芝(しば)は、東京都港区の町名。または旧東京市芝区の範囲を指す地域名である。東京都港区のおよそ東半分を範囲とし、江戸・東京の山手を構成している地域のひとつである。芝は麻布・赤坂・四谷・牛込・小石川・本郷と並ぶ、東京山手の外郭をなすエリアである。概ね東京旧市内で低地に比べ高台を多く占める旧区分を山手としている。そのため旧芝区に属する芝地域は山手にあたる。麻布区及び赤坂区との合併後も住居表示導入以前は「芝○○町」と旧芝区内大半の町が芝を冠称していた。現在は町会、警察署や消防署、税務署等の管轄などで当時の区境や町境を継承している。単純に述べると現在の港区の範囲のうち赤坂・青山・麻布・六本木を除くすべての町々が芝地域を指す。現在の港区芝の地域は、江戸時代の初めまでは豊島郡柴村・荏原郡金杉村・荏原郡上高輪村であった。戦国時代までに、武蔵国荏原郡柴村が成立する。柴村は後に豊島郡の所属となる。江戸時代、東海道の整備によって柴村は急速に発展し、柴町・芝町とも呼ばれるようになる。またこの頃から、柴村の周辺地域も「芝」と呼ばれるようになる。総合支所の管轄は麻布地域及び赤坂地域が旧区に準じた範囲で総合支所を設けたのに対し、旧芝区は東京旧市内15区内で最も細長い土地であったため総合支所の管轄は南北と埋立地の合計3か所に分割された。総合支所管轄の芝は旧芝区北部を指す。旧芝区南部は高輪総合支所管轄、旧芝区埋立部は芝浦港南総合支所管轄である。複数の大通りが交わり公共交通も複数路線があり港区内屈指の交通の要衝である。田町駅と三田駅周辺に広がるビジネス街として栄えており、大通りの裏には古くからの住宅街も混在している。また港区内の他の地域同様に大使館や教育施設も多く近年は高層マンションも増えている。港区及び芝地域の東部に位置する。1662年(寛文2年)には豊島郡柴村が町奉行支配となり本芝7か町が成立する(本芝一-四丁目・本芝入横町・本芝下タ町・本芝材木町)。また同時に隣接する荏原郡金杉村・荏原郡上高輪村も町奉行支配となり金杉11か町(芝金杉通一-四丁目など)及び芝田町などが成立する。
出典:wikipedia
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