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ニューブランズウィック州

ニューブランズウィック州( 、 , )は、カナダ東部の大西洋に面する州。アカディア人などのフランス語を母語とする住民が人口の約3割を占め、英語とフランス語の2言語を公用語としている唯一の州である。州都はフレデリクトン。総面積73,500km²、州人口は75万1,171人(2011年推計)。ニューブランズウィックとは英語で「新たなブラウンシュヴァイク」を意味する。ヨーロッパからの移民以前より、ミクマク族(Micmacs、)、マリシート族()などの狩猟と採集を営む先住民族が住んでいた。その後フランス植民地時代よりフランス系の移民の多く住む「アケイディア(英)()」または「アカディー(仏))」と呼ばれていた。仏領ヌーベル・フランス(現:ケベック州)と英領ニューイングランドの間に位置するアケイディアの領有権は北米植民地の覇権を争う二国の間を度々行き来し、1755年、フレンチ・インディアン戦争勃発を機に、英国はフランス系住民(アケイディアン(英)またはアカディアン/アカディエンヌ(仏))に対し、英国に忠誠を誓うことを強制した。これを拒否し、あくまで中立を固辞したフランス系住民に対し、英国軍は1755年から1763年までにその住居を焼き、フランス本国または英国植民地に強制送還するという、現代の国際法の観点から見ると大変非人道的な措置を取った。この事件は「」(英:、Great Expulsion、Deportation、または Acadian Expulsion)と呼ばれる。強制送還を逃れたフランス系住民の多くは先住民の手を借りて仏領ヌーベル・フランスに逃亡した。なお、現米国・ルイジアナ州にあたる地域に定住した人々の子孫が今日のケイジャンである。独立の機運の高まっているアメリカよりイギリス本国に忠誠を尽くす「ロイヤリスト(王党派)」が南よりやってきて、1784年にニューブランズウィック植民地が創設され、ノバスコシアからの分離が実現した。強制送還されたアケイディアの人々の多くは1763年ごろから旧アケイディアに帰還し、イギリス系住民の居住地を避けて旧アケイディアより北のニューブランズウィック州、ノバスコシア州、プリンスエドワード島沿岸部に定住した。ニューブランズウィック州では、南東部沿岸(モンクトン、シェディアック Shediac付近)、北部沿岸、およびセント・ジョン川(Saint John River)流域のマダワスカ郡がそれにあたる。年配のフランス系住民の間では現在に至るまで英国および英語を母国語とする住民に対する反感が根強い。ニューブランズウィックは1867年のカナダ自治領(Dominion of Canada)の成立した当初の4州のうちの一つである。北東部と南部で大西洋に一部面していて、北はレスティグーシュ川を挟みケベック州と接している。南東部のシグネクト地峡 (Isthmus of Chignecto)でノバスコシア州と、コンフェデレーション橋によってプリンスエドワードアイランド州とつながっている。また西部はアメリカのメイン州に接している。カナダの州の中では唯一、英語とフランス語が公用語のバイリンガルになっている州で、州民の64.8%が英語を、32.6%がフランス語を使用している。()内は2006年時の住民の母語の割合。人口は2011年。など

出典:wikipedia

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