大阪市立扇町総合高等学校(おおさかしりつ おうぎまちそうごう こうとうがっこう)は、大阪市北区松ヶ枝町にある総合学科の公立高等学校。かつては商業科を設置する商業高等学校で、校名も扇町商業高等学校だった。2001年度に総合学科に改編し、それに伴い現校名に改称している。計画的に専門的な知識・技術を身につけるための配慮として科目種別ごとに6つの系列が設置されている。選択した系列により卒業後の進路が大きく左右されるため、1年次に各系列についての説明を受けて系列を選択し、2年次よりそれぞれ系列に分かれ専門的科目を学ぶこととなる。原則的に1年次に決定した系列は変更できない。各系列についての説明は"大阪市立扇町総合高等学校#系列"を参照。文化部運動部野球部はセンバツに2度出場(1940年の17回大会、1951年の23回大会)に出場している。戦績は出場2回で1勝2敗である。また扇町商時代から野球部の帽子には何の文字もマークもなく、ただの濃紺の帽子を着用するのが伝統となっている。全国的にもマークが施されていない帽子を着用しているのは非常に珍しいことである。1923年(大正12年)4月に大阪市立扇町商業学校として、大阪市北区西扇町(現在の北区神山町・大阪市立天満中学校付近)に開校した。太平洋戦争の際、戦時措置としての工業学校への転換は免れたものの、校舎を新設の大阪市立医学専門学校(大阪市立大学医学部の前身)に明け渡すことになったうえ、戦時中の一時期には新入生の募集停止を余儀なくされた。1945年(昭和20年)に大阪市堀川国民学校(現在の大阪市立堀川小学校)、次いで大阪市北野国民学校(戦災により曽根崎小学校に統合され廃校・現在の北税務署の場所)に校舎を移転した。終戦後新入生募集を再開し、北野国民学校校舎で授業をおこなっていた。しかし同校舎は大阪市立大学理工学部校舎として使われることになり、1948年(昭和23年)に旧松ヶ枝国民学校(戦災により大阪市立堀川小学校に統合され廃校)跡の現在地に校舎を設置した。1948年(昭和23年)の新制高等学校発足の際、戦時中の女子商業学校増設策で設置された大阪市立中之島女子商業学校を合併して男女共学を実施した。創立時から一貫して商業科として商業教育を実施していたが、2001年(平成13年)に総合学科に改編した。
出典:wikipedia
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