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