2005年度新人選手選択会議(2005ねんどしんじんせんしゅせんたくかいぎ)はに新高輪プリンスホテルで行われた第41回のプロ野球ドラフト会議である。今回の大きな変更点はドラフト指名候補選手を『高校生選択会議』と『大学生・社会人ほか選択会議』の2部に分けた点である。高校生のみを指名可能な『高校生選択会議』は10月3日、大学生・社会人だけを指名可能な『大学生・社会人ほか選択会議』は11月18日に開催された。ドラフトが2分割されるのは以来39年ぶりである(この時は社会人と国体に出場しない高校生を対象とした第1次を9月に、大学生と国体出場の高校生を対象にした第2次を11月に行った)。また、2003年のドラフト会議から施行された1球団最大2名まで自由競争で契約できる『自由獲得枠』を『希望入団枠』と名称変更し、1球団最大1名のみ自由競争で契約可能と削減された。詳細は現行のドラフト制度参照。12月1日にプロ野球実行委員会が開かれ育成選手制度の導入が決定し、同日に育成選手選択会議が行われ広島、巨人、中日、ソフトバンクの4球団が計6人の選手を指名した。この年の高校生ドラフトは辻内・平田(大阪桐蔭)、鶴(近大附)、岡田(履正社)の「ナニワの四天王」が注目された。福井(済美)を除いた37人がプロ入りを果たした。巨人は1992年のドラフト会議で松井秀喜を獲得して以来、13年ぶりに競合によるくじ引きで獲得した。2005年高校生ドラフト会議で抽選結果が誤って発表され後から交渉権獲得球団が訂正されるというドラフト史上初のトラブルが発生した。この年は分離ドラフトへの制度変更もあり3年ぶりに抽選が行われた。まず1巡目で巨人とオリックスがともに大阪桐蔭高校の辻内崇伸を入札したため、抽選が行われた。クジは二つ折りで封筒に入れられ、当たり・外れ両方にNPBの印が押され、当たりクジにのみ「交渉権獲得」の印が二つ折りの内側に押されていたのだが、事前に主催者側(議長:小池唯夫パシフィック・リーグ連盟会長)からの説明が無かった為、オリックスのGMの中村勝広がNPB印を見て当たりクジと勘違いし、巨人の監督の堀内恒夫は、自分のクジに「交渉権獲得」とあったものの喜ぶオリックスを見て外れたのだろうと思い込み、首をひねりながらもそのまま席に戻った。本来ならばこの後に主催者側は両球団が引いたクジの確認をしなければなかったがそれも怠り「交渉権はオリックス」と発表される。その後、同じく1巡目で日本ハムとソフトバンクがともに福岡第一高校の陽仲壽を入札し抽選が行われた。ソフトバンク監督の王貞治が同様に外れクジを当たりと勘違い。このとき一度は「交渉権は日本ハム」とされたが王監督の抗議により「交渉権はソフトバンク」と発表された。日本ハム監督のトレイ・ヒルマンは、「交渉権獲得」の漢字が読めないためそのまま席に戻ってしまった。その後日本ハムGMの高田繁が、席に戻ったヒルマンのクジを確認し「交渉権獲得」の印が押してあるのを発見した。隣席の巨人席でも同じようにクジの正否について疑問の声が上がっており、両者が主催者側に抗議したことで問題が発覚し、辻内の交渉権は巨人、陽の交渉権は日本ハムが獲得したと訂正された。何の責任もなくこのような出来事に巻き込まれることになった2選手は明暗が分かれた。学校で記者会見中だった辻内は、オリックス指名の報道が入ると笑顔ながらも硬い表情で行っていたが、巨人が交渉権を獲得したことがわかると一転して表情を緩ませ、小さい頃から巨人ファンであったことを明かし喜んだ。逆に台湾出身の留学生である陽は、祖国の英雄である王監督に憧れ、しかも、実兄の陽耀勲が来季よりソフトバンクでプレーすることがほぼ確定していたため、明言は避けていたもののソフトバンクを強く志望していた。そのソフトバンクでの指名の報道に涙を浮かべて喜んでいたが日本ハムに交渉権が訂正されると呆然とした表情となり、記者会見では搾り出すように「うれしいです」と答えるのが精一杯であった。育成選手入団で太字は、後に支配下選手登録された選手
出典:wikipedia
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