長尾 淳三(ながお じゅんぞう、1952年3月15日 - )は、日本の政治家。東大阪市長(第10・12代)、東大阪市議会議員(5期)を歴任した。東大阪市出身。府立八尾高等学校、静岡大学を卒業。大学卒業後、大阪民主新報記者となる。1979年、父である長尾一郎の後継として、東大阪市議選に日本共産党公認で立候補し初当選。以後5期18年間、同党市議団幹事長などを歴任。1997年、東大阪市長選に日本共産党推薦で出馬するも現職の清水行雄に約19,000票の差で敗れ落選した。しかし翌年、清水が逮捕され市長を辞職。それに伴い行われた東大阪市長に立候補(日本共産党推薦・新社会党支持)し、松見正宣を約5,000票の差で破って初当選した。。2002年、任期満了に伴い行われた市長選挙で、前回の市長選挙で下した松見に敗れ落選した。2006年、任期満了に伴い行われた市長選挙に無所属として立候補。日本共産党東大阪地区委員会など75団体で構成する「明るい東大阪をつくる会」の推薦を受け、現職の松見と前大阪府議会議員の西野茂(府議会議員時代は自由民主党所属)を破り当選、市長に復帰した。2007年9月3日、議員任期満了直前の議会で不信任決議が可決される。議会解散せず9月14日失職。9月23日投票の市議選では不信任に反対した与党・共産党は2倍以上の議席を獲得。一方、不信任に賛成した野党・自民党、公明党は議席を減らした。10月28日の出直し市長選挙に出馬するが、前市議会議長の野田義和に敗れ落選。2011年10月2日、任期満了に伴い行われた市長選挙に無所属として立候補したが、現職の野田に敗れ落選した。長尾は多数野党の反発を受けながらも与党・共産党とともに同和行政の終結を掲げて同和予算を2億円削減し、同和行政に関連する職員を減らすなど同和利権の根絶に力を尽くした。また無駄遣いとされていた上下水道庁舎の建設計画を中止し、介護保険の減免などを実施した。
出典:wikipedia
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