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ゲームギア

ゲームギア("GAME GEAR")とは、セガ・エンタープライゼス(後のセガゲームス)が1990年10月6日に発売した携帯型ゲーム機。発売時の価格は19,800円。国内で178万台、海外では865万台を販売し、全世界累計販売台数は1,043万台。開発コードネームは"Project Mercury"。日本では1990年、北米・欧州・アルゼンチンでは1991年、オーストラリアでは1992年に発売。価格は北米では150USドル、イギリスでは145ポンド。1997年4月30日にサポートを終了した。発売されたゲームソフトは全393タイトル(日本市場では全196タイトル)。据置機のセガ・マークIII、マスターシステムとほぼ同等のスペックを持っていたため、マスターシステム版『ソニック・ザ・ヘッジホッグ』など、次世代機であるメガドライブ発売後の当時も欧州と南米を中心に展開中であったマスターシステムのタイトルが多く移植された。日本国外で非公式に発売されていたアダプターを利用すると、マスターシステムのソフトをそのままプレイすることもできる。また、『タロットの館』や『THE GG忍』、『GGアレスタ』などのオリジナルタイトルも多くリリースされた。リージョンコードは設けられておらず、リージョンが違うゲームギア用のソフトも同一の機体でプレイできる。本機に採用のカラー液晶はSTN液晶と呼ばれるものであるが、当時としてはコストが高く消費電力の多いバックライトが必須だった為、市販の乾電池ではバッテリーの持ちが悪く、連続稼働時間はアルカリ乾電池6本で約3時間程度だった。また、ゲームによっては液晶の残像が目立つものもあった。販売台数は競合機であった任天堂のゲームボーイに大きく劣るが、それでも1000万台以上の販売台数を誇り、15年にわたって携帯ゲーム機市場のトップに君臨したゲームボーイシリーズの競合機としては最も善戦したハードである。ソニーのPSPの登場までは、任天堂以外の携帯ゲーム機としては最も普及したハードでもあった。2012年3月14日よりM2の技術提供を受け、ニンテンドー3DS向けバーチャルコンソールでゲームギアのタイトルが配信開始される。ドットバイドット表示の際はゲームギアの本体を立体視で表示、ゲーム画面は残像まで再現した、こだわりの移植となっている。ゲームギアの展開当時、先行する任天堂のゲームボーイ(1989年発売)が『テトリス』をキラーソフトとして世界中で爆発的に普及していた。それに対抗するため、北米では本体に『コラムス』を同梱するなどし、またCMでも「カラー」であることを売りにしてかなり露骨な比較広告がなされた。しかし多くのサードパーティが参入したゲームボーイに対し、ゲームギアはサードパーティの支持をあまり得られなかった。また当時の技術的な制約から、カラー液晶ゆえのバッテリーの短さと高価格という、Atari Lynxなど当時存在した他のカラー携帯ゲーム機と同様の問題にも苦しんだ。後期モデルではバッテリーの持ちなどがやや改善されたが、初期のハードは品質が悪く、特に液晶画面の残像のひどさは後のエミューレーションでも再現されるほどの語りぐさとなっている。その結果、販売台数はゲームボーイに大きく水を開けられたが、当時のゲームボーイの販売台数の約7分の1となる1000万台以上を販売し善戦した。ただしその後、ゲームボーイは『ポケットモンスター』などの爆発的人気により大きく売上を伸ばしてさらにゲームギアを引き離す。なお南米では任天堂のゲームボーイよりも先に発売され、南米初の携帯型ゲーム機としてそこそこながらもヒットしていた(販売はセガの代理店でもあるTectoyが担当)。その後、タッチスクリーンに対応した高性能な次世代機の計画が進められたが、ゲームギアよりさらに高価格になるためキャンセルされた。最終的にゲームギアと同等の値段で、しかも据置機として多くのタイトルを抱えるメガドライブのソフトがそのまま使えるノーマッドを後継機として1995年に投入するが、ゲームギアよりさらにバッテリーが持たないことと、据置機市場の32ビット次世代機ブームに湧く中での携帯ゲーム機市場の低迷もあってあまり成功せず、すぐにサポートは打ち切られた。しかしマレーシアやインドなどのアジア地域ではゲームボーイと同様、未だに根強い人気を誇っている。ゲームギアはマスターシステムと互換性があるため、マスターシステムとゲームギアの両方のソフトを内蔵した携帯型互換機が、セガから正式ライセンスを得たAtGamesなどのメーカーによって発展途上国では2000年代以降も販売されている。前年の1989年に発売して大ヒットしていた、任天堂のゲームボーイに対抗して発売。発売時から一貫してカラー液晶を採用していることを大きくアピールしており、発売時に放映のイッセー尾形を起用したTVCMでも、「で、ヨウヘイ君は白黒なの?つまんないね」「やっぱゲームはカラーじゃないとつまんない」と語ったりと、対抗機種であるゲームボーイを強く意識した比較広告が展開されていた。アウトドア向けの携帯ゲーム機としては、対応機種のゲームボーイと比較するとバッテリーの持続時間が極端に短いことや、ほぼ同じアーキテクチャのセガ・マークIIIからの移植タイトルが多く、新規でのキラータイトルに恵まれなかったことから、先行していたゲームボーイの市場を大きく切り崩すことができず、途中、TVCMや広告に高橋由美子を起用するなど広報面でテコ入れも計られたが、日本国内では中々普及が進まなかった。市場が沈みかけた矢先に、当時メガドライブでヒットしていた『ソニック・ザ・ヘッジホッグ』や『ぷよぷよ』の移植などでやや持ち直す。また、1993年には15,800円、1994年には本体カラーの新色発売に合わせて13,800円へと希望小売価格を値下げし、カラーの携帯型ゲーム機としては手頃な価格帯になったことや、ソフト1本をセットにした「ゲームギア・プラス1」、コカ・コーラ社とのタイアップで『コカ・コーラキッド』のキャンペーンを行うなどして一定の支持を得る。結果、普及台数の割には長期間といえる1996年12月まで、新作ゲームの供給自体は続けられた。1996年3月以降はHE事業部からトイ事業部に移管し、機器名称をキッズギア(KID'S GEAR)に変更。アニメ版バーチャファイターのキャラクターを配した本体や、『ドラえもん』、『怪盗セイント・テール』などのキャラクターゲームを発売するなど低年齢層に焦点を当てた販売戦略を取った。しかし、当時は携帯ゲーム機市場自体が低迷していたこともあり、ゲームギア自身の後継機は登場せずに終わる。海外ではノーマッドという名で携帯機版メガドライブが出ているが、日本では発売されなかった。オプションとして発売されていた『TVチューナーパック』をカートリッジスロットに装着することで、VHFおよびUHFのTV放送の受信が可能となり携帯テレビとしても使用できた。初期型はラジオの指針を合わせるかのように手動でチャンネルのチューニングが必要だったが、後期型ではチューニングを自動で行なえるように改良された。別売のカーアンテナを外部アンテナ端子に接続すれば、車などでの移動中でもテレビ放送を受信することもできた。また、TVチューナーパック本体にはビデオ入力端子が搭載されており、据え置き型のテレビゲームやビデオカメラの映像信号をゲームギアの液晶ディスプレイに表示することもできた。ハードウェアのスペックは、同社が過去に発売したセガ・マークIII/マスターシステムをベースとしたものであり、解像度が低い事と発色数が多い事を除けばほぼ同等である。ハード的にほぼ同じアーキテクチャであることから、初期はマークIII/マスターシステムからの移植タイトルが多く、また、セガ非公認ではあるが、海外版マスターシステム用ソフトが遊べるようになるアダプタ「マスターギアコンバータ」も発売されていた。日本で発売されたゲームギアはセガ・マークIII/セガ・マスターシステム/メガドライブ/メガCD用のACアダプタが公式に使えるが、海外で発売されたゲームギアはメガドライブ2/スーパー32X用のACアダプタが公式に使える。正規の利用法ではないが、ファミリーコンピュータ用ACアダプタの定格は近値なので流用できる。大量に流通しているアダプタのため、流用行為は必須となった感があった。ただしこのACアダプタのコードは移動電線としてはあまり適していないため乱暴に扱うと接触不良を起こしやすい。PCエンジン用ACアダプタでは電流不足に陥る。

出典:wikipedia

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