アフリカ連合(アフリカれんごう)は、アフリカの国家統合体。アフリカ統一機構 (OAU) が、2002年に発展改組して発足した。エチオピアのアディスアベバに本部を置いている。英語表記を略した "AU" は、日本でも広くアフリカ連合の略称として用いられる。前身のアフリカ統一機構はであった。1963年に創設されたアフリカ統一機構は、モロッコを除くアフリカ大陸の53か国(当時)全てが加入する世界最大の地域統合であったが、「統一機構」という名とは裏腹に各国間の内政不干渉を原則としており、各国で頻発する内戦やクーデターといった危機に対して有効な手段をとることができておらず、機能不全に陥っていた。また、各国間の経済統合なども遅々として進んでいなかった。こうした状況に一石を投じたのが、1991年に締結されたアブジャ条約である。この条約では、アフリカ各国は2028年までに大陸統一通貨「アフロ」を導入し、アフリカ経済共同体(AEC)を創設することが謳われた。これによりアフリカ大陸が経済統合の方向に向かう中、より一層のアフリカ大陸の統合を進めるために新しい機構の創設が求められるようになった。こうしたなか、アフリカ統一機構により強い権限を持たせ、政治・経済的統合を進めて最終的に欧州連合的な形態にアフリカ大陸を持っていくことを目的として、旧統一機構をアフリカ連合へと改組することを提案したのが、リビアの元首だったムアンマル・アル=カッザーフィーであった。カッザーフィーは1997年以降急速にアラブからアフリカへと外交重心を転換させていたが、1999年9月のスルトにおけるOAU首脳会談においてAUへの移行がリビアによって正式提案された。この提案は各国に受け入れられ、アフリカ統一機構からアフリカ連合への移行のため、2000年7月のロメOAU首脳会議でアフリカ連合制定法(アフリカ連合を創設するための条約)が採択され、各国の批准を待って、2001年に発効した。2002年7月のダーバン首脳会議を経て、アフリカ連合は正式に発足した。アフリカ連合は、アフリカの一層高度な政治的経済的統合の実現及び紛争の予防解決への取組強化のため発足した地域統合体である。アフリカ諸国と諸国民間の一層の統一性及び連帯性の強化、アフリカの政治的経済的社会的統合の加速化、アフリカの平和と域内紛争や独裁政治の根絶、安全保障及び安定の促進、民主主義原則と国民参加統治の促進、持続可能な開発の促進、教育及び科学等での協力、グローバリゼーション時代におけるアフリカ諸国の国際的な地位向上、等を目指している。また、欧州連合(EU)をモデルとした地域統合を目標に掲げており、将来的には統一した国家へ発展させ、アフリカ合衆国を創ることも視野に入れている。2001年にはアフリカ開発のための新パートナーシップ(NEPAD)を採択し、アフリカ大陸の開発のための指針を表明した。また、これに基づいて、各国が加盟国のガバナンスなどの状況を審査するアフリカン・ピア・レビュー・メカニズム(アフリカにおける相互審査システム、APRM)が創設され、2005年にはガーナの、2006年にはルワンダの報告書が作成された。欧州連合(EU)をモデルに統合を進めているため、政治機構にはいくつか類似する点もある。前身であるアフリカ統一機構(OAU)との大きな違いは、アフリカ統一機構が内政不干渉を原則としたのに対し、相互監視のため「平和安全保障委員会」を創設した所である。それにより、戦争や人権侵害を防止することや、平和維持活動が可能になった。本部は、エチオピアの首都アディスアベバに設置されている。エチオピアは、紀元前1000年頃には既に国家が形成されていたとされ、エジプトと並ぶアフリカ最古の独立国家であり、ブラックアフリカの先導的立場から1963年以降アフリカ統一機構の本部が置かれた。アフリカ連合は国際連合から法人格を認められた機関である。国連総会をはじめ、国連のあらゆる会議では一国一票制が採られているが、アフリカ連合は、各加盟国が協調して1つの意見を発することで大きな発言力を持っている。アフリカ連合の本部は、前身のアフリカ統一機構創設以来エチオピアの首都アディスアベバにおかれている。2012年1月28日、アディスアベバにて、地上99.9m、20階建ての新本部ビルが完成。当市内で最も高いビルとなった。建設費は中国政府が拠出(約2億ドル)している。モロッコを除くアフリカの全ての独立国家が加盟。加盟国は発足時に53か国に上り、この時点ですでに世界最大の地域機関であったが、2011年7月9日に南スーダンが独立して即時加盟し、加盟国は54ヶ国に達した。加盟国の中で、西サハラの独立派武装組織ポリサリオ戦線が樹立した亡命政府サハラ・アラブ民主共和国(SADR) (西サハラ)は、日本政府が国家承認していない地域である。ソマリアから一方的に独立を主張するソマリランドは、アフリカ連合加盟国からも国家承認されておらず、非加盟である。また、アフリカ統一機構時代とは違い、クーデターなど正規の手続きによらない政権交代には厳しい態度を示し、加盟国の資格停止を行うことが多い。近年では、2008年の1月31日から2月2日までアディスアベバで開かれた首脳会議の後、会見で議長は、チャドの反政府勢力による新政府が樹立しても加盟は承認しないという考えを示した(結局は政府側が勝利し、クーデターは失敗)。2009年1月のマダガスカル・クーデターによって成立したアンドリー・ラジョエリナ政権を認めず、加盟資格を停止した。また、2012年3月に発生したマリ軍事クーデターにおいてもマリ共和国の加盟資格を停止し、同年4月のギニアビサウ・クーデターにおいても同様の措置を取った。一方で2011年のリビア内戦においては、リビアの事実上の指導者であったカダフィ大佐がアフリカ連合の有力者であり、また石油の富を背景に加盟各国の援助を積極的に行っていたことや欧米に対する強硬な姿勢などから旧政府支持の国家も多く、連合としてどちらかの政権を支援するということはなかった。北大西洋条約機構軍の空爆に対しては反対の立場を明確にし、カダフィ政権とリビア国民評議会との調停にたったが失敗に終わった。2012年8月22日に反政府軍が首都トリポリを制圧したのちもアフリカ連合は新政府を承認せず、結局承認は国際連合が9月16日に承認したのちの9月20日となった。アフリカ連合では紛争の勃発した各国における調停を積極的に行っているほか、アフリカ統一機構時代の反省から、加盟国への軍事介入が可能となっている。これに基づいて、まず安保理決議1564を根拠として民族紛争の続いているスーダン西部のダルフールに2004年にアフリカ連合ダルフール派遣団が派遣された。2007年7月31日には国際連合安全保障理事会決議1769が可決され、派遣団は国際連合アフリカ連合ダルフール派遣団へと引き継がれた。次いで2007年1月30日に閉幕したアフリカ連合首脳会議においてソマリアへの国際平和維持部隊派遣が可決され、ソマリア駐留アフリカ連合平和維持部隊(AMISOM)が派遣された。これは国連と地域機構が共同で行う初の平和維持活動であった。2008年3月25日には、コモロ政府の支配下から離れ独自の政府を立てていたアンジュアン島のバカル大統領に対し、コモロ連合軍とアフリカ連合軍が共同で軍を派遣してバカル政権を打倒した。このほかにも、政権が崩壊し極度の政情不安が続いている中央アフリカにも中央アフリカ支援国際ミッション(MISCA)としてフランスと共同で軍を派兵している。また、西アフリカで勢力を拡大しているボコ・ハラムに対抗するため、2015年1月30日にはアフリカ連合は周辺のカメルーン、チャド、ニジェール、ナイジェリア、ベナンの5か国による7500人の部隊結成を提唱した。アフリカ合衆国の構想は、アフリカ諸国連合の創設者でもあるガーナの初代大統領クワメ・エンクルマが初めて提案し、現在でも議論されている。このアフリカ連合の発足は、その構想へ向けた動きでもあり、現在のアフリカ連合本部前には金色のエンクルマの像が配置されている。アフリカ連合は、統一に向けた3段階を示している。1つめは、統一政府が特に責任を負うことになる分野及び資金調達の方法を決め、市民に対して宣伝する。2つめは、憲法の起草とアフリカ中央銀行の設立。そして、3つめは、憲法の採択及びアフリカ政府の選挙を行う。というものである。しかし、2015年までにとされており、「2015年という期限は短すぎるのではないか」という意見や、「各国主権を奪われることになる」「市民参加の機会が十分与えられていない」といった批判があり、話が先へ進んでいない。2007年の第9回首脳会議でも、アフリカ合衆国の建設に関しても議論された。そこでリビアのムアンマル・アル=カッザーフィー大佐は統一国家の早期建設を主張した。カッザーフィー大佐は、長年精力的にアフリカ統一国家創設へ向けた提言をしていた人物である。 しかし、ナイジェリアのヤラドゥア大統領が、アフリカ合衆国建設の話より先に、国内の問題を優先的に解決すべきだと主張したほか、多数の国が消極的な意見を述べた。アフリカ諸国には国内に部族間の紛争や内乱、飢餓など問題を多く抱えている国が多数あり、アフリカ合衆国の話は、個々の問題が片付いた後に検討すべきだと言うのが大方の見方である。もし統一国家が成立すれば、面積はロシアより大きく世界第1位、人口は中華人民共和国とインドに次ぐ第3位という、超巨大国家となる。アフリカ統一機構が1963年5月25日に発足したことを記念して、加盟国の中には5月25日か5月中の1日を「アフリカの日」として国民の休日に定めている国がある。2013年5月25日には前身のアフリカ統一機構創設から50周年を迎えることとなり、加盟各国の首脳がアディスアベバの本部に集まって盛大な記念式典が挙行された。
出典:wikipedia
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