映画法(えいがほう、昭和14年4月5日法律第66号)は昭和14年(1939年)に制定された日本の映画に関する法律。昭和10年以降、日本は日中戦争遂行や総力戦体制構築のため、軍国主義政策を推し進める。映画も例外ではなく、この法律によって、日本の映画も娯楽色を極力排除し、国策・軍国主義をうたった映画を強制的に製作させられることになり、その映画の製作も台本を事前に検閲することや、映画会社(製作・配給元)の許認可制、ニュース映画・文化映画の強制上映義務、また外国映画の上映も極力制限された。前身は明治24年(1891年)の「観物場取締規則」(警察令第15号)や大正6年(1917年)の「活動写眞興行取締規則」(警視庁令第12号)(これにすでに「フヰルムの検閲」の語句がある)。他に大正10年(1921年)の「興行物及興行取締規則」(警視庁令第15号)、大正14年(1925年)の「映画『フイルム』検閲規則」(内務省令)などがある。本法は前年昭和13年に公布され、翌昭和14年に施行されて、一時映画界に恐慌をきたした。この法律によって、日本の映画の各パートに働く者は政府に登録しなければ、いかなる部門にも従事することはできなくなり、登録するためには春と秋の年二回行われる「技能審査」という試験を受けなければならなくなったのである。現業の者は既得権が認められ、無試験で登録は下りた。試験は「実技考査」と「性格常識考査」の二部門に分かれ、前者は専門家が「大日本映画協会」から嘱託を受け、後者は文部省や内務省の役人が審査に当たった。当時、映画人の多くは「試験がないから」というので映画界に入ったものばかりで、この試験は脅威であり、映画人からは「悪法」と呼ばれた。この「映画法」は、昭和20年(1945年)12月26日を以て廃止されている。この法では、現職の映画人は無試験で登録は下りたが、昔監督だったスタアや、昔キャメラマンだった監督、昔俳優だった事務員たちは、食料や衣料が配給制だった時代でもあり、「この際、両方の登録をとっておいた方が都合がいい」と、わざと試験を受けたものもあった。「実技考査」では、内田吐夢や五所平之助、木村荘十二、片岡千恵蔵、小杉勇といったさまざまな映画人たちが試験官を担当して話題となった。稲垣浩も試験官を命じられたが、春秋二回に施行されるこの試験審査は「頭の痛い、煩わしいものの一つだった」という。受験者の中にどうしても点のとれない青年がいて、第一回では「もう半年見送って成長を待とう」と委員の意見が一致して落としたが、二回目以降も進歩がなく、三回目、四回目と同様だったため、ついに委員の方が根負けして通してしまった。入社後は小回りが利く便利な役者になり、戦後は助監督に転向して監督になったという。審査の意味のなさを物語るエピソードである。小型映画も登録対象であり、稲垣ら映画人が作品審査を行った。多くの中、抜群といえる作品が一つあり、「これほどの作品を作る男を地方の片隅にうずもらしておくのは国家の損失」と、さっそく呼び寄せたところ、その男は精神異常に近い映画狂で、保護者なしでよく試験場まで出てこられたという大変な人物だった。稲垣は「委員をやったおかげで、天才と狂人が紙一重だという実物を見せてもらった一幕だった」と語っている。稲垣の父親も風貌を買われて映画出演することがあったため登録しなければならなかったが、「いくら政府の命令でも親父を試験するわけにはいかない」と、このときだけは廊下に逃げ出して扉の隙から覗くばかりで、「こっちが試験を受けているようでつらかった」という。中村鴈治郎(中村扇雀)も試験を受けなければならなかった。委員たちは考査の人員を書いた用紙を見たとたんに「うわぁー、今日は大物がいるぞ」と頭を抱え込んだ。「名にしおう成駒屋に実技試験をやらせるわけにもいかぬし、演技ならこっちが教えられるほうだ」、「ついでだから河庄の一節でもやってもらおうか」などと話題はここに集まったが、結局「顔を見せていただくだけにしよう」と意見がまとまった。「成駒屋」は地味な和装で考査室に神妙に表れ丁寧に一礼したが、委員たちは机の前でただただ恐縮してニヤニヤ笑いをするばかり。溝口健二委員が「もうよろしいからどうぞ、どうぞ、お引き取りを」と声をかけるとキョトンとした顔で「へ? こりゃかなわん。えんりょのう、どうかやらしておくんなはれ」と返した。仕方なく伊藤大輔委員が、「あんたに演技をされたら、こっちゃが困りますのや」と言って、引き下がってもらった。「映画法」受験者のために、「大日本映画協会」が企画出版した入門指導書。挿絵は鷺巣富雄。上巻は昭和15年発行。撮影全般にわたる指導書で、碧川道夫、宮島義勇、小倉金彌、佐々木太郎、三浦光雄、三村明、三木茂、牧島貞一(ニュース映画)、持田米彦(記録映画)、峰尾芳男(録音技師)ら著名撮影技師が執筆。下巻は昭和16年2月15日発行。技術関連で、岩淵喜一(特殊撮影)、円谷英二(特殊技術)、大石郁雄(線画と漫画映画)、島崎清彦(編集)らが執筆した。
出典:wikipedia
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