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2005年日本国際博覧会

2005年日本国際博覧会(2005ねんにっぽんこくさいはくらんかい、英称:"The 2005 World Exposition, Aichi, Japan")は、2005年3月25日から同年9月25日まで、長久手会場(愛知県愛知郡長久手町(現:長久手市)と、豊田市にまたがる場所)および瀬戸会場(同県瀬戸市)の2会場で開催された博覧会で、21世紀最初の国際博覧会 (EXPO) であり、国内では大阪万博以来の2回目の総合的なテーマを取り扱う大規模な国際博覧会(General category:旧一般博、現登録博)である。略称は、開催地の名から「愛知万博」、愛称は「愛・地球博」(あい・ちきゅうはく)。1997年にモナコで開かれた博覧会国際事務局 (BIE) 総会でカナダのカルガリーを破り、開催地に選ばれた。「自然の叡智」をメインテーマに、「地球大交流」をコンセプトに、日本の万博史上最多の120を超える国々が参加して開催された。会場は長久手町、豊田市と瀬戸市にまたがる名古屋東部丘陵。愛知青少年公園跡地(現在:愛・地球博記念公園)の長久手会場は起伏に富んだ地形で、改変を最小限にとどめるために空中回廊「グローバルループ」でひとつで結ばれた。「グローバルループ」を歩いて一周すれば、会場全体を見渡せながら、世界のパビリオンを巡ることができた。会場中心にはテーマ館であるグローバルハウスがあり、呼び物のひとつ冷凍マンモスが展示されていた。その他に日本ゾーン、市民参加ゾーン、国内企業ゾーンや森林体験ゾーンなどがあった。瀬戸会場は里山の自然が残る緑豊かな会場で愛・地球博のシンボル的な場所であった。また、会場までの足には日本初の磁気浮上式リニアモーターカーとなる「リニモ」が走り、話題となった。1999年、当初メイン会場として計画されていた海上(かいしょ)地区(瀬戸会場)にオオタカの営巣が発見された。生態系を尊重する市民団体などの要望を受け入れ、2000年5月にメイン会場を愛知青少年公園(長久手会場)に変更し、万博のテーマとしてより環境問題を前面に打ち出す事となった。変更後の会場である愛知青少年公園に残っていた自然を活かし、その自然自体(自然体感)も展示の目玉となった。一方で外国パビリオンについては、これまでの万博のような各国が個性的な建築物でアピールすることとは異なり、万博協会が規格建築物(モジュール)をグランドや遊具だった所など樹木の少ない区画に建設し、参加国はモジュールの外装や内装のみで個性を発揮するという形をとった。その結果、コンパクトで省資源な環境配慮型の会場構成が実現できた。加えて、開催前の会場構成・パビリオン企画の段階から市民が積極的に参加・ボランティアセンターを設立した会場運営・周辺地域でのサポートを行う等、開催前から開催中・閉幕後にかけて市民やNGOやNPOなどが積極的に参加した。現行の国際博覧会条約への改正後初で、かつ21世紀最初の博覧会である。20世紀までの「開発型」「国威発揚型」(国家の開発力、国威のPR)が中心だった国際博覧会から、21世紀の新しい博覧会の形である「人類共通の課題の解決策を提示する理念提唱型」の万博に変容を遂げた博覧会として、国際博覧会事務局(BIE)および日本政府は位置づけている。万博の出展国の評価を行う「褒賞制度」が、1958年のブリュッセル万博以来、ほぼ半世紀ぶりに復活した。万博の質の向上を目指す博覧会国際事務局 (BIE) の求めに応じて博覧会協会が制定した。愛知万博に出展している外国館のデザインや展示内容を審査し、金、銀、銅の各賞を贈るもので、賞の名称は「自然の叡智賞」。目標を大きく上回る入場者数とキャラクターグッズの売り上げにより、最終的に約100億円の黒字を計上している。2006年9月16日〜25日には、「閉幕1周年記念事業」として、各種シンポジウムやイベントが開催された。以後、毎年開幕閉幕の周年行事が行われている。人と自然がいかに共存していくか、というテーマを掲げた上で、環境万博を目指した。サブテーマとしては下記の3つを掲げ、総合的な博覧会を志向した。公式テーマ曲のプロデューサーにX JAPANのYOSHIKIが就任した。また、地元・愛知県ゆかりの歌手が集まってこの博覧会のイメージソングである、シャンソン・『ブラボー!ムッシュ・ルモンド(地球讃歌)』を歌って博覧会を応援している事でも知られる。更に1970年の大阪万博で三波春夫が歌った「世界の国からこんにちは」が、実子三波豊和とキャイ〜ンによって「世界の国からこんにちは2005」として35年ぶりにリニューアルされた。また、開会式音楽監督の渡辺俊幸作曲による開会式公式テーマ曲「愛・未来」が天皇、皇后の入場に合わせ、佐渡裕指揮によるEXPOスーパーワールドオーケストラによって演奏された。この博覧会は、日本国内で開催される5回目の国際博覧会である(総合博覧会としては2度目)。「国際博覧会」は、国際博覧会条約(BIE条約)という国際条約に基づいて、博覧会国際事務局 (BIE) に登録または認定されたものである。2005年日本国際博覧会は、開催申請、開催年・国の決定、具体的な開催計画の承認の時期とBIE条約の改正・批准発効時期が重なったため、その位置づけが複雑なものとなった。また、21世紀最初の国際博覧会で、新条約発効後の初の「登録博」であり、「国際博覧会は、地球的課題解決の場であり、自然と環境の尊重という人類にとって本来的に重要な点を反映した博覧会であること」という、1994年6月のBIE総会決議を受けて開催される節目の国際博覧会として、国際的に注目された。条約は、1988年の総会で改正が議決され、8年後の1996年7月に必要な批准国数を得て発効した1988年改正条約(新条約)であり、最も大きな改正点は国際博覧会の種類(区分)を変更したことである。この新条約の発効以前の国際博覧会の区分は、「一般博」と「特別博」の2つに区分されていた。両者の最大の違いは、そのテーマがBIEが定めた人類の諸活動の二分野以上に渡るか一分野のみであるかという点であった。1988年の改正は、この一般博と特別博の区分が事実上曖昧なものとなってきたため、両者の区分を一本化し「登録博覧会(登録博)」とした上で、「大規模で総合的なもの (general)」と新たな定義が与えられることになった。そして、別途新たに「認定博覧会(認定博)」という小規模(面積25ha以下)で、特定の分野を取り上げる区分 (specialized) が設けられることになった(同時にBIEが認定した国際園芸博やミラノ・トリエンナーレは「認定博と称することが出来る」と変更されることになった)。条約に定められた各博覧会の開催間隔は、旧条約の一般博は10年に1回で、特別博は特に定めはなく、実績上は1 - 6年ごとに1回であったが、新条約の登録博は5年に1回、認定博は登録博の間に1回の開催とされた(注:国際園芸博、ミラノ・トリエンナーレは別規定)。旧条約最後の一般博である2000年のハノーヴァー万国博覧会以降は、一般博と特別博に代わる国際博覧会(即ち登録博)は2005年に開催されることとなった。愛知万博は元々、規模的に「旧条約の一般博(大阪万博)」に相当する「21世紀初頭の総合的な博覧会」を構想し、新条約の発効後に「新条約の登録博」で申請、2005年の開催を目指していた。地元での誘致構想の立ち上がりが改正年の1988年であることからも推察できるように、条約の改正は織り込み済みであった。当時BIEは、臨時総会による議決で、2004年開催分までは旧条約による開催申請を禁じており(モラトリアム決議)、旧条約に基づく万博は2000年のハノーヴァー万国博覧会(一般博)が最後となるはずであった。ところが、新条約の発効の遅れ(加盟各国の批准手続きの遅れ)から、引き続き有効な旧条約に基づき2005年に特別博の開催が可能になるという空隙が発生してしまった。このような状況の中で、同じく21世紀初頭の国際博覧会開催を希望するカナダが、この旧条約の特別博の枠組みで2005年の国際博覧会を開催申請することが確実となり、競合国が出ない限り条約上自動的にカナダが2005年の開催権を取得でき、この時点で、日本が旧条約の「一般博」として申請するか、新条約の発効後に「登録博」として申請しても2010年の開催権しか取得できないことになり、「21世紀最初」という最大のセールスポイントを失うという可能性が出てきた。このため、2005年の開催を各国の投票で確実に獲得するためにはライバルよりも、カナダへの対抗上やむを得ず、敢えて新条約の発効を待たずに、旧条約の特別博で開催申請に踏み切ったものである。日本の申請は1996年の4月18日、カナダは翌月の5月28日、新条約の発効はその約2か月後の7月19日である。日本・カナダ両国は、1997年6月12日(現地時間)にモナコで開催された第121回BIE総会において、旧条約に基づき加盟国の無記名投票により2005年の開催権を争い、日本・愛知が多数を得た。このような申請及び開催決定の経過より、愛知万博の区分は、法理論的には旧条約の「特別博」に当たる。しかしながら、日本は申請に当たって「新条約発効後は新条約の登録博へ移行するよう」BIEへ要請しており、新条約が発効し具体的な開催計画の総会承認(条約上これを「登録」と言い、加盟国への参加招請開始の要件である)を得た以降のBIEの位置付けは、「事実上の登録博」というものである。ちなみに、大阪万博は「General of first category(第1種一般博)」という扱いとなっていた。ただし現在のホームページでは、愛知万博について「International Registered Exhibitionのみ書かれており、筑波万博や沖縄海洋博覧会と同様のカテゴリーで扱われている。上海万博については、大阪万博と同様のカテゴリーの「World Exhibition」として扱われている。なお、2008年までの同ホームページには、筑波万博や沖縄海洋博覧会については、愛知万博と異なり「Specialized Exhibition(特別博)」と書かれていた。他国における特別博区分に当たる博覧会については「Specialised Exhibition」か「International Exhibition」のいずれかであり、「International Specialised Exhibition」および「International Registered Exhibition」となっているのは愛知万博のみである。法論理的には、上海万博と愛知万博は、登録博(5年おき)制度を導入した1988年条約の「International Registered Exhibition」に当たり、その点からいえば同じカテゴリーとも言える。愛知万博は、構想から開催決定まで10年近くの年月を要し、この間に会場予定地の選定などをめぐり「開発型」から「環境保全型」へと万博を取り巻く情勢が大きく変わったため、最終的な開催計画のBIE総会での承認(「登録」)までに紆余曲折があった。この間BIEからも一時期「従来からの開発型の万博である。」との厳しい批判を受け、最終的には主会場が海上(かいしょ)地区から愛知青少年公園へと変更となった。しかしながら登録後は、BIEはこの愛知万博に「新しい時代の国際博覧会のモデル」として期待をした。期待や評価に転じた理由として、誘致から登録までの間に「環境への配慮」や「国際博覧会の開催意義」をめぐる下記の点が挙げられた。BIEはその期待に応えたものとして、会期中の2005年6月に開催された総会において「“祝意と賛辞”宣言」を決議している。このような決議は1928年にBIEが誕生して以来初めてのことであった。また、中日新聞は、BIEのロセルタレス事務局長が2006年6月にパリのBIE事務局で日本政府関係者と懇談し「この博覧会は最悪の状況で始まり、最高の結果になった。海上の森を破壊して会場を造成する当初計画に市民団体が抗議した。誰もが悲観的になったが、市民団体に加え、学識者、自治体を加えた対話が非常に誠実に行われ、ポジティブな変化を遂げた」と評価したことを報じている。大阪万博と比較すると、愛知万博は形式的には旧条約による「特別博」であり、旧条約の一般博である大阪万博とは区分が異なるものの、「“自然の叡智”」というテーマの総合性などから実質的・内容的には旧条約の一般博に相当する総合的な国際博覧会であると言える(政府は、今までの特別博とは違い、複数の分野を取り上げる総合的な博覧会であると説明している)。また、それは申請の経緯から「事実上の登録博」と言い得るものである。従って、多くのメディアが使用する「大阪万博以来35年ぶりに日本で開催される(された)総合的な国際博覧会」という表記は、基本的に正しいものと理解できる。公式キャラクターとしてモリゾーとキッコロ(モリゾー・キッコロ)が制定されている。ともに瀬戸市の海上の森に住む「森の精」という設定である。また、会場内やNHKで放映されたアニメやテレビ番組、中部電力のCMなど一部に限られるが、声もつけられている。モリコロ(公式)、モリキなどという略称がある。モリゾーとキッコロはアランジアロンゾによるデザインである。なお、マスコットキャラクターは、博覧会協会の公式マスコットキャラクター選定委員会が開催した、指名コンペティションによって決定された。コンペには、アランジアロンゾの他にも、秋元きつね、えだいずみ、福田美蘭、古川あづざらが参加した。2002年3月25日にキャラクターデザインが公表された。この時点ではモリゾーは「森のおじいちゃん」、キッコロは「森のこども」と呼ばれていた。同時にキャラクター名の一般公募を行い、同年6月29日(万博開催1,000日前)に名前が決定し、公表された。当初はキャラクターとしての知名度・人気ともに低かったが、次第に子供達を中心に絶大な人気を博した。会場では着ぐるみと一緒に写真を撮る親子連れが絶えず、梅雨時にはレインコートを着たモリゾー・キッコロまで登場した。またキャラクター商品の売り上げで万博の収益にも大きく貢献した。モリゾー・キッコロのキャラクター商品の売り上げは閉幕までに800億円、2006年2月末までに1000億円(博覧会協会発表)に達し、イベント用のキャラクターとしては異例の売れ行きとなった。モリゾーとキッコロが登場する絵本『もりのこえ』(作・絵:田代千里 ISBN 4902490005)は2005年3月時点で20万部(日本語版)を、『モリゾーとキッコロ』(作:高橋良輔、絵:ぎゃろっぷ ISBN 4776202476)は、2005年7月時点で初版4万部と増刷1万部を発行した。なお、『モリゾーとキッコロ』にはモリゾーとキッコロが歌う「寿限無でダンス」のCDが付属している。「寿限無でダンス」は歌詞が名古屋弁で、「海上の森に住む」という設定にもかかわらず、瀬戸弁でないことに違和感があるという声もある。また、キリゾーとモッコロという、モリゾーとキッコロの偽物が2005年夏頃にインターネット上に登場し、一時話題を呼んだ。作者は不詳。モリゾーとキッコロの顔と名前を入れ替えただけの代物である。なお、これに対しては博覧会協会側も寛容な態度を示し、法的措置は取られなかった。閉幕と同時に海上の森へ帰っていったが、カラーキッコロはいまだに万博会場に「住み着いている」と言われている。また同時に瀬戸市海上の森2005番地(架空の住所)に住む瀬戸市民として登録された。愛知県瀬戸市では希望者に対して、1通200円(条例改正により現在は300円)でこの住民票を発行している。閉幕後は博覧会協会により「モリゾー・キッコロは封印する」ということになっていたが、愛知県内の協賛企業の電気量販店で、モリゾーとキッコロのぬいぐるみが協会に無断で使用され大きく報道された。 その後、静まる気配のない人気に押された形で、博覧会協会は2005年11月18日、万博のテーマを継承する目的で開催する記念のイベントに、再びモリゾーとキッコロを登場させることを決めた。また、2006年3月には“おかえり モリゾー・キッコロ”と謳われた新たなキャラクターグッズの販売も発表された。このようにイベント(博覧会)の公式キャラクターが、閉幕後も高い人気を獲得しているのは異例である。万博が終了しても人気があり、2006年のまるはちの日当日に、オアシス21に登場したモリコロと記念撮影をしたい家族連れが、最高20分から30分待ちの列を作ったり、ローカル・全国問わずテレビ番組にたびたび登場したりと、万博を超えた独立キャラクターになりつつある。2006年9月の閉幕1周年記念事業においても、モリゾーとキッコロを主役にしたミュージカルの公演がアクアリーナ豊橋で行われ、氷上での荒川静香との競演などが話題になった。2010年の上海万博でも日本館にてミュージカルに登場している。なお、2007年3月31日を以って博覧会協会が完全に解散したことにより、所属(著作権保持者)が、万博理念継承先の地球産業文化研究所に移っている。また、同年よりNHK教育テレビにてモリゾーとキッコロが出演する教育番組『モリゾー・キッコロ 森へいこうよ!』が開始しており、2015年3月28日まで放送が続けられていた。その他にもいくつかのキャラクターが存在した。1940年3月15日から8月31日にかけて東京都で開催される予定だったが、日中戦争の激化などを受けて開催延期となった「紀元2600年記念日本万国博覧会」の前売り券は、1970年に行われた大阪万博に次いで、この万博でも使用できることとなった。交通関係のインフラについて詳しくは愛知万博の交通を参照のこと。万博開催を記念して10000円金貨、1000円銀貨、および500円ニッケル黄銅貨が発行された。500円硬貨は平成17年2月14日より金融機関の窓口で両替方式、10000円金貨および1000円銀貨は事前に造幣局へ申し込み、前年の12月頃より抽選の当選者にプレミアム価格で販売された。

出典:wikipedia

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